その3
「菊子が行ってから調べてみたんだけどね。その村、もの凄いパワースポットらしいよ」
電話越しでもマリの声は興奮して聞こえる。神社仏閣遺跡巡りが大好きな東京の友達だ。誰も知らない辺鄙な村だからと言ったんだけど、とりあえず調べるだけ調べてみたらしい。
「パワースポットねえ」
そういうのは信じないんだけど、確かにこの里に来ればそう感じる人もいるかも。
「その割には観光客なんて来ないみたいだけど」
「山奥だし迷いやすいからオススメ度は低いのよね。途中で諦めて戻って来ちゃう人が多いって。そのせいじゃないかな?」
「迷いやすいかなあ。村まではほとんど一本道だったと思うけど」
「お父さんが道を知ってたからじゃない? 近くまで行くと気分が悪くなる人もいるみたい。パワーが強すぎるのかもね」
それってただの車酔いじゃないのかなあ?
「長寿の人も多いし、病気で死ぬ人もほとんどいないって話だよ」
「元気なお年寄りは確かに多いけどね。でも……」
母は病気で亡くなったんだ。そんなのいい加減な噂でしかない。黙り込んだ私を気にする様子もなく、マリは続けた。
「そうそう、その村にね、ちょっと変わった土着の神様がいるんだって」
『みずぃさま』のことかな?
「どんな神様なの?」
「そっちの方に住んでる知り合いがそんな話をしてたの。ネットで知り合った人なんだけどね」
「どうせオカルト系の人でしょ?」
「アマチュアの郷土史研究家みたいだよ。どちらかというとオカルトは嫌いみたい。詳しいこと知りたかったらメールしてみたら」
別に連絡するつもりもなかったが、メールアドレスだけ聞いて私は電話を切った。
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里ではいろいろなお当番が回ってくる。消防団のお手伝いとか、公民館の掃除とか。心配していたほど大変でもないみたい。住民も多いからそれほど頻繁には回ってこないし、移住の失敗談で聞くような、排他的な住人にも会ったことはない。里の人たちは皆明るいし、老若男女混じって和気藹々した雰囲気だ。
若い人に居ついてもらうための政策なのか、年齢や性別で判断して仕事を押し付けるのはマナー違反とされているらしい。IT企業の誘致といい、オーガニックの野菜といい、村長さんを含め里の人達は、古い慣習よりも里の存続を優先してるようだ。そんな彼らが頑なに迷信を信じているのが、余計に理解できないんだけどね。
おばあちゃんに神社の掃除を手伝ってほしいと言われて引き受けた。正確には神社の境内に建ってる住宅のお掃除らしい。別にこの神社の信者ではないけれど、これから父が里のお世話になるんだから、少しは役に立っておかないと。
時間だけは厳守しろと言われ十分前に着いたら、もう全員が集まっていた。よっちゃんのおばあちゃんと近所に住んでる康子おばちゃんを含めて四人。おばあちゃんはお当番の人について毎日来ているらしい。若いのは私だけみたい。
階段を上りきると、境内をぐるりと取り囲む五分咲きの桜に目を奪われた。参道の奥には小さな社が見える。皆お参りはせず、階段の上で頭を下げると、東側の森の中にある建物に早足で向かう。いちいち参るのも面倒なのかな。
「おばあちゃん、お参りしてきてもいい?」
社を見たかったので尋ねたら、おばあちゃんは快く許可してくれた。
「里に戻ってきたとご報告しておいで」
「はい」
報告したってすぐにまた出ていくんだけどなあ。
マリには旅行がてらよく神社や寺に連れて行かれた。自分じゃ特に興味もなくて境内を散策するぐらいだったけど、いつも話を聞かされていれば少しは知識もつく。この神社、なんだか変だ。かなり古いものにも見えるけど、里の他の場所と同じで社も周りの石組も妙に小奇麗だ。ご神体はやっぱり白い蛇。
違和感を感じて境内を見回す。絵馬もかかっていなければ手を洗うところもない。小さな納屋があるだけで社務所もない。まるで……参拝にくるための場所じゃないみたい。
社の扁額にはおかしな模様が描かれている 鳥居にも同じ模様があった。文字なのかな? 梵字というのに雰囲気は似ている。蛇が上にむかってくねくね這ってるみたい。でもへびには手足はないよね。蛇足っていうぐらいだし。踊ってる人のように見えない事もない。人間と蛇がまざったみたいな……
どこかでみた気がすると思ったら『キバ岩』に描かれていた模様に似てるんだ。どこかに説明でもないのかなと見回して、さっきからの違和感の理由に気づいた。この神社、どこにも文字が使われていないのだ。神社の由来を解説する看板もなければ、文字が刻まれた石碑も見当たらない。
ーーこれ、本当に神社?
