4 伊集院フェリシアは理不尽
土曜日、午後1時。
俺はバイト先の家のドアベルを鳴らす。
俺の事実上の保護者であるおじさんが暮らしているガラス張りの豪邸もかなりのものだが、ここはそれすら霞んで見えるレベルの超豪邸。
おじさんの家が成金感溢れるトーキョータワーで、こっちはスタイリッシュなエッフェル塔ってところだ。
おしゃれ度が違う。
「はい、どちら様でしょうか?」
「家庭教師の茨城です」
「畏まりました。少々お待ちください」
使用人さんに許可をもらうとギギギーッと門が自動的に開く。
俺にはお金が必要だ。
お小遣いを渡してくれるべき両親は借金残してくたばったし、奨学金ではカバーしきれない大学生活用のお金も貯めないといけないし、現状の最低限の生活を送るための費用も全部自腹で払わなければならないので、これは避けて通れない道である。
だが、俺には時間も必要だ。
低賃金の奴隷バイトなんかで生活費を稼ごうものなら、勉強する時間がなくなってしまう。
それはどうしてもいただけない。
なので俺は手堅く稼ぎつつも、あまり勉強の邪魔にならないような仕事を見つけなければならなかった。
好待遇の仕事をこなすスキルも、裏口から美味しい仕事にありつけるコネクションも、水商売で手早く稼げるルックスもない俺に、そんな仕事が見つかるわけがないと思うかもしれないが……。
どういうわけか学校でそんな仕事の張り紙を見つけてしまったのである。
後輩の家庭教師だった。
しかも、後輩が美少女令嬢といった破格のボーナスつき。
だが、もちろんそんな美味しい仕事には裏があり――
「ねえ、隼人様。早くそこに横になって、ワタクシの椅子になってくださいまし?」
そう。ハーフの金髪碧眼美少女、伊集院フェリシアはとんでもないドSの、わがままクソガキだったのである。
「は? 嫌だよ。そんなことより、さっさと勉強するぞ。大人しく教科書を出しやがれ」
「は? 何を言ってらっしゃるの? 隼人様に拒否権はありませんのよ?」
「ところがどっこい、俺の雇い主は伊集院じゃなくて伊集院の父さんなんだよな。だから、お前のくだらない要求に答える義理はないんだよ。お前は俺の言う通りに勉強してればいいの」
「意地でも従う気はないみたいですね。わかりましたわ。では、こうしましょう。お父様! 助けてくださいまし! 美しすぎるワタクシを見て発情した隼人様が、ワタクシのお尻をいやらしくモミモミと――」
「ストゥーーーッップ!!! 冤罪を被せるのやめような? 誰も幸せにならないぞ、それ」
「冤罪じゃないですわ。これを聞いてくださいまし」
スマートフォンを机の上から持ち上げ、いつの間にか録音されていた音声をポチッと再生する伊集院。
『大人しく……シ……リ……を出しやがれ』
「明らかに切り貼りしてるよね? 音声途切れまくりなんだけど?」
「でも、お父様なら信じてくださるわ! ワタクシのことを愛しているもの!」
いや、信じるとか愛してるとかそういう問題じゃないから。
明らかに合成音だから。
「どうして隼人様も、みんなのようにワタクシを愛してくださらないの?」
「あのなぁ……。愛するってのは、別に何でも全肯定するって意味じゃないからな」
意味がわからないとでも言いたげに伊集院は首を傾げる。
まあ、わからないよな。
こいつの父さんめっちゃだだ甘だし、学校でもお姫様のように祭り上げられてるし、イエスマンに囲まれて育った結果こうなってしまったのだろう。
ノーマンに囲まれて育って、捻くれまくってしまった俺とは正反対だ。
「とにかく、今日はまた世界史やるぞ。先週どこまでやったか覚えてるか?」
「……」
「思い出せないのか? あのなぁ……月曜日にテストがあるんだろ? 復習しとけって言ったじゃないか。そんなので大丈夫なのか?」
「あの時は隼人様が椅子になっているのを想像しながら勉強をしていましたので、また椅子になってくれませんと思い出せませんの!」
……そのネタ引っ張るの?
しかもお前の想像の中の話じゃん。
そんなことまで責任持てるかよ。
「仮に俺の上に座ったら実際に思い出せるとしても、テスト中はどうするんだよ? 俺を椅子代わりに持ち込むのか?」
「ちゃんと考えてありますわ。超一流の世界的に有名な肉屋を大金で雇って、隼人様の皮を剥いでもらって、その皮でクッションを作りますの。ボブ、入っていいわよ」
「イエス、マイレディー!」
なんか血まみれのエプロン纏った白人のおっさんが部屋に入ってきたんですけど!?
なんかでっかい包丁持ってるんですけど!?
どうでも良いけど、なんか二刀流なんですけど!?
