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第4章【ようこそ静物園へ◆4】

 向こうに意識を傾けると、温かな吐息がくすぐった。


(すみません間違いありませんでした、この学校です)


 普通教室の校舎に足を踏み入れた直後の美都里を呼び戻してから、彼女の恨み節を聞き流して1分かそこら。僕は電気に触れたような不安を感じ車内に戻った。TOTOの製紙工場や研究施設はない。都市部より若干離れているとはいえ、交通機関はもちろん、駅周辺では商店や繁華街も充実している政令指定都市のベッドタウン。大野第2中の外周は今の今まで閑散として何もなかった。犬の散歩に勤しむ老人や野良猫が渡る程度の、極めて平々凡々な通学路の公道だ。それが朝から何を血迷ったか、停車中の車窓に映り込んだ白と黒のパンダカラーが虎視眈々と近づいてきているではないか。赤色灯パトランプこそ回転していないものの、タクシーの社名灯やお子様ランチの日の丸とは一線を隠す平和の象徴なのは明白だった。


(あ、待ってください!今はまずいかも)

「は?」 

 にも関わらず、僕としたことが忌々しき事態に焦って反応が遅れるとは面目ない。


「何言ってんだよ、ちゃんと説明しろよ」

(け、警察が……)


 渡り廊下を引き返して職員用玄関に出てしまっては後の祭り。

 忌みじくも先に見咎められたのは僕、否、所々傷だらけの新車のほうだったから詮無い。


「すみません」

 神奈川県警の公用車が停まり、制服警官2人がこちらに近づいてくるところで運転手と出会い頭。

「ちょっとお時間宜しいですか」

「えっ?お、……オレ?」

 筋骨隆々の若い警官が眉を顰めたのは早かった。女性の一人称が「俺」では社会通念上のマイナー属性に該当するのだから無理もない。


「すぐに済みますから」

「……は、はあ」


 僕らには高飛車な性格も形無し、またの名を自業自得というブーメラン旋風に遭うとは美都里らしい運命かもしれない。「な、なんでしょうか。オレ、そんな何も」挙句、挙動不審な身じろぎが警官の評価ポイントを減じているのも無理からぬこと。李下に冠を正さずとは前漢時代から先人達も謂っている。


「拝見すると練馬のナンバーですけど、差し支えなければどちらにお住まいですか」

「あ、えっ……と。はあ」

「車の中にある衣装はどうされました」

「それは、オレの」

「失礼ですが、お仕事は何をされてらっしゃる方です?」

「ネットの会社とかを、その……色々と」


 始終俯き、歯切れの悪さは壊れかけのラジオを聴いているようにぎこちない。フロントガラス越しに返事が尻すぼむ。(もしもーし、大丈夫ですか?気をしっかり持って。そうだ、じゃがいもやトイレットペーパーが制服を着て喋っていると思ってください。目の前にいるのは人間ではありません。ただの屑人間です)「……」(おいコラ、人見知り探偵さーん)だがしかし、僕の助言も暖簾に腕押し、当の被告人には傍聴席を振り返る余裕など微塵もなかった。


「運転免許証のほう拝見できますか?」


 有無を言わさぬ凄みで迫られ、半ば強引にマスクとサングラスを剥がされる。そして、ついにはその尊顔と免許証の顔写真を見比べられて「えっ?美都里さんって?」桜吹雪を目の当たりにしたかのような痛恨の一撃が炸裂。またの名を素っ頓狂な声。固唾を呑んで静観していた僕は、猜疑心の眼差しが180度変わった瞬間を目の当たりにしていた。


「はあ、オレ、す」

 拍子抜けも甚だしい茶番劇だったけれども。なるほど、オカルト探偵の知名度とは意外に侮り難し。たとえ李下に冠だったとしても、賢者の冠ならば恐るるに足らずと。


「まさかあなたがあの3億円事件のときの」

「……し、新です」

「テレビや新聞で拝見してます。これは大変失礼しました!本物に会えるなんてちょっと感激です」

「こら、勤務中だぞ」

「あ、はい」


 後ろで腕を組んでいた先輩警官が窘めるも、先陣を預かる部下の興奮は収まらない。相手の身上ひとつで態度を変えるとは、余程のうっかり八兵衛か、警察内部でも尾ひれはひれの探偵神話に執心な信奉者は多かったらしい。


