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その5

 数日後、古民家の掃除を終えて家に帰ると、とんでもないことになっていた。


 父がちゃぶ台の向こうに正座して私を待っていたのだ。普段のちゃらんぽらんな父だとは思えない神妙な顔で床の座布団を指さした。


「菊子。座りなさい」


 どうしちゃったんだろう? 再婚相手でも見つけてきたのかな?


「今日、父さん、『みずぃさま』に会ってな」


「『みずぃさま』って蛇の神様のこと?」


「そうだ」


「お父さん、大丈夫?」


「ああ、大丈夫だった。祟られてはいないと思う」


「じゃなくて頭は大丈夫? どこかにぶつけたんじゃないの?」


「本当に会ったんだ 。畑の水をどうやって引けば効率がいいのか悩んでたらな、出てきてアドバイスしてくれたんだ」


「神様が?」


 お父さんまで里の神様信仰に感染しちゃったの?


「それでな、お前を嫁に欲しいっていうもんだから」


「はあ?」


「いいですよって言っちまった」


「ええ?」


「明日の午後二時に来られるそうだ」


「明日?」


「『みずぃさま』からの直接の依頼だ。断れないだろう?」


「お父さん、里の神様なんて迷信だって言ってたじゃないの。第一、神様なんて見えないでしょ?」


「見えたよ。蛇の姿をしてたんだ」


「蛇としゃべったっていうの?」


「そうだ」


 これはまずい。完全にいかれてしまった。どこに助けを求めればいいんだろう? 里にも診療所があるけど、この狂気が里ぐるみのものなら、町まで連れて行かないと。仕事の面接は再来週なのに入院になったらどうしよう。東京まで連れて帰ったほうがいいのかな。お父さんの荷物、全部持ってきちゃったのに困るなあ。こんな事なら田舎行きなんて、何がなんでも反対しておけばよかったよ。


 その時、玄関のベルが鳴った。


「出てくるからちょっと待ってて。どこにも行っちゃダメだよ」


 おかしくなってしまった父に釘を刺して、ドアを開けると村長さんが立っていた。


「菊子ちゃん、この度はご婚約おめでとう」


 彼は私に向かってにこやかに笑いかけた。



        *****************************************



 困ったなあ。村長さんが加わって、頭のおかしいのが二人になってしまった。


「『みずぃさま』にはすべてこちらでご用意させていただくとお伝えしておいたからな。菊子ちゃんも大船に乗った気でいてくれればいいよ」


「ちょっと待って。お伝えしたって、連絡取れるの?」


 村長さんは妄想とコミュニケーションを取っているらしい。父と同じ症状だ。ご用意とか言ってるし、ここで止めないとやっかいな事態になりそうな気がする。


「連絡できるんだったら断ってくれないかなあ?」


「無理だ」


「だって一方的過ぎるでしょ?」


「里を滅ぼす気か」


「はあ?」


 村長さんは折れそうにないので、私は代わりに父を睨んだ。


「ねえ、お父さん、どんな化け物のところに娘をやる気なの?」


「菊子ちゃん、口を慎みなさい」


 村長さんの厳しい声。なんで私が叱られる? 頭がくらくらしてきた。


「菊子ちゃん、心配はいらない。立派な花嫁衣装を着せてやるからな」


 ーーそんなもん着たくねえよ、この耄碌じじい!


 頭の中で悪態をついて部屋を出た。今日はさっさと寝てしまおう。この人達は本当に神様が来ると信じているらしい。もしかしたらこの里特有の風土病なのかも。妄想が感染する前にここを出た方がいい。明日にでも支度して東京に戻ろう。


 神様だろうとなかろうと、初対面の男と結婚なんかするわけないでしょう。それにこの先誰とも結婚するつもりもない。私には人を好きになることができないんだから。



        *****************************************



 話し声で目が覚めた。時計を見るともう夜中前。村長さん、まだいるみたい。それとも一度家に帰って戻ってきたのかな? おばあちゃんの声もする。そっと階段の途中まで降りて耳をすました。盗み聞きは感心できることじゃないけど、妄想集団が何を企んでいるのか知っておく必要がある。


