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その8

 へびさんに目を戻すと、彼は桜ではなく私を見ていた。それもうっとりした表情で。ああ、駄目だ。また顔が熱くなる。この人、なんでこんなに無駄に格好いいんだろ?


「赤いですね」


 唐突にへびさんが私に顔を近づけた。


ーーうわ、気づかれた!


「かゆいんじゃないですか」


「え?」


「ほら、目の縁が赤くなってます。花粉症ですね」


 言われてみればむずがゆい。毎年春には症状が出るんだけど、今年はまだ初めてだ。一度に色々起こりすぎて目のかゆみを気にしてる余裕なんてなかったみたい。


「外に座ってたからかもしれませんね」


彼が私の方に向き直った。と思うと、両手を伸ばして私の頭を自分の胸に押し付けた。一瞬の事で逃げる暇もない。


「じっとしててください。すぐに終わります」


 彼は両腕に力を込めた。滑らかなスーツの生地越しに彼の心音が聞こえて来る。初めて触れたへびさんは暖かくて春の匂いがした。この人、ちゃんと実体があったんだ。あれ、かゆみがすうっと軽くなった。


 へびさんはなんとなく名残惜しそうに私の頭を解放してくれた。


「どうやったの?」


「私、こういう特技があるようなんです。もう少ししたら鼻水もとまると思いますよ」


 うひゃ、鼻水なんて出てたの? 恥ずかしすぎる。


「病気が治せるって本当だったんだね」


「なんでも治せるわけじゃないんですよ。まだまだ勉強中です」


「勉強してるの?」


「ええ、病気の仕組みが分かった方が治しやすいので、色々と専門書を読んで調べてるんです。アレルギーは根治が難しいんですよ」


「本を読むんだね。だから蛇なのに世の中の事をよく知ってるんだ」


「本だけじゃなくて、テレビも見ていますから。ドラマや映画が好きなんです。もちろんニュースも見てますよ」


「どこで見るの?」


「あそこです」


 彼は私が掃除に通っていた古民家を指さした。


「あの家を使ってたのってへびさん?」


「はい、村長さんが構わないと言ってくれて、毎晩あそこでテレビを見たり本を読んだりしてるんです」


 古民家の利用者の正体がわかってすっきりした。村の人たちにとってへびさんの存在は迷信や怪異ではなく、日常の一部なのだということもわかってきた。


「入ってみますか? あれ? デート中に自宅に誘うのはおかしいですよね? お借りしているだけなので自宅というわけでもありませんが」


「ううん、案内してよ」


 居間に入ると掘りごたつの上に菓子を載せた皿が置いてあった。お当番の人が置いていってくれたようだ。菓子の間にご結婚祝いと書かれた紙を見つけて彼は赤くなった。


「すみません。気が早かったですね。……お恥ずかしいです」


 なんと返事をすればよいのかわからない。私が困った顔をしているのに気づいたのか、彼はこたつの上のお菓子を指さした。


「せっかくだからごちそうになりませんか?」


「うん、お腹すいたかも。お昼ごはん、ちゃんと食べてないんだ」


「お茶も入れますね」


 へびさんはおしゃれなデザインの電気ポットのスイッチをいれ、水屋から小皿を出してきた。お湯がわくと手慣れた様子でお茶を入れる。神様にお茶をいれさせるなんておばあちゃんに見られたら叱られてしまう。


「日本茶はいいですね。いつもおいしいお茶を用意してくださってるんですよ」


 彼と向かい合って掘りごたつに座った。部屋の中は少し肌寒かったので、こたつに足をいれるとちょうどいい感じ。


「冬はこの中でとぐろを巻いてテレビをみるんです。暖かいのが好きなもので」


「とぐろ?」


「はい、へびですから」


 そうか、あの蛇の皮はへびさんのだったのか。この人は本当に蛇なんだ。それもずいぶんと大きな蛇らしい。


「こういう古いおうちは天井が高いですからね。冬は暖房代も高くつくでしょう。その点、掘りごたつは経済的でよいですね」


 外国車を神社に奉納する村民が少々の電気代を気にするとは思えないんだけどな。へびさんは倹約家のようだ。


「家まで使わせてもらってありがたいことです。こんなに素敵なおうちなのに、私しか使っていないようなんですよ」


「この家、へびさんのための家なんだと思うよ」


「そうなんですか? 結婚したら新居にしてもいいとまでおっしゃってくれて…」


 へびさんは自分の言ったことの意味に気づいたらしく赤くなった。私もつられて赤くなる。気まずい。


 そのうえ、ここでへびさんと暮らしている自分の姿まで頭をよぎってしまった。それはそれでなんだかとても楽しそうな気がする。暮らしたところで三年前みたいな結末になるのは目に見えてるんだけど。


「この家もあの車も、へびさんが里を守ってくれてるお返しに貸してくれてるんだと思うよ」


 赤い顔を見られないようにお菓子に手を伸ばしながら私は言った。さっきから顔が赤くなりっぱなし。これじゃ身が持たないよ。


「守ると言ってもたいしたことはしてないんですよ。最近は見回りをするぐらいです。私にできないこともたくさんありますし、里の方にお願いしてやってもらうことが多いですね」


「どんなこと?」


「この先、地盤が緩みそうな場所に木を植えてもらったり、痛んだ橋を補修してもらったりするんです。今は里にも重機がありますから、里の方がやった方が早いんです。私なんてたいしてお役にたってはいないと思うんですけどね。義明さんはよくやってくれてますよ」