「それで、その、……何かあったんですか」

 確かに生徒が通報したにしても早すぎる。

 年齢は快便くんを一回り大きくした新卒巡査クラス、若々しくも精悍な男が答えた。


「放火事件ですよ。それで調べにきたわけじゃないんで?」

「ええ、それって確か26日の夜のじゃ」

多摩川珠樹たまがわ・たまき。知りません?現役JK貧乏アイドルで活躍中のほら、深夜のバラエティ番組やラジオに出演してる。先月はAKRの総選挙もエントリーしたり。いやね、彼女の熱狂的なファンが悪戯で火をつけて大変だったんすよ。以前から掲示板インターネットで誹謗中傷とか殺害予告の書き込みがあって警戒はしていたんで、ご家族が無事だったのは幸いでした。犯人は捕まえたんですけど、最近は不審者騒ぎが相次いでいたり、近隣住民や学校の要請もありましてね。念のためパトロールの巡回強化してるんすよう」


(なんだ、この話)

 僕の知らない姉、タマの一面。


 正確には本名タマキだったと。その警官はアイドル全般に精通しているのか、彼曰く、多摩川珠樹の所属する芸能事務所POORは、翌日企画していた秋葉原での公開収録ライブイベントを中止にすると緊急発表したようだ。一連の騒動が鎮火しつつある現在では、ファンの励ましと珠樹本人の意向もあって、握手会を自粛しての代替イベントを今月改めて行なうと告知したという。「あ、あの」その一方、若き新米警官の熱烈な説明に割って入れずにいた美都里はしかし、やっとの葛藤で口をついた。


「あの!」

「おっとっと。すみませんつい、なんかベラベラと」

「……いっ、いえ。それは全然」


 美都里は尻すぼみで押し黙る。

 またしても妙な沈黙が過ぎりつつ、眉根を寄せて言葉を紡いだ。


「あの、た、煙草の消し忘れ……トイレでとか、何かじゃなかったんですか?」

「確かに出火原因にそんな疑いもありましたよ。ですけど焼け跡の現場検証の際に、盗聴器の残骸とガソリンが微量ながら検出されたんじゃなかったかな。ですよね、先輩。自分は直接立ち会ったわけじゃなくて又聞きで恐縮っすが」

「……が、ガソリン」

「でもほんと、姉妹揃って聡明ですね。妹の珠緒ちゃんは自分でちゃんと消防署に通報して、珠樹ちゃんは率先して住民の避難誘導とかしたって言うんすから。あの木造2階建てのアパート、ちょうど駐車場に面した角部屋だったんで消防車の放水も捗って、他の部屋に延焼せずに済んだみたいですし」

「それで、その、住所とか電話か、何か教えてもらったりは……」

「……え?」

「ば、バス通学だったら、郊外の住宅でしょうか」 

「それはまたなんで?さすがに個人情報となると、我々の一存ではなんとも。ただ部屋は半焼したので引っ越されましたよ。学区内としか言えませんけど」


 上司の顔色を伺う。

 もちろん首を縦に振るはずもなく「いい加減にしろ」と撃沈。

 法令遵守コンプライアンスは公僕の鑑なるかな。申し訳なさそうに苦笑いを浮かべながら、ではご協力感謝します、お仕事頑張ってください、そんな決まりきった紋切り型の声援を吐いて、不審者改め名探偵美都里を見送るに運びとなった。開始早々10分にも満たない貴重な経験値を残して。


「ふう」

 用心深く角を曲がるまで黙ってハンドルを握り、サイドミラーで後続車を視認、誰もいないと分かると「よっしゃ」さっそく白衣の胸もとを開帳して一息吐いた。

「やっと解放されたな。疲れるわ人間関係ってのはよ。警察のくせにケチな奴らだしさあ。ま、結構な収穫だったからいいか。棚からボタ餅っての?」

(シートベルト、しっかり着けたほうがいいですよ)

「うっせえ。分かってるつーの」


 マスクを放って煙草を銜える。

 蘇った傍若無人な悪態も、こうして拷問を受けたあとでは格別の懐かしさが込み上げてくる。結果オーライとはいえ、職務質問から情報収集をする探偵も珍しいだろうが。


 さておき閑話休題。


(美都里さん、知ってましたね?)

 僕はダッシュボードの舞台に立って抗議の眼差しを送ってやった。

 沈黙が漂うなか、科を作って「てへ」舌をぺろっと伸ばしたので有罪確定となったのは言うまでもない。放火事件はおろか、マオたち姉妹の氏素性も含めて相当の話題性があったのは明白だ。特に現役アイドルだった珠樹。日常的に聞き流していた単語の「仕事バイト」とはアイドル業のことで「お客様」とはファンを指していたのだ。


「だってよお、検索して一発で出てくりゃあ拍子抜けもするだろ?それだって妹の中学校は知らんし、多摩川家がどこに住んでっかは載ってなかったぜ」

(じゃあ、これからどうするすんですか)

「そりゃモチのロン、聞き込み捜査だろ?探偵なんだから足使わないとな」

(また、そんな無茶な)


