54、戦争へ
何も無いだだっ広い平原で向かい合う両国の騎士たちの間には緊張が走る。その上を国旗が風を受けてはためいていた。少し離れた高台から見下ろす2人の影。どちらも黒を基調とした騎士団の制服に身を包んでいる。片方の人物はその上にロングコートを羽織っていることで他と一線を画していた。その地位を示すように胸元ではアメジストが煌めく。
「平原にこれだけの騎士が並ぶと壮観だね」
「あんたはなんでこんなところにいるんだよ。司令官じゃないのか?」
「それは騎士団長の方。グラディウス様がいるから私はいなくても大丈夫。九番隊の指揮権はもらって遊撃にさせてもらったからここにいてもなんの問題もないの」
「ああそうかよ。じゃあ俺の仕事が減って嬉しい限りだ」
嬉しそうに笑うマクシミリアンにキュラスが含みを持たせた笑みを向ける。マクシミリアンはそれに気づいて眉間に皺を寄せる。
「なんだよその顔。なにか企んでるな?」
「失礼な。何も企んでないよ。多分そのうちわかる事だし」
相変わらず笑みを浮かべたままのキュラスにマクシミリアンはため息をつく。自分が知らない情報をキュラスが持っていることに関しては当たり前なので今更子供のように駄々をこねるつもりもないし、話せないことがあるのも理解している。ただもう少し情報をくれてもいいのではないかと思う時はある。
「そのうち分かるなら今教えてくれてもいいんじゃないのか」
「教えてもいいけど…知ったせいで気が散るのは困るから」
「…なめてるのか?」
一転して鋭い視線でこちらを睨みつけるマクシミリアンにもキュラスは動じない。視線は平原に向けたまま真剣な表情を浮かべる。
「なめてたら副隊長になんてしてないよ。私が想定する最悪の事態になったらマクシミリアンに九番隊の指揮権は渡すから、しっかりしてもらわないと」
「まて、それは…」
マクシミリアンが何か言いかけた時平原に笛の音が響く。それと同時に両側から進軍が始まりついに戦いの火蓋が落とされた。
「始まったか」
「さて九番隊も動かないとね。ここに呼んできてくれる?」
「その必要は無いぜ隊長」
その声の方を振り返るとマクシミリアンと同じような騎士服に身を包んだ男女がこちらに歩いてくる。
「おや。久しぶりだね君たち」
「隊長お久しぶりでーす!全然会えないから寂しかったですー!」
「そんなこと言って、戦争だーって嬉しそうにしてただろ」
「それもほんとだけど寂しかったのもほんとだもんー!」
軽快なやり取りをするのを見てキュラスは穏やかに笑う。マクシミリアンも少し困ったような表情を浮かべていたが微笑んでいた。
「ほらほらそんなことやってる場合じゃないだろ。クレナ殿下はどうした?」
「ここにいます」
後ろから同じように黒を基調としたミラルーシェ風の軍服に身を包んだクレナが歩み出る。
「へえ、似合ってるじゃん」
「ありがとうございます。…ついに戦争が始まったんですね」
いつもより硬い表情のクレナにキュラスは特に何も言わない。ただ隣に並んで平原を見下ろした。
「こうしている間にも戦いは続いてるんですね」
「止まる理由がないからね」
「ここからだとまるでチェスの盤上を見てるみたい」
「チェスの盤上か。確かにここからだとそう見えるか」
並んで平原を見下ろす2人の後ろで九番隊の面々は隠れて話をする。
「え、あの二人めちゃくちゃ似てないですか?」
「なんか言動が似てるよな」
「チェス盤とか言うの完全に隊長じゃん」
「え、一応戦場だよね?人の心あるよね」
「まるで私が人の心を持ってないみたいな言い草だね」
キュラスの声に皆一様に肩が上がる。キュラスの方を向くと呆れた表情でこちらを見ていた。
