7 どうして来なかったの?x2
慣れない先生のアパートで一夜を過ごしたので全く眠れておらず、机の上で仮眠を取っていると、寝不足でくたくたな頭にトドメを刺すような大声で辻岡が怒鳴り込んできた。
「どうして昨日は来なかったのよ!」
珍しいこともあるもんだ。
こいつが学校で俺に直接話しかけてきたのはこれが初めてである。
何かよっぽどのことがあるのだろう。
「えー、最低。茨城デートすっぽかしたの?」
「てか、辻岡が茨城とそういう関係だったことにびっくりだわ」
「うわー、俺の辻岡ちゃんがー」
なんか周りの生徒たちが盛大に勘違いをしているみたいだ。
確かにさっきのセリフは俺がデートをすっぽかした彼氏みたいになってるな。
でも、俺としてはクラスの連中が俺のことをどう思っていようとどうでもいいので、誤解は放置しておいても大丈夫だろう。
だが辻岡、お前は少し落ち着け。
不良グループとはいえ、若干リア充よりで、かなりモテるお前は変な噂で大ダメージを食らうぞ。
「悪い。伝えておこうと思ったんだが、辻岡の連絡先知らないからどうにもならんかった。とりあえず約束のものは用意してあるから許してくれ」
俺は引き出しの中から「楽々誰でも赤点回避! 茨城のスペシャル勉強シート」を取り出す。
料理上手な先生がいるのでもう辻岡に頼る必要はないが、辻岡は俺のことを必要としているだろうし、少なくとも三年に上がるまでは面倒を見てやることにしたのだ。
食べ物が勝手に出てきて、風呂が自宅にあるという、天国のような新環境のおかげでいつもより時間に余裕があったので、今回の勉強シートは綺麗な文字で細かいところまでしっかりと解説されている。
お金をもらってもいいようなクオリティ。
芸術品と言えるような代物だ。
だが、辻岡はそれを受け取ろうとしなかった。
「そんなの、どうでもいいわ。どうして来なかったのよ? お腹空いてないの?」
「食べ物を確保する別の目処が立ったからな。俺がスーパーへ行く必要性はもうないんだ」
「人がどれだけ心配したと思って……てか、は? あんた何言ってんのよ?」
「言葉通りの意味だと思うぞ。必要なかったから行かなかっただけだ。ちゃんと勉強シートは渡してるから問題ないだろ。それに、俺が行かない方がお前のバイトの邪魔にもならないし」
「問題大ありよ!」
「いや、間違いなく問題ない」
「じゃあ、教えなさいよ。その別の目処ってのはなんなの?」
「それは……」
多分、正直に言ったらダメなやつだよなこれ。
男子生徒を泊めているなんて情報が出回ったら、先生に迷惑がかかってしまうかもしれない。
「は、畑の栽培を始めたんだよ。最近、トマトとかきゅうりとかが育ってきて――」
「先生ね」
はい、終了!!!
即バレました。
「辻岡、お願いだ。そのことは黙っといてくれないか? 俺と暮らしてるなんてバレたら、先生が大目玉を食らいかねない」
「同棲してるの!?」
しまった俺はバカか。
どんどん墓穴を深く掘っている。
しかも辻岡が大声で同棲だなんて言うので、クラス内では俺が浮気相手と同棲していたクズ男みたいな解釈になっている。
「そ、そうだよ。でも、勘違いするなよ。ご飯を恵んでもらってるだけの関係だ。これからも勉強シートは作り続けてやるから辻岡は何も心配するな。俺は大丈夫だ」
「意味がわかんないんだけど? どうして作り続けるのよ? もうあんたにメリットはないでしょ?」
「お前は俺がいないと赤点取るだろ。そうなると俺の寝覚めが悪いから勝手に手伝ってやってるだけだ。あと……まあ、一応感謝の気持ちとか? これまで餓死しなかったのお前のおかげだし」
「ど、どうして先生を選んだのに、あたしにも優し……」
辻岡は顔を真っ赤にして文句らしきことを言いかけ、何らかの理由で言い切れずに苛立ったのか俺から勉強シートをぶんどるとそれを真っ二つに裂き、その勢いで俺の顔も引き裂こうと手を伸ばしてきたのだが――ギリギリで踏みとどまった。
彼女は一度深呼吸をすると床からシートの切れ端を拾い集め、俺をギロリと一度睨みつけてから、何も言わずに教室を飛び出した。
荒れるのは予想していたが……まさかここまでとはな。
まるで俺と仲良くしている先生に嫉妬しているかのような振る舞いだ。
持たざる者筆頭の俺ごときに、どんな男でもウィンク一つで落とせそうなレベルの美少女である辻岡がそんな感情を抱いているとは思えないが……。
まあ、きっと生理かなんかだったのだろう。
あれだよ、あれ。
日が悪かったのだ。
さてと俺は仮眠の続きを――
「おい、ボンビー」
ガムを大口でくちゃくちゃと見せつけるように噛みながら、不良のリーダー格、ゴールデンモンキーが机の横までやってきて俺の肩を叩く。
うっすい眉をめっちゃ吊り上げてるし何やらこいつもやけに機嫌が悪そうだ。
うざいな……。
俺は寝たいんだよ、邪魔しないでくれるか?
「放課後、駅前の河原に顔を出せ。いいな?」
は?
出すわけないだろ、バカかこいつ?
俺はお前と遊んでられるほど暇じゃねーんだよ。
***
放課後。
いつものように図書室で黙々と勉強をしていると二人目のクレーマーがやってきた。
「どうして辞めましたの? 隼人様はお金が必要なのですわよね?」
流石に二度も同じ間違いは犯さない。
さっきのように下手な嘘をついて墓穴を掘るより素直に説明した方が良さそうだ。
「天堂先生と暮らすことにした。そこで飯をもらっているからお金が前ほど必要じゃなくなったんだ。それに土日は先生の代わりにベビーシッターをやっているから、家庭教師はもうできない」
もちろん伊集院は反論をしたそうに口を開くが、それを見越していた俺は用意してあったコッペパンを彼女の口に突っ込む。
「む、むむンググ……」
コッペパンっていいよな。
安くて美味しくて作りやすい。
その上、固くなるまで放置しておけば武器にもなる。
貧乏人の必需品だ。
「でも、心配するな。ちゃんとお前の勉強も見てやるよ。お前の父さんとした、お前を学年トップ10に入れる約束はちゃんとやり遂げるからな。平日に図書室に来てくれたら、いつでも教えてやるよ」
図書室で勉強を教えることは時間の節約の他にメリットがもう一つある。
学校ではある程度の節度を保っている伊集院が暴走できないということだ。
つまり俺が理不尽な目にあわずにすむ。
「……は? ワタクシに無償で勉強を教えると?」
「ああ」
「冗談じゃありませんわ! 人をバカにするのも大概にしてくださいまし! そんなの絶対に許しませんわよ!」
ビシッと人差し指を俺の目の前に突き立ててから、伊集院は身を翻して図書室から逃げていった。
……怒るポイントそこか?
無料でできることにまでわざわざお金を払いたいとかわけがわからない。
やっぱり金を持ちすぎると、ああやって頭がおかしくなるんだな。
将来、あまり儲けすぎないように気をつけよう。