発端
ある島には、化物がいた。
その化物は、全身に紫色の斑点が散りばめられ、肌は青く、胸に大きな穴が開いていた。個体によって指は三本だったり四本だったり、腕が折れていたり、手首に線上の赤い模様があったり。とにかく気味が悪いものだ。
化物は建物を破壊したり、大声で叫んだり、火を光線上に噴いたりといった化物らしい行動は一切しなかった。それどころか、人の迷惑にならないような自然構造物の影に隠れる個体も多かった。もしかしてこの動物案外温厚なのでは? と命知らずの四人の研究員が接触を試みたが、意外にも成功した。桜の七分咲きを観測したこの日を機に島各地で化物の生態調査が始まった。
季節が二回ほど変わった頃にとある小規模研究グループが『化物は知能を持ち、文字を使った会話ができる』ことを、写真付きの論文でネットに公開した。情報は瞬く間に拡大、網にかかった魚の多さで半日のうちにワイヤーの巻き上げ機がいかれた。
メディアもこの件を大々的に取り上げ、結果化物の存在は噂が何本か流れる程の社会現象にまで発展した。『化物との共存』なんて言う話が島の南部で持ち上がった時、三人の学者が記者会見を行った。
「今後、化物との接触を絶対にしないでください。あれは、危険です」
黒の額縁を持った1人が話を切り出した。
校舎裏の緑の影にて。
複数の嗤い声に囲まれる少年。耐えきれぬ苦痛が、顔に2つの滝を作る。
嗤い声は少年のみぞおちに悪意を打ち込む。脳にまで響く鈍い音が、数回。打ち込まれた悪意にひれ伏す少年を横目に、嗤い声はボロボロの鞄から百均のポーチを取り出し、野口さんを三人さらって行く。
嗤い声は背徳的喜びに変わり、少年にコマンドを残し、遠ざかっていった。
少年は怒りと悲しみの板挟み状態、身体的ダメージもあってか、暫く動けなかった。
少年は、いじめにあっていた。原型を何とか保っている学生鞄と学生服に染み付いた赤い斑点がその過激さを物語る。
少年は所謂多動症を患っており、少年が発する快感とは言えない音に苛立ちを覚えた1人が手を出したのが始まり。同等の感情を抱いていたからか、クラスメートはいじめを容認し無視を続けた。多人数が振り上げる正義に苦しめられる日々を送り続けた。
女手1つで頑張る親は心配した。当然だ、自分の可愛い1人息子がいつもアザだらけで、唇から赤を流し、虚ろな目で帰って来るのだから。少年の担任も、残業地獄の中少年の様子を伺った。
少年の返答は、子供特有の恥じらいと一方的な思いやりからなる力無き言葉。
少年には友と呼べる者がいた。共に六つの時に知り合い、常くだらない日常的な会話を交わした。試験がある度互いに成績を競いあった。勝っても負けても笑い会う。互いの家に赴き目一杯娯楽を楽しんだ。外で遊べないからと言い、体感を用いたTVゲームでおもいっきり体を動かしていた。意見が合わず、対立することもあった。近くの河原で実力勝負になった時は周りに多大な心配と怒りを与えたが、繋がりは一層深まっていた。
いじめが始まってからも、繋がりは絶たれなかった。少年が苦痛の涙を見せたのは、友だけであった。そんな様子が目に写り、嗤い声は苛立ちへと変わった。共々に気に食わねぇなと言い合った。
嗤い声が、友を誘う。質問攻めからの、勧誘を数回。少年との付き合いから、金回りに至るまで。
友は揺るがない。見えずとも、少年と友には深い繋がりがあった。苛立ちは、嫉妬した。
脅迫と、悪意を一発。日の光を執拗に浴びせた鉄の凶器を見せびらかす。そして、2択を提示する。
屈服か、苦痛か。
友は、屈服を選択した。
少年の苦痛を、選択した。