「まあいいけど仕事はしてね。クレナは後で平原に下りて戦っておいで。一応九番隊預かりになってるから私が指揮権持ってるし自由にしていいよ。君たちもクレナを守れる範囲なら好きなようにしていいよ」
「私が下に行ってもいいんですか?」
「むしろ下で戦わなきゃ意味が無い。それを経験してまだチェス盤みたいだって言えたら褒めてあげようか」
遠回しにまだまだ未熟だと言われたことでクレナはムッとする。自分でもその自覚はあるが馬鹿にするような言い方をされて心中は穏やかではなかった。
「隊長はどうするんですー?」
「私は上から見てるよ。何かあったら指示は出すからとりあえず自由にやっていいよ」
「了解しましたー!」
「マクシミリアンも一緒に行ってきて」
「恭珠様はどうするんです?」
完全に恭珠のことを忘れていたキュラスはその言葉に小さく声を漏らし額に手を当てる。
「そうだった…。戦力的には一人で十分だけど…一応メライ、ついてあげて」
「僕がいっちゃっていいんですか?」
「メライなら飛べるでしょ?緊急事態になったら私に伝えに来て」
「了解です」
メライと呼ばれた栗色の髪に青い目を持つ男性はキュラスに指名されたことが余程嬉しかったようで満面の笑みを浮かべる。それを見て周りは不安げな表情になる。
「メライ…恭珠様に迷惑かけるなよ」
「迷惑なんてかけないよ。腰抜けなら面白くないなーって思うけどね」
あまりの言い草にクレナも思わず表情をくもらせる。しかしキュラスの方を見ても肩をすくめるだけだった。
「まあ多分大丈夫。恭珠次第ではあるけど…」
心配が増した気がするが自分ではどうすることも出来ないのでクレナはただため息を着くしかなかった。
*********
「貴殿が光の賢者候補か」
「はい。恭珠と申します」
目の前の人物に恭珠はただ戦々恐々としていた。目の前にいる人には覚えがある。前に騎士団の見学に行った時にキュラスと模擬戦をしていたグラディウス王弟殿下だ。クレナやキュラスを探している時に声をかけられたので周りに知っている人が居ないのも不安でしかない。一体何を言われるのかと身を固くしていると、その人は優しげに笑う。
「そんなに緊張しなくて大丈夫だぞ。取って食ったりはしないからな。何度か会ったことはあるが自己紹介をしていなかったと思ってな。私はグラディウス・アル・テンバール。一応王弟だが騎士団に身を置いていてな。将軍の地位についている者だ。候補とはいえ賢者になるかもしれない人に挨拶をしておこうと思ってな」
「ご丁寧にありがとうございます。王弟殿下いや将軍閣下と呼ぶべきですかね?改めまして、この度光の賢者候補となりました火丸恭珠と申します」
「うむ。ここでは将軍と呼ばれることの方が多いな。だがキュラスのように名前で呼んでくれて構わないぞ。あやつも将軍なのだ。紛らわしくなりそうだからな」
「ではそのようにさせていただきます」
いくら寛容だとはいえ王族なのでどうすれば正解なのかが全く分からない。誰か知り合いが戻ってきてくれないかと思っているとグラディウスは騎士たちが向かい合う戦場に目を向ける。
「今回の戦いは厳しくなるな」
「そうですね。ここに出てくるとは限りませんが、出てきた場合の影響は未知数です」
「上に立つものとしては常に最悪を意識しなければならない。そうでなければ余計な犠牲が増えるからな」
険しい表情のグラディウスに影響され恭珠も自然と身が引きしまる。今回は自分も戦力として来たのだから自分の仕事は果たさなければならない。
「今回は恭珠殿も参戦するのか?」
「ええ。私からキュラスに頼み込みました。だいぶ渋られましたが、私がここにいるのが答えです」
「ほう。存分に困らせてやれ。大概のことは何とかしてくれるはずだからな」
