その2
懐かしい夢を見た。誰かと一緒に大笑いしながら、井戸の周りをぐるぐる回って遊んでた。相手が誰だったのか思い出せない。よっちゃんではなかったと思うんだけど......。
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「携帯、使えなくて不便じゃないの?」
翌朝、家具を動かしに来てくれたよっちゃんに私は尋ねた。
「ああ、たまにそういう日があるんだよ。普段は使えるんだぜ。そうだ、WIFIを使うんだったらうちに来いよ。光回線、来てるから」
「ええ? こんなド田舎に?」
「当たり前だろ。どんだけ田舎だと思ってるんだ?」
「田舎じゃないの」
「お前んとこも入れるか? 明さんとこが代理店してるから、すぐに工事にきてくれるぜ」
その日はとりあえずメールのチェックだけさせて貰うことにした。
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「お兄さんたちはどうしてるの?」
村長さん家の縁側で携帯をいじりながら私は聞いた。
「なんだ、まだ兄貴が気になるのか?」
「そんなわけないでしょ?」
私が笑うとよっちゃんも笑いだした。幼稚園の頃、よっちゃんの上のお兄ちゃんのお嫁さんになると公言したことがあって、彼にずいぶんからかわれたのだ。
「昨日は姿が見えなかったから、どうしたのかと思ったの」
「二人とも大学に行って街で就職したんだ。一番上のは数年前もどってきたんだけど、南沢の集落に住んでるよ。真ん中のは結婚して街で暮らしてる。たいていの若い奴は高校を卒業したらまずは里を出るからな。俺は出来が悪いんで田舎で居残り組だ」
彼は苦笑いして肩をすくめた。
「でも、過疎の村でもないよね。若い人も何人か見かけたよ」
「不思議なことに出て行っても、しばらくすると戻ってくるやつが多いんだよな。田舎暮らしブームのお陰で引っ越してくる家族もいるし」
「お父さんもそういう番組を見て戻ってくる気になったみたいよ。昔からいる人とのトラブルもあるんでしょ?」
「さあ、俺の知ってる限りないけどな。新入りはやる気もあるし、里に活気が戻るって喜ばれてるよ」
「ふうん」
予想してたのとずいぶん違うなあ。田舎ってどこも排他的なんだと思ってた。この誰でもウェルカムな雰囲気、どうも胡散臭いんだけど。
「よっちゃんとこは何を育ててるの?」
「オーガニックだな。儲かるんだぜ。今は里中がオーガニックだ」
「でも、手間が大変でしょ?」
「この里、土も肥えてるし害虫も少ないから、元々農薬も肥料もたいして必要なかったんだ。問題と言えば日照時間が短いぐらいだな。そうだ。里の案内してやろうか? 覚えてないだろ?」
「よっちゃん、仕事は?」
「今から休憩。寄りたいところもあるしな」
「なんだ。サボりか」
「まあな」
彼はガレージの奥からヘルメットを持ってくると私に差し出した。
「え、バイク?」
「天気もいいからバイクの方が気持ちがいいぞ」
本当に気持ちがよかった。澄み切った空気はおいしいし、里の景色は鮮やかな水彩画のように美しい。目の前によっちゃんの背中がなければ、現実なのを忘れてしまいそう。
農作業をしている人たちが顔を上げる。手を振ってくれる人もいた。畑や田んぼはまっすぐなあぜ道で区切られていて、効率的な感じだ。
途中で曲がって農道に入り、里を囲む山の方へ向かう。よっちゃんは途中でバイクを止めると、畑にいる男性に会いに行った。
私はヘルメットを脱いで、道路わきを流れている小川を覗き込んだ。水は透き通っていて、小さな魚がいるのが見えた。底の小石の陰に細長い魚が隠れてる。ドジョウかな。昔もこんな川で遊んだ気がする。頭上で雲雀がさえずる声が聞こえた。
なんだろう。この現実じゃない感は。何もかもが完璧すぎる。
ふと誰かの視線を感じた気がして顔を上げると、反対側の岸でがさがさと草が揺れた。目の端に動くものが映った気がしたんだけど……。
「そこに何かいたよ」
よっちゃんが戻って来たので、私は対岸の草むらを指さしてみせた。
「野ウサギかイタチじゃないか? 野生動物はよく見かけるよ」
「農作物を食べたりしないの?」
「たいした被害はないなあ。山に食べる物があるんじゃないかな」
彼は道路の突き当りにある山の方を指さした。
「里の景色を見に行ってみる?」
山の斜面は新緑で覆われている。緩い山道を登ると、里の中央が一望できた。空気が澄んでいるのか遠くまでくっきりと見える。
「もっと上まで行こうよ」
「ダメだな。登っていいのはここまでだ」
「ええ? どうして?」
よっちゃんは山道の真ん中に通せんぼするかのように立っている太い木を指さした。ちょうど目の高さにおふだのようなものが打ち付けられている。
