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5 佐藤先輩は常識人

 ピンポーン。


 日曜日、午後二時。

 今回、俺が鳴らしたドアベルはごく普通の一般的な一軒家のものだ。


「はい、はーい」

「佐藤先輩、俺だ」

「わかったよ。すぐに行くね」


 ここは三年生の先輩、佐藤さとうかおるの家。


 俺の目的を達成するには全科目ほぼ一位を目指さなければならない。

 だが、数学だけはどうも苦手なので、ダメもとで学年一位の先輩に土下座して頼み込んだ結果、ちょうど去年学んだ範囲の復習をしたかったらしく、そのついでに教えてくれることになったのだ。


 それ以降、俺は毎週彼女の家に通って数学を教えてもらっている。




「お待たせ、おいでよ茨城くん!」

「おう」


 ショートカットの黒髮、ボーイッシュな短パンからすらりと伸びる綺麗な足、おへそを時折ちらりと覗かせる短めのTシャツ。

 テニス部の部長をしているだけあり、とてもスポーティな容姿である。

 部活と勉学を両立している文武両道な先輩は俺の憧れだ。


「居間で待っててね。ジュース持ってくるから」

「ありがとな」


 なんという和の魂溢れる美しいおもてなしの精神。

 自己中度マックスな伊集院や辻岡とはえらい違いだ。


 俺の周りには佐藤先輩以外の常識人なんて一人もいないので、ここに来るのが俺の人生に置いて唯一の癒し。

 佐藤先輩の家は憩いの場だ。

 今日は特に問題なくしっかりと勉強ができそうでなによりである。



「茨城くん、ぶどうジュースとりんごジュースどっちがいい?」

「たくさん余っている方か、賞味期限が切れそうな方にしてくれ」

「相変わらず節約することに関してはすごい熱意だね……」


 節約ではない。

 別にどっちでもいいので、もっとも合理的な判断を下しているだけ。

 常人には無駄が多いからそう感じるだけだ。


「はい、どうぞ」


 出てきたコップの中には、ぶどうジュースともりんごジュースとも思えない、未知のスライムのような緑色の物体が潜んでいた。


「……混ぜただろ?」

「うん、混ぜちゃいました! 色々と」


 佐藤先輩は一般的な常識の範囲で時々こういうお茶目なこともしてくるから侮れない。

 もし俺が切羽詰まった生活で一杯一杯じゃなかったら、彼女にズキュンとワンショットで落とされいただろう。

 しっかりした部分と可愛げがある部分が合わさって最高の魅力となっているのだ。

 学校でよく告白されているとの噂を聞くのも納得。




「ところで茨城くん、お姉さん一つ質問があるんだけど……」

「なんだ?」

「天堂先生と付き合ってるの?」


 ブフウゥッ!


 盛大にジュースを吹いてしまい、開いたノートのページに斑点模様のスタイリッシュなデザインが出来あがった。

 憩いの場でもその話題からは逃れられないか……。


「なわけないだろ」

「そうなの? でも、先生と屋上でイチャイチャしてるのを見たって証言があるらしいけど。ねえ、お姉さんに本当のこと話してみない?」


 た、確かに先生があーんをしてきたのは事実だが……。

 俺と先生はそういう関係じゃない。

 もう三度目だが、今回も頑張って誤解を解こう。


「別に何もないぞ。ちょっと貸しがあったから、お礼に弁当を作ってもらっただけだ」

「ふーん、そうなんだ。でも、先生の連絡先に茨城くんの名前があったのを見たって聞いたし、通知履歴も茨城くんとのやりとりばかりだったらしいよ?」

「そ、それは先生が無理やり連絡先を……!」


 くっ、なぜ貴様はそこまで知っている!?


 先生がおっちょこちょいだからか?

 口を滑らせまくって詮索しようとしている生徒たちに、あることないことをうっかり吹聴しまくってるのか?

 あの先生ならありえるな。納得。


「ねぇ、詳しく教えてくれない?」

「詳しく教えるも何も、何もないんだから教えようがないだろ」

「本当かなぁ……? 本当はこういうことしてるんでしょ?」


 そう言って彼女は俺の背中に腕を回し、ピアノを演奏するような滑らかな動きで優しく指を背骨に這わす。

 そして小悪魔的な微笑みを浮かべながら俺の耳元に――



「ちゃんと白状しないと勉強教えてあげないよ?」



 ――と艶やかな声で囁いた。


 先生より年下なのに、なぜか先生よりも年上の色気を感じさせる彼女の官能的な行動に、俺の心臓はドクンドクンと大きく鼓動する。

 このままじっとしていれば、俺はされるがままに押し倒されてしまい、手籠めにされてしまうのだろうか。


 だが、それも一興。

 骨折して体が動かない患者の世話をする看護師がごとく、緊張で動けない俺は先輩に介抱されて、大切なものと引き換えに至福のひと時を――


 ……っと、危ない。


 煩悩に乗っ取られて脳がおかしな考えに脅かされていた。

 俺はあくまでも勉強するためにここに来ているのであって、こんなありきたりな青春めいたくだらないことをしている場合ではないのだ。


「……だから、何もないんだって。あと離れろ。暑い」


 てか、先輩何やってるの?

 

 正気に戻って気づいたけど、俺が知っている先輩は優等生で常識人で優しくて面倒見がいい、そういう良い意味で大人な人なのに、こんなアドルティーなことをしてくるなんてらしくない。

 しかもその対象が俺だってのも全く意味がわからない。


「まさかライバルができちゃうなんてね。僕しか気づかないと思ってたのに」


 小声でそう呟き、先輩は残念そうな……とも捉えられるが、実際はからかっているだけと思わせるようなワンクッションを置いた表情を浮かべる。

 女心に疎い俺は彼女が何を考えているのか見当もつかない。


「茨城くん、気をつけてね。あんまり天堂先生と仲良くしたら、勉強教えてあげたくなくなっちゃうかも……」

「なんでだよ! それは困る!」

「ふふふ、冗談だよ」


 や、やっぱりからかってたのか……。

 意地悪な先輩だ。




 そこから先は普通にいつもの勉強会だった。

 つまづいていた積分の問題についてわかりやすく解説してもらい、自力では解けなかった難題を一問づつ片付けていく。


 だが――


 先輩の言葉、先輩の動き、先輩の表情が一々気になって中々勉強に身が入らなかった。

 少し近づかれただけで、お化けにでも出くわしたようにドキッと心臓が跳ねる。

 急に話しかけられただけで、頭が真っ白になって勉強していたことを忘れてしまう。


 結果、俺は先輩に同じ定理をなんども説明させてしまった。

 これまではこんなことなかったのに……。


 これも先生が俺と関わり始めたせいなのか?

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