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第4章【ようこそ静物園へ◆3】

 ラジオ体操が始まる時分。


≪おい、聞こえるか紙人間≫


 黒電話を模した着信音によって叩き起こされた僕は、驚きを通り越して機嫌が悪かった。昨晩のうちに、大まかな地形図は把握している。自転車のホイールを転がり、突出した傘の中骨シャフトに絡みつき、ジャングルにおけるターザン方式で衣類の海を渡ると、最短距離で端末デスクに登り詰めた。


(……いますけど。はい)


 遥々踏破した達成感もひとしお、僕は24時間接続のタブレット型PCに触れ、通話専用の画面を開いた。時刻を確認すると、やはり午前6時30分を回ったばかりだった。


(僕の思念って、パソコン越しでも届くんですね)

 おはようございます、と掉尾に付け足して皮肉たっぷり微笑んでやる。如何な超常の伝導師とて、僕の豊かな表情は読み取ってもらえないのが誠に遺憾だ。


≪まーな、そりゃあ特殊なマイク仕込んでるのさ。普通のケータイじゃ絶対無理だから調子乗んなよ≫

 片や美都里のほうは、自宅のベッドで睡眠補給を済ませて機嫌は頗る良かった。その口ぶりから、僕以外にも自ら移動できるモノが居るようだが。


≪つーか紙人間さんよ、お前にいくつか訊きてえんだが≫

(これ、どんな仕組みで通信してるんです?)

≪お前が学校のトイレで聞いた会話の中で、男子どもがMXって言ってたんだよな?TVKでもKBSでもなく、ましてメーテレでもなくMXだって≫

(僕の頭の中、そこまで詳しくトレースしてたんですね)

≪そりゃあ芯の裏側までしっかりな。結局んところ、お前が口にした中学校までの記憶しか辿れなかったけど。んなことより早く答えろ糞人間≫

(どうしてそんなこと気になるんですか)

≪質問に質問返ししてんじゃねーよ、ライターで炙るぞ糞が≫

(確かMXだった気がします)

≪給食じゃなく弁当だったのも本当か?≫

(あ、……いえ。そっちは勘違いでした)

≪ふうん。んじゃ最後にひとつ朗報を教えてしんぜよう。今さっきググったらよ、別にお前は新聞紙の生まれ変わりじゃないらしいぜ。不安がってたその記憶な、再生紙としてのニュース記録じゃない可能性が高え。ていうのも、最近のトイレットペーパーって、新聞紙じゃなく牛乳パックとかコピー用紙とか、駅の切符とかで造ってるみてえなんだわ≫

(はあ)


 そんなことを伝えに、この朝っぱらから。


≪オレってば、名探偵だかんな≫

 渋々承諾したくせに偉そうに。


(……もういいですか)

 掴み所のない性格に、邪気を帯びた高飛車な気質といい、昨日の初対面でも感じていた印象は最悪のまま。正直、友達にはなれそうにもない。 


(そうだ。ついでに僕からも質問ひとついいですか?ずっと気になってたんですけど、ググるってなんですか?)


 回線状況が芳しくないのか、一瞬通信が途切れた。


≪40秒でそっち到着すっから≫

(あ、あのー) 

≪支度しておけよ≫


 通話終了の暗幕。

 移動中の車内だったようだけれど。


(いち、に、さん、し……)


(あ、起こしちゃいましたか石油王)

 机を飛び降り、出入口の扉に向かおうと舵を切ると、ちょうど奥座敷のフロアから息遣いが聞こえた。


(いち、に、さん、し……)


 僕が認識できる声は限られている。

(すみません、お騒がせして)

(いやいや構わんよ。美都里殿のことは悪く思わんでくれ)


 縮んだ筋繊維をほぐすように、紙片を伸ばして屈伸運動。毎日の日課なのだろう。


(……彼女、あれで存外世話焼きの性分なのだ。嘗て、小生が巻き込まれた冤罪事件の際に介添えしていただいた。物心ついた頃から対人恐怖の気があるらしく、他人と目を合わすのも不得手だというのに役人どもに懸け合ってな。その通信機械もそう、小生の無聊を慰めるため用立ててくれたほどゆえ)

(動けるんですか?そこから)

(まだまだ現役よ)

 気合いも新たにホルダーの真鍮蓋を持ち上げて、石油王は矍鑠かくしゃくとした足取りで舞った。

(これもまた一種の、いや、モノがヒトに恋心を抱くのもまた運命の常なるかな)


 大回転に紙登りの華やかな実演。

 まさか美都里みたいな女に惚れてたのか?このエロじじいめ、となじれた義理は僕にはない。どころか直裁に共感させられたのは、ひとえにヘンタイ紳士たる僕の偽らざる本音でもある。


 40秒を5分ほど超過して美都里が颯爽と現われた。


「ほら、とっとと車に乗れ」 

 変装には磨きが掛かって、野球帽にUVカット仕様のサングラス、さらに口には花粉症の立体マスクを装着し、首にはマフラーのような厚地のスカーフを巻き、襟を立てたオーバーコートを羽織って完全武装。桜咲く4月を迎えた今日、冬の南極大陸を調査しに行くつもりか。まだ鹿撃ち帽にインバネスコートの組み合わせのほうが数倍マシかもしれない。