ふと、誰かに見られている気がして辺りを見回した。境内には誰の姿も見えない。この里に来てからよく視線を感じるのだけど自意識過剰なんだろうか?
おばあちゃんたちをあまり待たせてもいけないので、足早に古民家に向かった。それほど大きくもないけど、小ぎれいで情緒のある建物だ。自分でお掃除ができないお年寄りでも暮らしてるのかな?
中に入ったら新しい畳のいい匂い。おばあちゃんたちはもう掃除に取り掛かっていた。四人もいるのにみな無口で掃除している。住人らしき人物は見当たらない。
居間の壁には大きなテレビがかかっている。調度はいたってシンプルだけど、奥の台所には最新の電化製品がそろっているし、住み心地は良さそう。
こたつの上に置かれているノートパソコンもスペックが高いやつだ。こんな場所に置きっぱなしで盗まれたりしないのかな。そういえば里では鍵をかけなくても泥棒は入らないと聞いた。そういうのが田舎のいいところなんだけどね。
本棚には民俗学や考古学の本が並んでいる。難しそうな医学書があると思うと雑誌や漫画本もある。私が挿絵を描いた本があるのに気づいた。出版数はそんなに多くないのに、こんなところで出会えるなんて。棚の上には小さな額に入った白い蛇の絵が飾ってあった。子供が描いた絵みたいだけど、ここに子供が住んでいるようには思えない。
この部屋、誰が使ったんだろう? 掃除しなけりゃならないほど、汚れてないんだけどな。使った痕跡と言えば、ゴミ箱に入ったスナック菓子の袋ぐらい。それと、湯呑が一つ、流しの横のかごに伏せてある。もう洗ってあるようだったけど、おばさんはもう一度洗いなおしてから、丁寧に拭いて棚に収めた。
よそからのお客さんが泊まるのかな? 貸し出して里の収入にしてるとか?
「ねえ、この部屋、誰が使ったの?」
おばあちゃんが厳しい顔つきで私を見た。聞いてはいけない事を聞いたらしい。
「菊子ちゃん、掃除機かけて」
康子おばちゃんが慌てたように私の手に掃除機を押し付ける。
掘りごたつの中も忘れないでと言われて、こたつ布団をめくりあげた。中を覗くと底の木の床の上に手のひら大の半透明の紙を丸めたような物が落ちている。これ、見たことがある。蛇の皮だ。
拾い上げて広げてみれば大きなダイヤモンド型の模様が並んでいる。これはうろこの形かな。だとしたらもの凄く大きなへびなんだけど。ペットのニシキヘビでも逃げ出したんじゃないでしょうね。
虹色に光ってきれいだな。財布に入れておくと金運が良くなるっていうし貰っておこう。おばあちゃんに見つかると取り上げられる気がしたので、こっそりポケットに入れた。少し離れたところに明るい黄緑色のメモ用紙も落ちている。
「これ、何か書いてあるよ」
拾い上げるとおばあちゃんが慌てて駆け寄ってきた。
「菊子ちゃん、どこにあった?」
「こたつの中に落ちてたよ」
「気づいてよかった。『みずぃさま』にお叱りを受けるところじゃった」
おばあちゃんはメモ用紙を捧げ持つと境内の方を向いて礼をした。封筒に収め、手提げ袋にしまい込む。何が書かれてあったのか聞きたかったけど、そんな雰囲気ではなかったし。
それにしても『みずぃさま』って何者なのよ?