悪い顔で笑うのを見ているとこちらまで笑えてきた。今のを聞かれたら色々言われそうだが、あいにく本人はここにはいないので何も言ってもいいだろう。
そうこうしていると1人の騎士がこちらに駆け寄ってきて片膝を着く。
「ご歓談中失礼致します。閣下に騎士団長より言伝を仰せつかりましたので参上致しました。そろそろ開戦ですので本陣に来て頂きたいとのことです」
「うむ、言伝ご苦労。今向かおう」
そう伝えると騎士はもう一度礼をして立ち去っていった。開戦という言葉を聞き一気にここが戦場だという現実味が増してくる。
「戦いの前に話せてよかった。武運を祈るぞ」
「こちらこそありがとうございました。またお会いしましょう」
グラディウスはその言葉に頷くと騎士が向かった方に歩いていった。それにしてもどうしていいか全く分からない。キュラスには自由に動いていいと言われたが勝手が分からないので動こうにも動けなかった。
とりあえず自分も平原の方に向かおうと歩き出す。すれ違ったり抜かしていく騎士たちは皆そこまで悲観はしていないようでみな勝とうという気概に満ち溢れていた。
当たり前だが負ける気は無いのだなと考えていると笛の音が平原に響き渡った。それと同時にずっと前の方の騎士たちが先陣を切って走り出す。こちらはみな獣人なので一斉に姿を変えて突っ込んでいた。相手方には馬に乗っている騎士も多いが全く問題にはならないだろう。
そのまま騎士たちと一緒に行っても良かったが邪魔になりそうだったのでそのまま戦いを眺める。それぞれ違いはあれど獣人たちは人間の兵士たちを蹴散らしていく。それを見ているとポメラニアンの自分としては力の強い獣人に憧れを抱く。同じような類の獣人でも狼は力も強く見た目もかっこいいので幾度となくその姿を夢見たことはある。変えられるようなものでもないので他のことで対抗するしかないのだが…。
不意に後ろからバサッと羽の音が聞こえた。敵かと驚いて振り向くと羽が生えている栗色の髪に青い目の男性が立っていた。優しげな笑みを浮かべているがどうにも目が笑っていないように感じられる。テンバールの騎士服を着ていることから一応味方であることは分かるがどういう意図かが全く分からない。
「あなたが恭珠様ですね?初めまして僕はメライです」
「えっと、はじめまして?確かに私は恭珠ですが…どういったご要件で?」
「ああ。僕は九番隊に所属してるんです。隊長に言われてサポートしに来ました」
「あー九番隊か。そういう事ね」
九番隊の隊長はキュラスらしいのでこの人は味方だ。ただどこか気になる部分があるので眉間に皺を寄せてしまう。
「あれ?信じてもらえてません?」
「いや、なんて言うか。信じてはいるんだけど…」
ずっと言語化できずうーんと唸っている恭珠にメライは特に気にした様子もなく問いかける。
「ところでこんなところで何やってたんです?戦いに行かないんですか?」
「え?あーそろそろ行こうかな。というかどこに行っていいか分からなかったっていうのが本音なんだよね」
苦笑いで答えるとメライはそんなことかとにっこり笑う。
「それなら全く問題ないですよ」
一体どういうことか尋ねようとした時、急にメライが翼を広げて舞い上がる。ぼーっとそれを見ているとこちらに近づいてきて肩を掴まれた。
「え?」
どういうことか聞く間もなくそのまま上昇していくので落とされないように肩を掴む手に縋り付くしかない。あっという間に戦場が見渡せるくらいの高さに着く。
「あの辺がいいかな。ちょっと押されてるみたいだし」
「待ってほんとに離さないで怖いから!あの辺ってなんのこと!?」
