わからないなら手をつなごう 3
「どうぞ、あなたの世界では“紅茶”と呼ばれているものと味は変わらないと思いますので」
そう言って目の前の女の子――エンジェ・ハイドライト――は私に透き通った赤色の飲み物を勧めた。
「あ、どうも」
礼儀の欠片もない受け答えをして私は湯気の立っているお茶を口に含んだ。
じんわりとした温かさが体中を駆け巡る。
確かに、紅茶だ。それもティーバックで淹れたものとは格段に味が違う。
いや、あれも美味しいけどさ。
言葉が通じた後、私は茫然としていたけれど――エンジェ、エンジェさん?エンジェ様?心の中だから呼び捨てでいいや――ともかく、エンジェは冷静だった。
冷えると風邪をひきますのでよろしければ私の屋敷にどうぞ、なんて言ってくれて。
お言葉に甘えて私は森を少し歩いたところにあるエンジェの屋敷に招待され、屋敷の2階にあるエンジェの部屋で美味しいお茶とお茶菓子を振る舞ってくれた。
エンジェの口調と見た目で判断して、私は勝手に大きな庭に大きなお城みたいな屋敷で何人もの使用人が居てなんかデカい犬とか飼ってて――なんて賑やかで穏やかな屋敷を想像していた。
でも、そうじゃなかった。
庭はそう広くない。
綺麗に手入れされた小さな畑があるだけの庭。
屋敷も、大きなシャンデリアがあるわけでも、
でも装飾は確実に高そうだ、と分かる。
綺麗に手入れされた家。お金持ちの家。確かにその印象は間違いなかった。
でも、誰も居なかった。
エンジェを出迎えてくれる使用人も居ない、大きな犬だって。
何より、家族が居ない。
(出かけてるのかな)
なんて呑気なことを思ってすぐにそれを否定した。
真実なんて聞かなければわからないけれど、この家には彼女以外住んでいない。
直感がそう訴えていた。
紅茶を淹れるのも、お茶菓子の用意をするのも慣れているエンジェの様子がそれを物語っているようだった。
勝手に同情するなんて、失礼だし余計なお世話だ。
エンジェはそんなそぶり無いんだし。
でも、どうしても。
寂しくないのかな、なんてここで1人過ごすエンジェの事を考えて悲しくなってしまう。
何か会話して忘れようと、そんな考えを振り払うように、私はエンジェに話しかけた。
「あのさ、エンジェ、さん」
「呼び捨てで構いませんよ、えっと」
言い淀んだ様子に名前を名乗ってなかったことを思い出した。
「あ、私は天音アイです。普通に呼び捨てで呼んでもらえば」
そこまで言って、目の前のエンジェが急にきらきらと目を輝かせた。
「!ええっ、どうぞそうなさって!では、私もアイと呼びますわあ、アイさん!違う、アイ!」
なんだなんだ可愛いなこの人。
まぁ、この様子でさらに察してしまう。
この人は、この子は、ううん、エンジェは。
ずっと一人っきりなんだ。
名前で呼び合う子がいないんだ。
まぁ私も友達らしい友達なんて居なかったけど、欲しいわけでも無かった。
今にして思えば、私が置かれていた環境は良いもので優しい家族も居たし周囲は面倒見がよくて、1人で居たし友達も居なかったけど孤立したり虐められることは無く寂しい思いもし無かった。
でも、エンジェの“1人”は私と全く違うんだ。そんな気がした。
「いたっ」
「あっルリ、おやめなさい!」
しんみりした瞬間、手に小さな衝撃がやってきた。
あの青い鳥だ。鳥が私の手の甲に嘴を突き刺している。手加減されているのか血が出ることは無かったが、わりと痛い。
そういやここに来るまでずっとエンジェのまわりを飛んでた気がするこの鳥畜生は。
エンジェが慌てて止めると、小鳥は動きを止めつぶらな瞳でエンジェの方に寄って行く。
それはまるで私何もやってませんよみたいな表情に見えた。さっき突き刺しとったやろがい。
まあ鳥を睨んでもしょうがない。
「ルリっていうの?」
