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終章【この商品は100%再生紙です】

 人糞は鎌倉時代から肥料として使われて以降、海洋投棄やアスファルト舗装などに流し、近年は都市開発に伴い、塩素消毒の下水道設備で処理されていた。その一方、人糞発電の研究は世界各国で進められており、有名所では例えば、家畜の糞尿から発生するメタンガスに注目し、変換装置を通すことによって電気を造り、太陽光や風力にも並ぶ再生可能エネルギーを生成する技術が提唱されている。これはエネルギーの転換作用だけでなく、メタン発酵によるバイオガスで地球温暖化の元凶とされる温室効果ガスを減らすため、環境破壊も防ぐことにも繋がると期待されているのだが、変換効率や投資コストなど問題が山積し実用化の目処は立っていなかった。特に人糞の場合、システムに組み込むにしろ水洗式の合併浄化槽のうち、トイレ装置を切り離したり、昔の汲み取り式に先祖返りするわけにもいかない。そんな折、屎尿処理場や下水処理場はメタンガス発生装置や肥料製造工場への移行計画。さらにメタンガス火力発電まで推し進め都市ガスの配管にはメタンガス、ガスエンジンの車はメタンガスで走るなど独自のバイオガスタウン構想を早い段階から打ち立てていたのが国立UNK研究所の雪谷司郎博士その人だった。彼は過去に人糞発電の実証実験をはじめ、糞尿を培養基として高タンパク質の藻類スピルリナを培養することで食糧問題、あるいは糞便系大腸菌群を筆頭にDNA解析の捜査法をベースとした犯罪対策にも貢献するなど幅広い活躍を見せていた。UNK研究所の現役所長であり微生物学者の世界的な権威である雪谷司郎博士。そんな業界で多忙を極める彼は昨年12月27日の朝、福岡駅から福岡国際会議場に向かう大博通りの交差点で交通事故に遭ってしまう。幼稚園の女児が横断歩道を飛び出したところを庇い、大型タンクローリーの内輪差に巻き込まれたのだ。敢えなく彼は即死、日本微生物学会に出席する途中の悲劇だった。


「……というわけで、まァ災難だったがご臨終には違いねえ。残念だったなパルプ博士」


 車の運転席に背凭れて数分、美都里はマスクとサングラスを外し煙草に火をつけた。透けた素材のネグリジェを着込んで、東京から車を飛ばしてきたのだろう。寝起きを叩き起こされても、そこまで機嫌は悪くなさそうだった。


「お前が捜していたお前は、もう死んでいるってわけだよ」

 フロントガラスの向こう岸では、通報を受けて駆けつけた警察の現場検証が粛々と行なわれている。


(はあ)

 空は、今にも雨が降りそうな灰色の海。


 名探偵にいきなり捲くし立てられても、僕には正直何も感じなかった。何も思い出すことはない。著名な大便博士。享年62歳。定年前に妻とは離婚し、独り身の孤独死を遂げた故人が僕の正体だったというのは納得がいかない。


「つーか、前世の記憶がないってのは、輪廻転生のリサイクル過程じゃよくある定説じゃん。むしろ一般常識つーか知識つーか、意味記憶が残ってた奇蹟に感謝しねえとバチ当たるぜ」

(こじつけですよ、それっぽい記事を検索して偶然ヒットしたから都合がいいように解釈しただけで)

「ハナからだっての」

 当然のように白い歯が零れる。

(どういう意味ですか?ひょっとして、静物園の商品にあったんですか?博士が愛した便座カバーとかが)

「だから、んなわけあるかよ」


 美都里はドリンクホルダーの僕を握り締めた。

 串刺しになった傷口が開きそう。やめてくれ。


「ほらあれだ。なんつったっけ、テメエが目覚めた日に会ったって弁当少年なァ」

 紅い唇から紫煙を吹き出し、にっこり微笑みかける。水戸黄門の悪代官と越後屋のようだ。和式便器の底の浅い部分で助かったとはいえ、ナイフ諸共半身が水に浸かり、首の皮一枚で繋がった満身創痍の僕に抵抗する力は残っていない。


(な、何を……そもそも大野2中は給食だったし、弁当説は否定されたんじゃ)

「弁当じゃなくても、何か食ってたのは事実だろ?汚ねえトイレで人目を忍ぶようにさ。それって要は『チョコ』だったんじゃねえのか?それで告白されて委員長と付き合いだしてよ。全国自治くじの発売日とも一致するし」

(はい?)