 暢気に煙草を吹かして1本吸い終わる頃には、学校校舎をぐるりと一周していた。パトカーの姿はない。民家脇の空き地に駐車するなり、「んじゃ行くぞ」マスクを装着、白衣のポケットに僕本体も押し込んで意気揚々と外に飛び出していく。


(またそんな格好じゃ、誰も聞いてくれませんよ)

「うっせえ。つっても人間相手じゃねーし」

 視点を替えると、美都里の生温かな吐息が当たった。一瞬ヤニの臭いがする。同時にトイレの芳香剤らしき甘い香りも漂っていたのでフリスクでも噛んでいるらしい。


「ちょっと、いいか?」

 電信柱に手をついて「あのさ、近くにバス停ってある?」それは僕に話しかけているのではなかった。尋問はすでに、鉄錆びた電柱表面の胴回りを撫でながら開始していたのだ。「ふむふむ」傍から見れば自問自答の独り言。「そっかサンキュ」けれど対人交渉とは雲泥の差で、友達感覚のタメ口捜査は頗る快調だった。 


(……地味にすごいんですね)

 ガードレールに触れ、導かれるように歩みを重ねる所作は童心の頃を彷彿とさせるそれ。道中、幾人もの中学生とすれ違った際には冷ややかな視線を浴びたがお構いなし。肝が据わっていると褒めるべきか何というか。


「てか、地味は余計だろ?テメエは例外としても、十年一昔つってな、基本10年を目安に歳月を重ねたモンだったら、一問一答の簡単な会話ぐれえお手のものだ。サッカーボールしか友達のいねえ大空翼くんとは桁が違うんだよ」


 誰だろう。翼というのも能力者なのか。

 さておき。


(じゃあ、ほんと条件さえ整えば無敵の能力ですね。凶器を触れば時効後の犯人だって分かるし、ギロチンの斬首刃とか触ったらマリー・アントワネットと会話できたり、京都の本能寺に行ったら織田信長に謁見できたりするんじゃないですか?)

「どうだろ。人間には興味ねーからなオレは」


 バス停に到着した。


 電光時計は7時半。

 勢いで、進入してきたバスに乗り込む。

 本来は運転手に聞き込むところを、例によって吊革や座席に手をついて呟き始めた。振動音とプシューという空圧制御音。賑やかな学生たちが降りて以降は、がらんとして不気味なほど車内の物音が木霊している。


「この顔だよ、そうそう見覚えあるか?どこで降りたか憶えてたら教えてくれねーかな」

 美都里はポケットの中の僕を握り締め、「マオちゃんの顔くれ」そっと囁きながら、後列3席目のスプリングが緩んだ座席シートを優しく撫でた。話し声は聴こえない。寝巻き姿のマオ、白いワンピースに身を包んだマオ。そして制服を着たマオ。ある程度の強固なイメージならば、探偵の能力を通して伝わるらしい。至れり尽くせりの万能力を魅せつけてくれる。


 どこを切り取ってもフラクタルな町並みは関東大都市圏に限った話ではない。中学校最寄の駅周辺、商店街のアーケードより、やや北東へ走ってしばらく、再開発地区の一角に至ったのはそれとなく分かった。継ぎ接ぎの道路とその拡張工事、それから老朽化に喘ぐ古住宅の取り壊される様子が流れていく途中で「あ」背凭れに身を預けていた美都里は腰を浮かせた。


「ここだな」

 降車ボタンを押すと、運転手の視線から逃れるようにそそくさと料金箱を通過して歩道に飛び出す。小銭には500円玉が混じっており、ひょっとしたら多めに支払ったかもしれない。それを指摘してみると「は?チップだよ」と何食わぬ顔で嘯いた。ここまでくると可愛く思えてくる。

「なんだよ、行くぞ」


 団地やアパート長屋とは一線を画すモダンな街作り。安全第一や工事中の立て看板も目立つそこは、道路の拡張計画が進んで駅との直通線もできれば、交通の便も申し分なくなるだろう。


 そんな再開発地区の一角。

 タワー型の高層マンションが聳えていた。


(ここがそうなんですか?)