「なにそれ?」
「村境には近づいちゃいけないって警告だ。ここより上には登っちゃいけないんだ」
「なんで?」
「祟られるんだよ。里から出たきゃ村の入り口を使わなきゃいけない。昔からの決まりだ」
「ふうん」
やっぱり田舎にはおかしな風習があるみたい。
「あの岩は?」
私は上の方に見える大きな岩を指さした。三メートルほどの高さの長細い形の岩が縦に置かれている。形は違うけど、村境にあった蛇の岩のような人工的な感じがした。
見渡せば里の反対側の山の中腹にも同じような岩がいくつか見える。木で隠されてよく見えないのもあるが、等間隔で並んでるようだ。
「あんなのが里をぐるっと取り囲んでるんだよ。大昔の人が置いた岩だっていうんだけどな。里じゃ『キバ岩』とか『キバ』って呼んでる。あれ? お前、覚えてなかったのか?」
「うん。全然記憶にない」
『キバ岩』か。てっぺんがなんとなく先細りになってて、動物の牙を連想させるからかな? なんの辺哲もない岩だけど、根元に近いところに文字だか子供の落書きみたいなものが見える。
「落書きされてるよ。消さないの?」
「落書きじゃねえよ。どの岩にもあんな模様が描いてあるんだ。見ようとして近づいたりするなよ」
根元の周囲には石のブロックが積んである。いくつかのブロックはまだ新しく見えた。今も誰かが倒れないように補強をしてるようだ。
「近くに行っても危なくないでしょ? それとも祟られるの?」
「そうだよ。俺が高校生の頃、どっかの大学の研究者が調べに来てな。親父は反対したんだけど、ちょっと見るだけだっていうから……」
「何かわかったの?」
「それがな……帰りに事故起こして死んじまったんだと」
「ええ? それほんと?」
「親父が言ってたから本当だろ」
それは気持ちが悪い。偶然なんだろうけど、そんな出来事があれますます祟りがあるって信じられちゃうんだろうな。
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私たちは再びバイクにまたがり環状道路に戻った。ここでも道沿いに白蛇の像を見かけた。花が供えられているものもある。
「どこ行っても蛇ばっかりなんだね。なんで?」
「蛇の話は軽々しく口にするなよ。ばあちゃんに叱られるぞ」
蛇の話もタブーらしい。これだけ蛇の彫像だらけなのにおかしな話だ。やっぱり祟られるのかな?
里の奥に近づくと民家を見かけなくなった。この里は袋小路になっているので、通り抜けはできない。楕円形の里を楕円形の道路が走っているだけだ。よっちゃんはうっかりすると見落としてしまいそうな脇道の前でバイクを止めると、細い道の先を指さした。
「ここをまっすぐ行くと水源の池があるんだ。夜は九時過ぎたらこの道を使っちゃいけない決まりになってる。忘れるなよ」
「どうしてよ?」
「昔からのしきたりなんだよ」
そう言うと彼は脇道にバイクを乗り入れた。田畑に挟まれたまっすぐな一本道は、あまり使う人もいなさそうなのに滑らかに舗装されている。緑の丘のふもとまで来るとよっちゃんはバイクを止めた。
「この丘が里の東の端になるんだ。上に登ると『御池』がある」
「水源の池のこと? 見に行こうよ」
「ダメなんだ。この丘には決まった日にしか登っちゃいけない」
「せっかくここまで来たのに? ずいぶんと決まりが多いのね。どうせ祟られるっていうんでしょ?」
「まあそうだ」
「祟り祟りって、誰が祟るのよ?」
「そりゃあ、『みずぃさま』だろ?」
「それ、誰?」
「……お前、ほんとに覚えてないのか?」
「何を? 」
よっちゃんが不安そうな表情になって辺りを見回した。辺りには誰もいないのに。私も急に気味が悪くなった。『みずぃさま』が誰なのか気になったけど、ここで聞いてはいけない気がしたのでそれ以上は尋ねなかった。
田舎のおかしなタブーについては聞いたことはあるけれど、この里の決まりは妙に具体的だ。ここに入っちゃいけないとかこの時間は避けろとか、まるで本当に怖ろしいモノに出会わないように気を付けてでもいるみたい。
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環状道路に沿ってしばらく走ると里の南側にある集落についた。
「もう一軒寄るぞ」
そう言うとよっちゃんは立派な構えの門の脇にバイクを駐めた。門をくぐると大きな古民家が立っている。例に漏れず手入れの行き届いた庭には、白塗りの倉まで立っていた。
よっちゃんについて中に入ると、背の高い男性が出迎えてくれた。数年前に里に戻ってきたというよっちゃんの上のお兄さんだ。最後に会った時は小学校の高学年だったけど、今は知的なイケメンになってる。私の目に狂いはなかったな。