「ええ、すみません、普段はもっと大人しいんですが、ほら、もうあんなことしては駄目ですわよ」
ルリはじっと私の顔を見つめた。
そして、ごめんね、ついやっちゃった、みたいなしぐさで私の指にすり寄ってきた。
おっ可愛い。焼き鳥は勘弁しといてあげよう。
基本動物は好きなので甘えられると弱いんだ私。
もしかして、自分がいるって言いたかったのかな、エンジェは1人じゃないって言いたかったのかな、何となくだけどそう思った瞬間、鳥は答えるようにちちち、と鳴いた。
エンジェの問題を勝手に予測したり想像したりするのも中々失礼だ。とりあえずこの問題はおいておこうと私は決めた。
そうすると、どうしても聞かなければならない疑問を1つ思い出した。
「あのさエンジェ。聞きたいんだけど、さっきあなたの世界、って言ってたけどことはやっぱりここって私の知ってる日本じゃないんだよね……?」
多分というより絶対そうだけど、僅かな希望を残して私は尋ねた。
何かしら説明が欲しい。どうやって帰るのか、とか知りたい。
ああ、とエンジェは頷く。
「それを説明しようと思いましてこの世界に迷い込まれた方には……あ、来ましたよ」
「何が?」
「此方の世界に来た方用のパンフレットです。紅茶の準備をしたついでに連絡をしていましたの」
エンジェ万能か?ありがとう。でも何処から来るの?
かつん、と窓の外から音が鳴った。
その前に羽音が聞こえたので、鳥が来たのかもしれない。
長閑な日差しを浴びながらお茶して窓辺にはきれいな小鳥が、だなんて優雅な光景だなー、いやそれにしても羽の音大きく無かった?と思いながらそっちを見た。
其処には。
「ペリカン」
「はいペリカンですが」
いや、ペリカンが居るんだけど。しかも大分デカイ。
そう、窓の外にはペリカンが居た。ペリカン?何故ペリカン。
エンジェは動揺することなく窓を開ける。
ペリカンも遠慮する事なく窓から入ってくる。ねぇペリカン近い。
目を白黒させている私にエンジェは説明してくれた。
「魔法郵便ですわ。さっき言ったパンフレットを取り寄せていたのですわ」
ほら、と指さすとペリカンには赤いカバンがつけられていることに気が付いた。
エンジェは事も無げにカバンのボタンをはずして中から冊子を取り出した。
これが多分さっき言っていたパンフレットなんだろう。そこまで分厚くないのを見て安心する。
なるほど、魔法郵便。こうやって荷物を届けてくれるんだ。
それは分かった。でもさ。
「なんでペリカン?」
なんかもっとフクロウとかハトとか、他のなかったの?
「運び屋といえばペリカンですもの」
まっすぐで綺麗な瞳が私を見据える。
その言葉には絶対の自信が滲み出ていた。
運び屋といえばペリカン。それ常識。
「……なるほど」
腑に落ちないがもう納得するしかない。納得した。追求したくない。
「ご苦労様」
「クエ――――!!!!」
「ペリカン声でか」
エンジェが労りの言葉をかけた途端、ペリカンがすごい声で鳴いた。
ペリカンってこんなんなの。こわ。
いやこれ本当にペリカン?絶対ペリカンじゃないなコレ。
昔お兄ちゃんと動物園に行った時もっと違う鳴き声してた気がする。
あ、でも異世界のペリカンはこういう感じなのかもしれない……。
ひと鳴きした途端ごとん、と鈍い音を立て、ペリカンは石に姿を変えた。
私の拳くらいの大きな薄い水色の石。
形がペリカンに似ているのは気のせいではないだろう。
「簡易使い魔です」
エンジェは言った。なるほど使い魔。
詳しいことはよくわからないけど、ファンタジーの漫画やゲームなどの知識を使えばある程度理解できる。
つまりは使い走りをしてくれる魔物だ。
簡易使い魔なのでそのインスタント版。
よく分からんけど。まぁ不思議アイテムとして認識しておこう。