「ううん」


 美都里が顔を上げ、僕の視線もそちらを仰ぐ。

 全体的な外観は近代的な造形美に富んでおり、仄白い磨りガラスと木目調の扉で閉ざされた正面玄関の奥は覗けそうにない。大きな屋根らしき斜面は、パフェの上に載っている板菓子のように傾いているようで、おそらく太陽電池のモジュール仕様なのだろう。さしずめフルオートの様式便器が自動でフタを開くようになっているといった感じ。


『プリンセスオダサガ』

 金文字で刻まれた銘板プレートに美都里が手を触れていた。だが、先ほどから眉間に皺を寄せて押し黙っている。


「ちっ……新築マンションだなこりゃ。オレの簡単な質問に応えやしねえ」

(なんて言ってるんですか) 

「与えられた基本情報を読み取るとだな、建物名はプリンセスオダサガ。鉄筋コンクリート造り、地上15階建ての分譲マンションだそうだ。間取り3LDK、住居専有面積71~77平方メートル。建物の屋上に設置したソーラーパネルによって、共用部に適宜配電される地球に優しい高級住宅とか。売主は株式会社ゴウダ。登録住所及び連絡先はなんたらかんたら」


 と、

 そこで一旦停止。


 美都里の横を、人影が通り過ぎていった。


 同じ制服を着た少女が2人出てきたのだ。大野2中の制服を着た女子中学生。遅刻、遅刻を連呼しながら一方の少女が一方の少女を気遣いつつ、急いでバス停に走って。


 それはマオだった。


 本名、多摩川珠緒。

 隣にいる相撲取りのような大柄な少女はメガサリナ。


「どうする?声掛けてみっか?」 

(……いえ)


 これで良かった。

 多少意外な邂逅ではあったけれど。


 再会を果たして感無量。放火事件の被害に遭って、一時はどうなるものかと気を揉んでいた頃が懐かしい。警官が「無事」と言っていたように、五体満足、万事平和だった。マオの元気な姿がしかとこの目で確認できればそれでもう。僕の目的は達成されたも同然ではないか。そうに違いない。一緒に登校できる親友もできて、それは喜ぶべき成長でもあって。


 いまさら何を違和感など、あるはずが……


「あのよ、今気になってググってみたんだが」

 マスクを通じて吐息が降りかかる。美都里はスマホの画面を操りながら、何やら囁いた。

「やっぱビンゴだった」

(なんですか)


 僕の言動ばかりか、その内面の不安を読み取っていたかのように、急に神妙な面持ちになって独りごちる。


「株式会社ゴウダってのは、このあたりじゃ有名な成金企業っぽいんだわ。ゼネコン関連の建設業を筆頭に不動産やら何やら、最近は環境ビジネスも熱心で、土地買い占めてメガソーラーパネル開発の事業まで幅広く手掛けてる。そんでもって会長さんのSNS覗いたらよ、孫娘がいてさ、名前が沙理奈つーらしいぜ。郷田沙理奈ってひょっとしてアイツじゃね?」 


(……社長令嬢)


「会長だけどな」

(別に、マオが誰と付き合っててもいいじゃないですか)

「てか、要はあれだろ。さすが腐っても貧乏娘。だからマオちゃんは近づいたんじゃねえ?」


 嗚呼、笑えない冗談だ。

 僕はそこで一蹴すべきだった。


「まァ、女なんてそんなもんよ」

 同属嫌悪の眼差しで、マンションを眺める女探偵。


「要するにだ、犯人は盗聴器を仕掛けてたって話だろ?周波数だとFMやVHS帯を使ってるのが結構多い。珠樹は自分が出演してるアイドル番組を聴くのにラジカセの微調整チューニングしてて、一緒に怪電波を拾ったとすりゃあどうよ。それとなく家族が不在の予定を吹き込んどいて、犯行時刻を誘導するぐらい容易い。放火の被害もある程度コントロールできらあ」

(放火を見逃した?そんな、どうして) 

「おいおい、カマトトぶんなって。もう察しがつくだろ。タダでは転がらねえのが商魂逞しい貧乏姉妹ってなわけで、妹の珠緒ちゃんの出番だ。彼女がお嬢様と友達になったのだって、普通に考えりゃ美談すぎだろ。右も左も知らねえ転校生が、選りにも選ってあんなブタ女を最初に選ぶか?それよか学校でいじめられてたのを庇った優等生を演じたのはブラフだったんだ。情けは人の何とやら。今回こうして不慮の放火事件に見舞われ、いよいよ親友の窮地ピンチ糸口チャンスにして郷田財閥の援助に縋りつくことができた。おかげで見事ランクアップの住処マンションをゲットしたって寸法よ。まァ姉妹を責めてもしょうがない。親父の入れ知恵で唆されたのかもしれんし、不幸と不幸が重なって幸福に裏返った奇蹟って可能性だってある。ただ、それでも事実は事実、この通り動かねえ。厳しい現実はいつも1つだって名探偵も口を酸っぱくして言ってたし一件落着さ」


 めでたし、めでたし。そう美都里は締め括った。


 頼みもしないのにベラベラと。

 オカルト探偵が聞いて呆れる。

 


 





 

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