「よっちゃんが?」


「いつもバイクで里の見回りをしてるでしょう? 新入りの人にアドバイスしたり、届け物したり、忙しそうですよ」


 よっちゃん、サボってる訳じゃなかったんだ。


「里の人にはどうやって連絡を取るの?」


「こたつの上にメモを残しておくんですよ」


 ああ、あのメモ用紙は神様からのメッセージだったのか。


「おばあちゃんがメモを受け取りに来るんだね。へびさんに会うこともあるの?」


「いいえ、私がここにいるときには誰も来ないんですよ。やっぱりへびは怖いんだと思います」


 そりゃ、あれだけ祟り祟りと言われていたら、誰もここには近づかないはずだ。祟りと言えば、気になってたことを聞いておこう。


「へびさんは人を祟ったりする?」


「そんな怖ろしいことはしませんよ。祟れと言われてもどうすればよいかわかりませんし」


「でも、岩を落として事故を起こしたり、しようと思えばできるんでしょう?」


「そりゃ、できないことはないですが、菊子さんは私がそんなことをすると思ってるんですか?」


「ううん、そういう意味じゃないの」


 彼が傷ついた顔をしたので私は慌てて言った。


「よっちゃんが大学から来た研究者が祟りで事故死したって言ってたから、気になって」


「岩を調べに来た人ですか?」


「うん」


 へびさんは不思議そうに首を傾げた。


「そのような事故はなかったはずですよ。大学の研究室の方々ですよね? 後から調査の報告書をネットで読みましたが、著者名は調査に来られた教授のお名前でしたよ」


 嘘だったの? でも村長さん、どうしてそんな嘘をついたんだろう? 


「ネットで読んだの? へびさん、PCも使えるんだね」


「はい。動画もよく見ますよ。昔はよく遅くなったり止まったりしたので、故障なのかと思ってメモに書いておいたのですが、最近はとても快適になりましたね」


 村民に光回線をもたらしたお告げの正体がわかった気がした。



        *****************************************



 へびさんはその後もいろいろな話をしてくれた。彼の柔らかな声についつい聞き入ってしまう。なんとか諦めてもらえるように話を持っていくつもりだったのに、このまったりと心地の良い時間を終わらせたくなかった。


「昼間はいつも何をしてるの? ずっと里の見回りをしてるわけじゃないでしょう?」


「そうですね。でも、この時期はいつもよりも忙しいんですよ。菊子さんのような花粉症の方が増えますので、治して回ってるんです」


「え? 里の人を抱きしめて回るの?」


「そんな事はしませんよ。物陰から気づかれないように治すんです」


「ぎゅうっと抱きしめなくても治せるんだね」


「え? は、はい……」


 へびさんは慌てて視線をそらせた。


「ふうん。そうなんだ」


 彼は赤くなってもじもじしていたが、やがて観念したように頭を下げると、こたつの天板に押し付けた。


「すみませんでした。どうしても菊子さんに触ってみたくなっちゃったんです」


 彼は少しだけ頭を傾けて上目遣いに私を見た。


「あのう、怒ってますよね?」


「まさか治療の名目でセクハラされてたとは思わなかったからね」


「セ、セクハラなんてそんなつもりでは……」


 この状況でどうやって怒れっていうんだろう? 小さくなってしょげてる里の神様はあまりにも可愛すぎた。私はこたつの中で足を延ばして、彼の足にぎゅっと押し付けた。


「菊子さん? 何するんですか?」


 彼はぴょこっと飛び上がった。


「私も触ってみたくなっちゃったから、お返しするね」


 彼の驚いた顔が面白くて、思わず声を立てて笑ってしまう。


「菊子さん?」


「ごめん、つい……。あの、怒ってないから、気にしないで」


「笑いましたね」


「だって、そんなかわいい顔するから」


「かわいい、ですか?」


 彼の声のトーンがわずかに下がった。しまった。調子に乗りすぎたかな。ついつい相手が神様だってこと、忘れてしまう。


「菊子さん、昔もかわいいって言ってくれたんですよ」


「え?」


 へびさんは遠くを見るように微笑んだ。でもその笑顔はとても寂しそうに見えた。


 そうだった。この人は誰も来ないこの部屋でずっと一人で過ごしてきたんだ。そして、私が里を去ればまた一人になってしまう。それを思うと楽しい気分もすっと掻き消えてしまった。 


「ねえ、へびさんはいつからこの里にいるの?」


「はっきり覚えてはいないんですが、大きな集落ができたころにはいましたね。戦乱から逃れてきた人たちが住み着いたんです」


「どの戦乱?」


「源平の戦いのころでしょうか?」


「そんなに昔?」


「はい」


「その頃からずっと一人でいたの?」


「はあ、まあ……」


 へびさんが口ごもった。


「言いたくないことは言わなくていいよ」


「いいえ、菊子さんには隠し事はしたくありませんからお話します。私、長く生きているもので、今までにも何度か結婚したことがあるんですよ」


「奥さんはここの人だったの?」


「はい。最後の妻が亡くなって二百年以上になります」


「どうしてそれから二百年も結婚しなかったの?」


「彼女の事が忘れられなくて……」


 へびさんの顔が曇る。その人を失くしてからずっと一人でいたんだ。そして、今もまだ彼女を想ってる。


「大好きだったんだね」


「ええ、とても」


 へびさん、辛かっただろうな。二百年という年月を思うと胸が痛む。でも、なんだろう、このこみ上げてくる気持ちの悪い感情は。


 その人のこと、忘れてくれたらいいのに。


 私だけを見てくれればいいのに。


 私だけのものになってくれればいいのに。

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