35、犯人たちの要望
翌日、ミラルーシェ王国のいたるところである張り紙が張られた。それは、だれが張ったのかもわからない密告書だった。
その影響で各地に混乱が広がっていった。
「これは、一体どういうことだ!」
国王の執務室で側近の一人からもたらされた情報にシュバルツは憤り、拳をたたきつけた。
「私もわかりません。しかし、今日の朝にはもうこの密告書が貼られていました。すでにスペルディア大将軍とオルワイズ騎士団長補佐が命じて騎士団と軍がその紙を回収するためにに動いています。」
「それは、助かるが…民たちには見られてしまっただろう。」
「ええ、すでに貴族たちが動いています。」
「まったく、鼻が利くやつらだ。ご苦労だった。また、何か入り次第伝えてくれ。」
「はっ」
側近は下がっていった。
「イギル」
「はい」
シュバルツは後ろに控えていた自らの側近兼護衛騎士を呼んだ。
「どう思う?」
「....私の憶測ですが、これもクレナ殿下と恭珠殿を連れ去った者たちの仕業でしょう。対応次第では王家の信頼が地に落ちます。」
「貴族たちも喜ぶだろうな。姉上を地に落とすいい機会となるだろう」
「一部の、ですがね」
国王の執務室は重い空気に包まれていた。
「失礼します」
ノックをして宰相が入ってきた。
「陛下、此度の事いかがなさいますか?」
中に入ってきた宰相も憤っているようで目が笑っていない。
「もう、知っていたか…いま、イギルにも考えを聞いていたところだ。宰相はどう思う?」
「そうですな。奴らの狙いはイレーネ殿下の評判を下げるためにこのようなことをしたのでしょう。ですが、相手がバカならいざ知らず、本当の狙いは違ったもののように思います。これ以外にもまだ何かしてくるでしょう」
「何か、か。」
「このことはイレーネ殿下は知っておられるのですか?」
「わからない。少なくとも伝えてはいないはずだ。皆、姉上を恐れているからな」
「ですが、イレーネ殿下ならば、すでに知っておられるのでは?」
イギルの言葉に皆、そのことに思い当たり顔色を悪くした。
「も、もし、知っていたら、どうなさるのでしょう?」
「別に、どうもしませんよ。」
急にイレーネが言葉を発した。そのため皆、仰天して宰相は飛び上がり、シュバルツはインクの入った瓶を倒しかけ、イギルは剣に手をかけ殺気を膨れ上がらせた。
「そこまで驚きますか?」
イレーネは特に動じた様子もなく肩をすくめた。
「あ、姉上、いつからここに?」
「ついさっきですよ。ちゃんとノックもしましたからね。」
三人は何から言っていいかが分からなくなってしまった。
「あ、あの、いつ密告書の件をお知りになられたのですか?」
「これも、ついさっきです。誰も教えてくれなかったのですが、賢者二人とシリウスに『本当にこんなことやったのか?』と聞かれました。もちろんやってないと答えましたがね」
三人は堂々とイレーネに言った賢者二人とシリウスを恐ろしく思った。イレーネは大して気にした様子もなく言い放った。
「まったく迷惑な奴らですね。なぜ私が、実の両親と引き取ってくれた先王陛下を殺さなければならないのかわかりませんね。」
そう、国中に張られた張り紙にはイレーネが『前宰相夫妻を殺し、権力を手に入れるのに邪魔だった先王を殺した』という根も葉もない密告が書かれていたのだ。
「まったく、面倒ですね。一度おかしな方向に考えると集団は止まりませんからね。それに貴族たちも絶好のチャンスだと動くでしょう。」
「冷静に考えればそんなことする必要がないと気づくだろうに…」
そう、宰相が言った通りイレーネはそのようなことをやるはずがない、否、やる必要がないのだ。なぜならイレーネの肩書が関係している。
イレーネは生まれつき『漆黒の竜』という肩書を持っている。『漆黒の竜』とは、闇竜族の最強の竜。権力も国王と同等なのだ。なので、別に殺さなくても簡単に権力を握れるのだ。
事情を知っている者ならすぐに見抜けるだろうが事情を知らなくても、よく考えればすぐにわかる。
「面倒だな。民も貴族も対応しなければならないのか」
「対応の仕方によっては王家の信用にかかわりますぞ。よくよく考えなくては」
「し、失礼します」
ノックをしてシュバルツの侍従の一人が入ってきた。
「陛下、お手紙が届いております。」
「そうか」
シュバルツは短く返答して手紙を受け取った。 侍従はその場に控えていた。シュバルツはすぐに開いて中身を読んだ。
「なんなんだ、これは。ふざけるにもほどがあるだろう!…これは、どのようにして届いた?」
「は、はい。先ほど一羽の鳥が落としていきました。」
「わかった。下がってよいぞ」
侍従が出て行った後、シュバルツは手紙を置いた。そして、その手紙はイギルが声に出して読んだ。
「『ミラルーシェ王国国王へ。
今朝の張り紙はもう見ただろう。あれは、我らがやったものだ。お前の娘とうるさい小娘は我らが預かっている。