だったらもっと綺麗な感じの使い魔には出来なかったのか――いや全国のペリカンに喧嘩を売るから私はそれ以上考えることは我慢した。
「そう頻繁ではないですが、異世界から此方の世界に訪れる方が居ます。異世界と此方の世界では大分勝手が違っていて来た方が混乱するので、その方達の為に国が作った説明書ですわ、はいアイ、どうぞ」
そう言って冊子が手渡される。
見るとそのまま冊子が届けられたのではなく、羊皮紙に包まれていてデカデカと赤文字で「重要書類在中」と書かれている。
「どうぞ、開けてください。それで、その、アイ。お願いなんですが、これって無闇やたらに見れるものじゃないのです。異世界に来た人が居た時だけその人に対してのみ発行されるもので……」
だから、見たいな〜見せて?って顔に書いてある。
そもそもこれを取り寄せてくれたのも今こうやって紅茶をふるまってくれるのもエンジェだ。私はエンジェにしてもらってばかりだ。
なのでそれくらいの望みはお安い御用。
断るの理由が無い。
羊皮紙の包みを開け、エンジェとくっついて中身を見た。
出てきた表紙に私は思わず頬を痙攣らせた。
これさ――
「あら、ダサい」
「えっ」
「あ、違いますわ、ちょっと独特な、うん、なんかアレですわね」
私がそれを我慢していたら一緒に表紙を覗き込んでいたエンジェからそれが出てきた。
というか西洋人形風のお嬢様からダサいって出ると思わなかった。
驚いてエンジェの方を見ると照れて弁解し出した。
語彙力ないなお嬢様。でもその言葉に同意する。
本当に。
『異世界はんどぶっく~初めての魔法界のススメ~』
名前からしてクソダサい。
このカタカナをひらがなにしてちょっとかわいい感じ演出しちゃおうみたいな意図を感じて腹立つ。
タイトルなんて虹色。ワードアートで作りました?って感想
ダサすぎて悲しくなってくる。
いや昔、最初に作ったときはデザインとして新しかったのかも、これダサい!何年もそのままにしておかないでデザイン変えようって思う人は居なかったのだろうか。
国は人材不足か?
まぁ今ぐだぐだ言っても仕方ない、と表紙をめくり目次を見た。
『1、初めての方へ 2、この世界とは 3、魔法とは 4、学院についてーー』
各章のタイトルが番号を振られ並んでいた。
私は初めての方へ、のページを開く。
『1、初めての方へ
まずは魔法学院アルカディアにお越し下さい。
異邦人対応担当者コクヨウより専用の書類等を発行させていただきます。』
「えっそれだけ?」
「だけ、のようですわね……他のページからはこの国や魔法についての説明が載っていますが……」
私たちは顔を見合わせて目を瞬かせた。
もっと何かあると思ったのだ。
「とりあえず、行ってみます?アルカディアへ。案内しますので」
「っていうか学校って何処?」
遠かったらやだな。
「ああ、それならあそこに。そういえばもうすぐ正午ですから時間ですわ」
何の、と聞く前にそれは訪れた。
ごうん、ごうん、と鐘が鳴る。
窓から外を覗くと、色んな建物の屋根が見えた。その中で目立って大きな建物があった。
赤茶色レンガで積み上げられた時計台。
鐘の音はそこから鳴っているようだった。
「あの時計台がある所が魔法学院アルカディア。鐘の音は毎日正午に鳴り響くんですわよ。この音には国民を守護する為の魔法がかけられていて……綺麗な音でしょう?」
その言葉を聞いて、私は耳を澄ませた。鐘の音が響き渡っている。
エンジェが言うように綺麗な音だ。
かなり大きな音で鳴っていたが不快感もうるさいなという感想も抱かない。
ずっと聞いていたくなるような綺麗な音。
まるで、子守唄のような、包み込むような、優しい音だった。
私は鳴り終わるまでずっと、何も言えずにずっと、この鐘の音を聴き続けていた。