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おばあちゃんには聞きにくいので、父の書類を持って村役場に寄ったついでに村長さんに会いに行った。役場の人達は忙しそうだったが、私の姿を見ると急いで応対してくれた。
「菊子ちゃん、覚えてないのかい?」
私の質問に村長さんもよっちゃんと同じことを言った。
「だって里には低学年までしかいなかったから」
彼はさらに怪訝な顔になった。
「それだけここにいて『みずぃさま』のお名前を憶えてなかったのか?」
「うん、実をいうと里での出来事はあまり覚えてないの。人の顔はちゃんと覚えてるんだけど」
「まあ、そういう事もあるかもしれんな。『みずぃさま』はな、昔からこの里をお守りしてくださっているありがたい神様なんだ」
「どんな風にありがたいの?」
「そうだな。例えば、明治の初めこのあたりで酷い飢饉があった時も、里では食べ物がとれたので誰一人飢えんかったというな」
ずいぶん昔の話だけど、そんなの、たまたまじゃないのかな。
「戦時中に徴兵があった時も、里には誰も入って来れんかったという話だぞ。誰も戦争には行かなかったが、命令がなかったわけだから里の者は罰は受けずにすんだそうだよ。五体満足だったわしの親父も行かなかったから本当の話だ」
「それが神様のお陰なの?」
「そうだ。崖崩れを防いだり、ケガ人を助けたり、里の事を本当に気にかけてくださっておるのだ」
本当に神様のお陰? こじつけっぽいなあ。
「『みずぃさま』って蛇の神様のことなんでしょ?」
村長さんは声を潜めた。
「そうなんだかな。他の名でお呼びしてはならんという決まりがある」
「なんで?」
「蛇の神様はご自分が『みずぃさま』だとはご存じないからだ」
「はあ?」
「蛇神様とおよびすると、ご自分の話をしていると思って訪ねてこられるのだ。だから皆、『みずぃさま』と仮のお名前でお呼びするのだよ」
「訪ねて来たらまずいの? ありがたい神様なんでしょう?」
「なにが原因で祟られるかわからないからな」
「ありがたいんだか怖ろしいんだかわからないじゃない。おかしな神様だね」
「これ、そんな口を聞いちゃいかん。とても力のある神様なんだよ。なにせ病人でさえ治してしまわれるのだからな」
「でもお母さんは病気で死んだんだよ。『みずぃさま』はどうして助けてくれなかったの?」
彼は書類をめくる手を止めた。
「直之に何か言われたのか?」
「お父さんに? ううん」
「そうか。ならわしから話すことは何もないな」
そう言うと、村長さんは母の話など出なかったかのように、明るい表情で私に向き直った。私の怪訝な顔など完全に無視だ。
「とにかくこのような寒村で、わしらが不自由なく暮らせるのも『みずぃさま』のお陰なのだ。菊子ちゃんも長いこと里を離れていたから、ご不敬がないように気をつけなさい」
「わかりました。ありがとう」
すっきりしない物を感じたけれど、ちょうどその時、誰が村長室のドアをノックしたので、私はお暇しようと立ち上がった。
「みんな忙しそうだけど何かあるの?」
「ああ、もうすぐ里で儀式があるんでな」
「お祭り?」
「神事みたいなもんだ」
「ふうん。忙しい時にお邪魔しちゃったね」
「いや、菊子ちゃんならいつでも大歓迎だよ」
辺鄙な田舎だし、里の人が信心深いのは分からないこともないけれど、ここまで振り回されるなんて、おかしいとは思わないんだろうか。
里の神様信仰に興味が湧いてきたので、マリから聞いたアマチュアの郷土史研究者にメールを出してみた。何か面白いことでも教えてもらえるかもしれない。
それにしても、里に来てから感じ続けているこの違和感はなんだろう? 現実から遊離してしまったような不思議な感覚。なんだかテーマパークにでも遊びに来てるみたい。違和感と言っても不快な感じじゃない。まるでよくできた箱庭の中にいるみたいな……夢の世界に迷い込んでしまったような……。