とんでもないお嬢様だ。
無茶苦茶な要求をしてくるのはいつものことだし気にならないが、流石にここまで暴走がエスカレートしてしまうと、俺は職を失うリスクを覚悟して抗議しなければならない。
「もったいねーよ! そんなことに金を使うぐらいなら、肉屋を雇う金と包丁を俺に渡せ! 自分でやってくる」
こんなくだらないことのために金を使うだなんて信じられん。
こいつはいっぺん俺と一緒に貧乏テント生活をして金のありがたみを勉強した方がいい。
ボブから包丁を奪い取り、金を受け取る気満々で俺は伊集院に催促をする。
だが、なぜか彼女はすっかり黙りこくってしまい、不機嫌そうな顔を浮かべて俯いている。
なんだよ、今度は反抗期か?
「どうかしたのか?」
「……隼人様は天堂先生と付き合ってらっしゃいますの?」
まーた、これかよ。
一度教室に来ただけなのに、もう下級生まで噂が広まっているみたいだ。
「なわけないだろ。大体、俺みたいな何もないクソガキが大人の先生と――」
「隼人様はおっきなおっぱいがあれば誰でもいい変態なんですの?」
人の話を聞けよ!
「俺の性癖なんかどうでもいいだろ」
「いえ、どうでもよくありません。教えてくれないと勉強しません!」
「勉強しなかったら困るのは俺じゃなくてお前だろ」
「ワタクシがテストで赤点を取ったら隼人様は首になるんですのよ? お金が必要なのでは?」
「わかったよ、教えればいいんだろ。そうだな……。おっぱいの大きさより、性格の良さとか、能力の優秀さとかの方が重要だと思うぞ」
「嘘ですの!」
いや、信じる気がないのなら教えようがないんだが。
「お父様も隼人様も学校の下僕たちも、みんな嘘つきですの! みんなワタクシのことを可愛い愛してると持て囃すのに、結局最後は巨乳の奇形ブスとイチャイチャするんですの!」
「まあ、そういう現金な男がいることは否定しないが……全員がそうなわけでもないだろ?」
「いえ、絶対に全員がそうなんですの!」
「何がお前をそう確信させてるんだよ……。誰とも付き合ったことないだろ、お前?」
上流階級すぎて恐れ多い。
美少女すぎて恐れ多い。
しかも過保護な父親に守られているという、三重の鉄壁防御。
それをなんとか乗り越えた超級の度胸を持つ男を待ち構えているのは、この最悪な性格。
こんなのが人とまともに付き合えるわけがない。
「う、うるさいですわね……。付き合った事がなくても、ワタクシは男の浅はかさをこれで証明できますの!」
机の引き出しを開き、伊集院は中から木製のフォトフレームを取り出した。
白いワンピースを纏ったモデルのような体型の女神。
伊集院が提示した証拠品は、そんな白人美女と彼女の父親が口付けをしている写真だった。
「これをお父様の書斎で見つけましたの。お父様はこのおっぱいが大きい女とは本当のキスをするのに、ワタクシとはしたことがありませんの!」
いや、実の娘の口にキスするのは一般的にセクハラに分類されるものだろ……。
だが、これで事情は大体わかった。
これを見つけてしまったのと、俺と先生の妙な噂が出回ったのが重なって、全体的に男というものに対して疑心暗鬼になっていたんだろうな。
それで勉強に身が入らなくて、気を紛らすために、椅子になれだの皮を剥ぐだの妙な要求をしていたのだ。
ならば、こう言ってあげるのが正解だろう。
「俺が付き合うんだったら、間違いなくその写真の女より伊集院にすると思うぞ」
不意打ちの言葉を受け、伊集院の顔はカーッと燃え上がる。
一応、本音なので嘘ではない。
伊集院ははっきり言ってゴミのような性格をしているが、逆に言えば悪いところも良いところも全部晒してくれる信用できるやつだ。
この写真に写っている女神は確かに美人だが、知人ですらないのだから、その程度で好きになれるわけがない。
普通に考えて、知らない人は恋愛対象に入らないだろ。
「は!? う、上から目線で、なんて偉そうなことを……。わ、ワタクシが隼人様みたいな下民と……つ、つ、つきあうなんて……」
そりゃそうだ。
俺も別にお前と付き合うだなんて言っていない。
あくまでもその写真の人とお前だったら、お前の方が良いと言っただけだ。
何をそんなにテンパってるのやら。
ピピピピロリン。
おっと、誰かからメッセージが届いたみたいだ。
俺はポケットからガラケーを取り出した。
『これからうちへいらっしゃい! 美味しい物がありますよ』
先生か。
残念だが、今はバイトの最中なんで断らないといけないな。
「隼人様もやっぱり嘘つきですの!!! 先生の美味しい体を堪能するんですの!!! いっぱいいかがわしいことをするんですの!!!」
「おい、勝手に覗くなよ! あと落ち着け、ちゃんと断るから。俺には伊集院との先約があるだろ」
「そ、そうでしたの……」
今にも泣き出しそうだったが断ることを伝えるとすぐに落ち着いてくれた。
やっぱりめんどくさいな、こいつ……。