少年は日を追うごとに眠りが浅くなっていった。精神的ダメージもだが、視覚刺激の量質の増加も原因の1つだった。嗤い声の言葉が増すほどに画面との距離は短くなる。日を重ねるごとに費やす時間は長くなる。眼球の挙動は、隙間を埋めるものを、癒すものを求め、激しいものとなる。それに連動したのか、両足もばたつき始める。
白い鳥が通知を一件、呟く。少年は白い鳥に訪ねる。
少年に似た誰かが、満足そうに煙を吸って、吐く。見ていた嗤い声は、何時も通り。やがて手に持った煙が尽きると、誰かはきらびやかなデザインの上に、ジュースとマジックで粗雑に書かれた缶の中身を飲み干す。鼻をつまみ、くせぇくせぇなと嗤い通す。誰かは頬を赤め、背徳的喜びに手を染める。
30秒ほどの空白の後、青黒の塗料に染まる少年。塗料が乾いて固まったのか、指も足も、微動だにしない。
白い鳥は1割の疑いと9割の批判を、淡々と呟く。50件辺りで少年は意識が途切れる。一時間程すると、白い鳥も燃料切れで眠りにつく。
鳥の呟きが脳内でループしてるのか、うつむき表情のまま静寂と束縛の呪いを受け数時間。途中1時間気を失いかけていたが突然の雷雨により意識を取り戻す。
少年は外付け足場身を移し、風に当たる。雨上がりの、特徴的な生ぬるい風。手すりの酸性の雨粒に紛れる、塩分を含む水滴。足場にも降る小雨は、周辺を音もなく湿らせてゆく。
嗤い声が背後で響く。理解不能で、自己中心的な理論を展開した後、少年に向けコマンドを発する。
実質的な、死刑宣告。
嗤い声と賛同の歓声は、10秒もしない内に空間中に広がる。余りにも無邪気で、無知で、悪意に満ちた嗤いが、24畳程の空間にに響き渡る。
少年は友に救難信号を送るが、友は既にいない。
先生にも救難信号を送るが、先生は度重なる疲れと指導精神をもって受信を拒否した。
電子機器に手を伸ばす。エネルギーメーターは0%を示している。
文字通りの四面楚歌。少年は足が震え、すくみ、鳥肌をたて、唇は空気を啄み、目は挙動不審。
限界であった。
心は、音を立てて、割れた。
少年はうつむき、足の震えが止まる。歓喜の声も、少し静まる。少年は一番大きな嗤い声を発していたクラスメートの元へ歩み寄る。歓喜は沈黙へ変わり、目を丸くし眺める。クラスメートは下位生物の抵抗を嘲笑い、同時に自己の欲求を満たすが為の恐怖政治の鉄槌を降り下げる。
少年は躊躇いなく、鉄槌の持ち手を中心から92度折り曲げる。分厚いベニヤ板を割った音と共に響き渡る、クラスメートの悲鳴。沈黙の半分は共鳴し、もう半分はどよめきと化した。何人かは捕縛を試みたが、直ぐに中断した。
それは、余りにも残酷すぎた。少年は息も絶え絶えにクラスメートの肉体を、もて余すことなく痛め付けた。悲鳴とどよめきは再び沈黙した。一言も発せなかった。目の前の事象が、余りにも生々しく、鮮やかで、残酷で。ただ、恐怖に身を震わせる他なかった。
やがて、少年の手は止まった。クラスメートだったものは、頭部のみ原形を留めていた。
若干心に余裕を生み出した1人が治安部隊に向け信号を発信、数分後駆け付け、少年にアサルトライフルの銃口を向ける。
部隊の1人が、少年に応答を求める。が、少年は、足も手も、口も動かさない。
···
10秒の騒音の後、少年は力なく倒れた。空間には安堵の息と、混乱の音と、鉄と硝煙の匂いが混ざり会う。
1人が、少年に目を向ける。目を向けた先にあったものは、少年と呼べるものではなかった。
それは、全身に紫色の斑点が散りばめられ、肌は青く、腕が折れていた。
胸に、拳大程の穴が空いていた。粗雑に開けられた、しっかりと貫通されていた、赤色に染まった穴が。
部隊報告
『化物』個体数 約1000
『化物』殺傷数 約600
『化物』予備軍 約100万
以上