「なんで明日なんだよ? 去年じゃなかったのかよ?」


 父の声だ。


「だからのこのこと戻ってきおったのか? おぬしは昔から間抜けだの。『みずぃさま』を出し抜こうとしても無駄なことよ。菊子は選ばれた娘だと言ったじゃろう」


 ばあちゃんが嘲るように言った。


「だって去年が七十年目だったんだろ? もう終わったんじゃないのか?」


「前回と前々回の間は七十年だったがな。だんだんと周期が長くなってきておるようだな」


 村長さんが落ち着きはらった声で答えた。


「そろそろ戻って来いって......俺を騙したのかよ?」


「人聞きの悪いことを謂うでない。誰も運命からは逃れられぬ。おぬし達が戻って来やすいよう膳立てしてやったまでじゃ」


 おばあちゃんの声が続く。


「過去の三回は受け取られなんだ。だが今回こそは……」


「でも、ばあちゃん……あいつ、新しい就職先が決まりそうなんだよ」


「菊子ちゃんの幸せを思えば、これが一番いい選択肢なんだ」


 村長さんが口を挟む。何を勝手な事を言ってるんだか。嫁に行けば幸せとか時代錯誤も甚だしい。


「菊子は生娘であろうな」


 唐突におばあちゃんが尋ねた。


「し、知らないよ。あいつ、もう家を出てるんだし」


「わからんというのか? 直之、おぬしの監督不行き届きじゃ。生娘でなければ神の嫁にはなれぬ。『みずぃさま』のお怒りに触れたらどうするのじゃ」


「菊子がいなけりゃどうするつもりだった?」


「南沢の長介の娘を行かせるつもりで準備は進めておったのだがな」


「琴乃ちゃんか? あの子の方が美人じゃないか」


「いや、琴乃はお選びにならんじゃろう。やはり『みずぃさま』は菊子が欲しいのじゃ。思うた通り、お姿を現されたではないか」


「そんなに欲しいのなら、どうして前日に来るんだよ?」


「神様のお考えになることはわしらには分からぬ。だが、あの時、菊子はご自分の物だとはっきりおっしゃられたのだ」


「またその話か。ばあちゃん、本当に見たのか?」


 父の声には疲労の色が滲んでいる。


「わしが見間違えるとでも言うのか。菊子の体に幾重にも巻き付いておられたのじゃぞ。わしは『みずぃさま』に恩義がある。また七十年もお待たせするつもりか。今回こそは受けていただかなくてはならぬぞ」


「母さん、菊子ちゃんなら大丈夫だよ。心配せんでいい」


 なだめるように村長さんが言った。


「なあ、なんとかならないのか? 俺はあいつを信じられねえんだよ。百合子の事だってある。そのうえ、菊子まで……」


「これ、直之、いい加減にせんか。百合子さんのことは『みずぃさま』の責任ではないぞ」


 百合子ってお母さん? お母さんになんの関係があるの? 


「菊子をやるとおぬしが言うたんじゃろう? 口約束とはいえ神との約束は契約じゃ。破るわけにはいかぬのは分かっておろう」


「あの時と同じだよ。驚いて約束しちまったんだ。神様相手にどうやって断れっていうんだよ?」


 あの時って何? この人たち、一体なんの話をしてるの?


「わしはもう戻らんと。準備が間に合わんとまずいのでな。母さんももう寝た方がいい。お暇しよう」


 村長さんが立ち上がる気配がした。私はつま先立ちで階段を駆け上がり布団に戻った。



        *****************************************



 ーーお願い、繋がって。


 村長さんたちが立ち去り、父が寝室に入ると、私は祈るような気持ちでマリに電話をかけた。思った通り夜型の彼女はまだ起きていた。


「いいなあ。神様と結婚だなんてロマンチック過ぎる」


 ここまでの出来事をすべて話したら、マリは夢見るような声で言った。


「他人事だと思って」


「だってさあ、本当に蛇となんか結婚させるわけないじゃないの」


「それはそうなんだけどさ」


 冷静になってみれば確かにそうだ。


「それって昔からの里の儀式なんでしょう? おばあちゃん達、七十年って言ってたのよね」


「うん。どういう意味かわからなかったけど」


「七十年周期の儀式なんじゃないかな。戦後の生贄の儀式がまた巡って来るとしたら、計算が合うじゃない」


「生贄? 冗談じゃないよ」


「生贄はただの噂なんでしょ? 豊作の祈願だかお礼だかに神様に花嫁を捧げる儀式なんじゃないのかな。私の勝手な想像だけどさ、菊子一人で結婚式の真似事することになるんじゃない? きっと神様の依り代みたいなのと結婚したことにさせられるのよ」


「よりしろって?」


「神様には姿がないから、形のある物に下ろしてそれを神様の代理にするの。あなたのとこの神様、変わってるから、何とも言えないけど」


「それでも神様と結婚したことになるわけでしょ? 祟りがあるって里から出してもらえなくなるかもしれないよ」


「法的な拘束力なんてないんだから、勝手に戻ってきちゃえばいいだけじゃない。そんなレアな儀式に参加できるなんてうらやましい。せっかくだから楽しんじゃえば?」


 そうだよね。蛇なんか来るはずないし、いくら村長さんでも戸籍もない相手と籍を入れさせる訳にはいかないよね。マリと話して少し気が楽になった。


 携帯を充電して布団に戻ろうとしたら枕元に白っぽいものが落ちている。掃除の時に拾った蛇の皮だ。着替える時にポケットから落ちたのかな。拾い上げて広げてみれば、現実離れしたうろこのサイズにまた不安が蘇る。


 マリはこの里の異常さを肌で感じたわけじゃない。本当にここから逃げられるんだろうか?

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