恐怖から喚き散らす恭珠のことは一切気にとめず目的の場所に向かって降下していく。空を飛ぶことなどない恭珠にとっては恐怖でしかないので落ち着いて戦況を見ている場合などではない。落とされないためにできるだけじっとしていると騎士たちが戦っている地点に落とされる。
「な、何してくれてるの!!」
「何って、戦う場所に連れてきたに決まってるじゃないですか。ほら押されてるみたいだから加勢してください」
まだまだ言い足りないことはあったがとりあえず正面をむくと騎士達が敵と戦っていた。どうやら魔法を多用していることとあちらの人員が多いために今にも押しきられそうだ。
一旦文句は心にしまい魔法を展開する。
「うわ!何だこの魔法!」
「新たな敵か!?」
「何だこの力!燃える!!」
突然現れた第3勢力に味方も敵も混乱に陥る。その中で恭珠は敵だけを狙って次々に魔法を展開する。
「落ち着いてください。私はテンバール側の戦力です。みなさんは下がって!」
すると味方は一気に安堵の表情を浮かべ、敵方は形勢逆転を悟り顔を青くする。
味方が安全に後退できるように光魔法で守りながら攻撃をする。その姿はいつかキュラスに魔法を飛ばしてしまった時とは大違いだ。身体は小さいがその技術は目を見張るものがある。
あらかた敵を退けると味方に駆け寄り怪我の状態を確認する。
「そこまで重症ではありませんね。動けますか?」
「ああ。あんたのおかげで助かった!すごい魔法だな」
「しかしまだ小さいし、見たことないが一体どこの隊所属だ?」
「特にどこかに所属している訳ではありませんが…強いて言うなら九番隊にお世話になってます」
九番隊と聞いて騎士たちはざわめくが恭珠には全く理由がわからない。
「どうかしました?」
「いや…九番隊は俺たちでもよく分からないところだから。ほんとに大変だな」
「隊長も見た事ないしな。何してるかもよくわからん」
事情を知らないのだからそう思われても仕方がないのだろうが、小さいのに可哀想という哀れみと九番隊への不信に恭珠はあまりいい気はしなかった。勝手な勘違いや思い込みで哀れみを受けるのは性にあわない。
「あ、終わったみたいですね。じゃあ次行きましょうか」
「そうしようか。次はもっと派手に行こう。メライにも手伝ってもらうよ」
「お!望むところです!」
ちょうど恭珠の元に戻ってきたメライを見た騎士たちはその制服から九番隊所属だと分かると微妙な表情を浮かべる。そして控えめに恭珠に声をかけてきた。
「なあ、もし良かったら俺たちと一緒に来ないか?」
「そうよ。ここは戦場だし敵はあちこちにいるわ。さっきみたいにはいかないかもしれないし」
騎士たちは心配していたのだろうが言葉が悪かった。言外に九番隊と恭珠を下に見るような意図を感じ恭珠は怒りを覚える。一方でメライは一切気に留めず早く行こうとこちらを急かしている。それを見て恭珠は騎士たちに笑顔をうかべる。
「ありがとうございます。でも私はメライさんと一緒に行きますね。知らないのは仕方ないですけどあんまり自分の主観で物事を判断しない方がいいですよ」
騎士たちはその言葉にムッとしていたが恭珠はそれを尻目にメライの手を取る。そして来た時と同じように空高く舞い上がっていった。
「ねえメライさん。みんな九番隊のことはよく思ってないの?」
「よく思ってないというより知らないっていうのが正しいですね。隊長も人前に出ないし、隊員も問題児ばかりですからね」
「そうなんだ。あんなこと言われて怒ったりしないの?」
「別にどうでもいいじゃないですか。僕は戦えればいいのでどう思われようと関係ありませんよ。隊長も色々わかってくれてるし」
表情までは見えないが声色から隊長に対する信頼が伺える。騎士団のことはよく知らないが九番隊は特殊なのだろう。
「あ、あの辺行きましょうか」
「いいよ。手っ取り早く終わらせよう」