返してほしければ、その罪を認めイレーネを公開処刑せよ。明日の日没までに行われない場合は娘とうるさい小娘の命はないと思え。
足掻いても無駄だ。我らの密偵がお前の国にいる。妙な動きをすればすぐに殺すからおとなしく従え。
お前の選択を待っている。』
だ、そうです。まったく、思いあがった連中ですね」
「イレーネ殿下かクレナ殿下と恭珠殿のどちらかを選ばせるのですから、質が悪いものですね。どうしますか、陛下」
「姉上がいるところで言えるはずがないでしょう」
「別に....クレナを選ぶべきではないですか?あちらは二人、こちらは一人です。」
「いや、しかし、公開処刑ですぞ。いくらイレーネ殿下でも何ともできないでしょう?」
「私は、別に死ぬ覚悟くらいはとっくにできていますよ。濡れ衣を被って死んでも化けて出てやります。」
イレーネの言葉に皆固まった。
「.....姉上、それは、できかねます。」
シュバルツがイレーネに言った。
「姉上がよくても、母上がどう思うでしょうか? それにクレナや恭珠殿もです。自分を責め続けるでしょう。何か、他の策があるはずです。
.....まだ、明日まで時間があります。なにか、考えましょう」
「....シュバルツ」
イレーネが穏やかに遮った。
「私は別に未練はありません。クレナと恭珠を助けられるのならそれは私の本望です。それに、王とは時に冷酷な判断を下すものです。それが、今回なのでしょう。大丈夫です。私はそう簡単にくたばりません。またいつか、会えますよ」
「ですが、姉上」
「....そうです、イレーネ殿下。今から、その場所へ乗り込めばいいではありませんか?そうすれば、どちらも助かります。」
「それが、できないことくらいあなたにはわかっているでしょう?」
そしてイレーネは全員を見渡す。ここにいる者たちは優秀だ。
どの選択が最善かくらいはわかっている。
「私の命が二人を助けられるのなら、私は喜んで命をささげましょう」
そう言ったイレーネは微笑んでいた。偽りでもない心からの微笑みだった。
「賢者達にも事情を説明してきます。できれば私を処刑するのは明日の期限ぎりぎりにしてください。私の最後の願いです。」
そう言って、イレーネは執務室を出て賢者たちの部屋へと向かった。
イレーネが出て行った国王の執務室で言葉を発するものは誰もいなかった。
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翌日の期限ぎりぎりイレーネは賢者たちとともに現れた。闇の賢者の正装であるという漆黒のローブにアメジストのペンダントをつけていた。
「....姉上、本当に、申し訳ありません。私たちの力不足です。どうか、賢者の皆様もお許しください」
シュバルツ以下宰相達はそろって頭を下げた。
「いいえ、私たちこそ何もできずに申し訳ありません」
「賢者であるのに何も出来ぬ我が身が憎いです」
シャルロッテとリザイナもそろって正装を着ていた。そしてシュバルツ達に頭を下げていた。
「まったく、私の最後なのですから、笑ってください」
そう言ったイレーネは笑っていた。
「イレーネ」
「お母様、私が望んだのです。ですが、このような事しかできぬ不肖の娘をお許しください」
「な、何を言うのです!あなたは自慢の娘です。何もできぬ母を許してください」
イレーネはそう言った王太后を抱きしめた。
「今まで、ありがとうございました。」
そう言って、イレーネは一点の曇りもない笑顔で歩いて行った。
外に出ると、すでに処刑台が用意され民たちもそろっていた。
イレーネは隣を近衛騎士で挟まれながら階段を一歩ずつ上がっていった。
上まで行くとそこからは周りの様子が一望できた。正装をしたシャルロッテとリザイナやシュバルツ、王妃、王太后、宰相までもがいた。また、テンバール王国にいたはずのナイラとフィナも正装をしてその場にいる。
イレーネは皇太后と王妃が倒れないか心配になったがこちらに歩いてくる執行人を見てさらに驚く。
「....執行人は兵士がやるものでは?」
「いいじゃねえか、弟子の最後は自らの手で、だ。」
「他の者にはやらせられませんよ。どうか、お許しを」
それはスペルディア大将軍とオルワイズ騎士団長補佐だった。
「全く....最後ですから、丁重に一発でお願いしますよ」
それから、イレーネの罪状が読み上げられた。
イレーネはそれが最後の言葉になるのだなと無感動に思っていた。
いよいよ、執行の瞬間となった。スペルディア大将軍とオルワイズ騎士団長補佐が近づいてきた。
「スペルディア大将軍、オルワイズ騎士団長補佐。この国を頼みましたよ。」
「罪人、イレーネ。言い残すことはあるか?」
「ミラルーシェに繁栄を!」
イレーネがそう言った直後スペルディア大将軍とオルワイズ騎士団長補佐がイレーネに槍を突き立てた。
イレーネはその日、犯人たちの要望通り処刑された。