「だから、去年の12月27日に死んでんだろ?四十九日って謂うならちょうど49日後は2月14日でバレンタインなんだよ。その日学校のトイレでもって、パルプ君として新しく生を享けた。閻魔様も粋な計らいしてくれるじゃねーの、餓鬼を救った褒美つーか大便博士にしちゃ本望じゃん」


 僕の芯に指を突っ込んでクルクル回す。

 毎度ありがとうございます。この商品は100%再生紙です。

 そうか、この製造年月日さえ読めば、推理も何もあったものではない。


「それと安心しな。鑑識の調べじゃ、盗撮カメラは換気扇の電源と連動してたってさ。放火の動機は幽霊おまえのせいじゃなかった。光量不足による撮影不可もあるし、誰かが部屋にいるときはホルダーの中から出なかっただろ。犯人はトイレに火をつけたのは悪霊退治なんかじゃなかったんだ。黙秘してた会社役員な、ゲロってたぜ。世の中には色んな性癖の連中がいて、それがバレるのを極端に恐れるらしいな。やれやれだぜ。ただのデブ専ってんなら、今に始まったことじゃねえのによ。さらに好きな少女がいじめられるの快感に思ってて、それが転校生に解消されちゃ堪らんドSな変態紳士がいたもんだ」

(……な、なるほど)


 やはり優しい探偵だった。

 石油王が惚れるのも納得。


「これからどうする?また一緒に探偵でもやっか?オレの気まぐれにあやかれば、クリスマスの悲劇とか正月の殺人事件とか割のいい時給だったら、副業として復活するかもしれないぜ。そしたら助手見習いから糞尿専門のアシスタントに昇格だ」


(いいえ。できれば僕の最期は孫のところで)

 僕は即答した。


「知ってたのか」

(ゴミ箱に捨てられたもうひとりの僕が見ていたんです。廃棄されたDMの中に旧姓のものが)


 旧姓『雪谷ユウ』と生前の僕にどんな確執があって、勘当同然の別れをしていたかは分からない。女手ひとつで珠緒と珠樹を育てているのは意地なのかもしれない。あるいは結婚当初、駆け落ちでもして親に合わせる顔がないのかもしれないし、今更原因を詮索しても始まらないから。せめて。


「ふうん、そっか」

(いまでありがとうございました)

「変わったな。魚心あれば水心。自分を『ヘンタイ』と言い聞かせることで人間であろうとしたチミが、初めて魚心を受け入れるとは思わんかった」


 美都里なりに褒めているのだろう。

 僕は力強く頷いて辞儀を表わした。彼女がズバリ『閻魔様の粋な計らい』と捉えたのは、確かにその通りなのだろう。地球に人類に幼き幼稚園児に貢献して良かった。白く空っぽの記憶に新しく書き換えられているのは、アイドルのファン如きには決して辿り着けない多摩川家の日常だった。こんな運命なら切り拓いた甲斐もあったというものだな。回りに回った回り道の人生、その終着駅に相応しい景色が映える。


「ちょっとマオ」


 そう、ぼくはねがったんだ。


「お姉ちゃん、行儀悪いから静かにしてください」




 いちどでいいから、まごにあいたい。

 あとは、べつにのぞまないけれども。わたしは、おれは、ぼくは、ああそうだ。うまれかわったなら、こんどこそみんなをしあわせにしたい。ぼくは、かみになりたい。




                                 

                                 (完)




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