広い土間を横切り、部屋の中に足を踏み入れて驚いた。広い部屋一面にコンピューターデスクが並び、若い人たちが縁側で話し合いをしたり、PCに向かったりしている。
「何なの、ここ?」
「兄貴の会社だよ。農家の跡は継がないって言ってな。ITの会社なんだ。俺には仕組みがよくわからないんだけど、リモートワークって言うんだってさ。なかなか繁盛してるんだぜ。優秀な奴らも都会から移って来てるんだ」
私の驚いた顔に、よっちゃんはにやっと笑った。
「ここに若い奴が多いのも、『こんなド田舎』に光回線が来てるのもそういうわけだ」
「村の予算で回線ひいたの?」
「そうだよ」
「でも、光回線なんて億じゃすまないでしょ? ずいぶんと思い切った投資をしたのね」
「里が生き残るためには、先手を打たなきゃならんって親父は言うんだ」
「里の人は賛成したの? インターネットなんて使わないお年よりも多いでしょ?」
「お告げがあったからな」
「お告げって?」
よっちゃんが肩をすくめた。
「『みずぃさま』のお告げだよ。逆らう度胸のある奴なんかいるもんか」
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村長さんの家に戻るやいなやよっちゃんは台所に駆け込み、ビールの缶を抱えて戻って来た。
「まだ早くない?」
「菊子が戻って来たお祝いだ」
「すぐに帰っちゃうのに?」
「まあいいだろ?」
よっちゃんがニヤニヤ笑う。サボる口実は何だっていいらしい。縁側に座って飲むビールはたまらなくおいしかった。空気が澄んでいるからなのか、景色のせいなのか、ここではなんでもおいしく感じられるのだ。いつもはたいして飲まないのだけど、よっちゃんが手渡してくる缶を私はどんどん空にした。しばらく昔のクラスメイトの話で盛り上がった後、彼が尋ねた。
「なんで慌てて戻っちゃうんだよ? 東京に彼氏でも置いてきたのか?」
「そんなのいないって」
「そうなのか? お前、モテそうなのにな」
「続かないんだ」
「続かない? どういう意味だよ?」
「私、人が好きになれないみたいなの」
よっちゃんが怪訝な顔をした。こんな話、女友達にだって話したことはない。私が戸惑っていると、彼が新しいの缶をプシュッと開けて、胡坐をかきなおした。
「話してみろよ。俺が全部聞いてやる」
偉そうな態度だな。でも、酔っているせいなのか、普段とは違う環境にいるせいなのか、彼になら話してもいいような気分になった。
「私ね、誰かを好きになったと思ってもすぐ醒めちゃうんだ だから誰とも続いたことがないの」
恋は何度もしてきたと思ってたけど、今考えると本当の恋なんて一度も経験しなかった。素敵だと思える人に出会ってときめくのは日常茶飯事。趣味の合う人と一緒にいれば楽しいとも思う。でも、どうしても相手に愛着を持ち続けることができないのだ。
付き合い始めたばかりでも、何日も会わなくても気にならないし、失恋の苦しみを味わったこともない。友達と話しているうちに、これは他の子たちの恋愛とは違うようだと気がついた。何度試しても結果は同じ。私には他の人と同じような恋はできない。
今では魅力的な人に出会っても、付き合おうとさえ思わない。相手に嫌な思いをさせてしまうだけだとわかってるから。
私が話し終えても、よっちゃんはどう答えたらいいのか分からない様子で、手元のビールの缶を見つめている。楽しい雰囲気をぶち壊しちゃったな。話さなきゃよかった。
やがて、彼が顔を上げた。
「そうか。でも、それじゃお前も寂しいだろ?」
「まあね。でも、もう慣れちゃったよ」
「そんなはずがあるか。よし、やっぱりお前は里に戻ってこい。俺がお前と一緒にいてやる」
「はあ? 何言ってるの? よっちゃん、彼女がいるんでしょ?」
「俺は菊子の親友じゃないのか? お前は誰も好きになれないんだから、おかしな心配はいらないじゃないか」
最上の解決策を考えついたと言わんばかりの彼の口ぶりに、私は笑い出してしまった。彼はちっとも変わってない。いつだって人の悩みを放ってはおけないのだ。
この日は少しだけ軽くなった気持ちでよっちゃんの家を出た。
私だって寂しくないわけじゃない。でも、変えられないことにくよくよしても仕方ない。この先、ずっと一人で生きていかなきゃならないから、安定した職場に移ろうと決めたんだ。東京になら友達も大勢いる。元々結婚に憧れがあるわけでもないし、とっくに諦めはついたつもりなんだけどね。
ふと背後に気配を感じて振り返ったけど、細い農道には誰の姿もない。まだ日も高いっていうのに飲み過ぎちゃったかな。