(暑くないんですか、それ)

「ま、あれだ、汗を掻かないつったら嘘になるわな。ただ、宇宙服よりは涼しいだろ」

(ここ地球ですよ)

「うるせえテメエ、殺すぞパルプ野郎」


 案の定、車内はエアコンが最大限利いており、フロントガラスは結露で曇っていた。「ち、やっぱダメだこりゃ」10分も走らせないうちに路肩に停車、結局変装を解いて窓を全開にしたのは、必然というべきか称賛というべきか。さっそく煙草を取り出して1本吸っている。とりあえず、美都里の自宅が10分以内の距離に位置していることは推定できた。そして付け加えるなら……


「ふう」

 男装ではなく、私服らしき白いノースリーブの上半身が露わになった。豊満な胸の谷間も綺麗な鎖骨デコルテも、そして柔らかな細身の二の腕も。昨日と同じく髪は後ろで束ねているものの、荒々しく粗野な男言葉とは裏腹に、紛うことなき洗練された成人女性の艶姿がそこにあった。


「さてと」


(………)

 目のやり場に困る。窓の外に副流煙を吐いて、だらしなく前屈みなって項垂れて無防備ではないか。ビル間から朝陽を浴び、首筋に滴っていた汗が煌いている。 


「ちと腹減ったな、コンビニ寄ってきて正解だったわ」

 相変わらず本能に忠実な女は、吸殻を車載灰皿に放ったその手でレジ袋を漁り始めた。「ツナマヨでいっか」透明な保護フィルムを剥がすと、海苔で巻かれた三角おにぎりを口に銜え、片手でハンドルを切り返して愛車を発進させる。


「やっぱ食品工場のベルトコンベアに揺られて自動生産された握り飯はうめえ」

 皮肉でも何でもなく本心から感激して、あっという間に平らげた美都里はそれから、指についた米粒を舐め舐め、やおら僕のほうに手を伸ばした瞬間(痛っ)思わず顔をしかめた。数センチ千切った紙片で粘ついた指先を拭い去ったのだ。


(ちょっ!)

 僕はホルダーを抜け大回転、小高い丘の肘掛けを蹴った。勢いに任せ90度の背凭れを脱兎の如く駆け上がる。(僕の体で拭わないでくださいよ)後部座席へ避難すると、エリエールの箱を恨めしく睨みつけていた。文字通り寿命が縮まる思いだ。


「ほんの5センチだろケチんなよ。それよか切っても感覚共有してんだったよな。今のご飯粒だけで商品の値段とか、製造元の住所とか分かったりしねーの?」

(……そ、そんなの分かるわけないですって)

「なんだよ使えねえ。だったらオレの唾液はどんな味だ?興奮しただろ?」

(僕にはトイレットペーパーとしての素養しかありません。残念ながらそんなヘンタイじゃあ)

「ふうん」

 つまらなそうに嘆息、美都里は運転席側のホルダーからウコンの力を取って一気に飲み干した。晴天の青空、今日は暑くなりそうな雰囲気が満ち満ちている。


 車は西新宿1丁目の交差点を右折、国道20号線に乗って南下していく。クイントビルや文化学園大学、ワシントンホテルなどの高層建築を抜け、ついには首都高速に進入していた。


(それで、今日は何するんですか)

「頼みを聞いてやる代わりに、助手見習いとして働いてもらおうと思ったけど、先にお前の依頼を片付けてやろうって話よ。ま、それでもオレの査定じゃ聞けるの1回だかんな」


 図に乗るなよ?と念を押されてしまった。


(僕の、依頼) 

 自分自身の正体を明らかにすること、あるいは失われた記憶の所在、元の人間に戻すこと、犯人探しという方向もあるが。ともかく美都里にしてみれば、探偵業を辞めたい気持ちは萎えていないはず。この泣きの一件で正真正銘の引退を掲げる、ゆえに一回。算盤勘定ビジネスライクの鑑といった意気込みのようだ。ただし捜査一課という国家権力を前に、押しに弱い彼女の本質は早々変わるものでもないだろうけれど。


(……そのことなんですけど。僕のお願いとしては)

「そそ。今日中に片付けてやんよ。当方、ミトリ探偵事務所は成功報酬の後払いを採用しております、なんつって。体で払ってもらうのは今度な」


 屈託なく白い歯を輝かせるオカルト探偵女史。体で払えとは実に身の毛のよだつ台詞だ。僕はさぞかし引き攣った愛想笑いを浮かべていたに違いない。


(それは、でも美都里さん、さっきから明らかにどこかへ向かってますよね)

「どこってお前」

 料金分の元手を取り返すように、アクセルを踏みっ放しで、有料区間をぶっちぎる新品の軽自動車。この春晴れ、風を切って爽快なドライブ日和にうってつけの条件設定だったが、もちろん生活圏の新宿を離れてまで、インドア派の美都里に外世界を楽しむような趣味などあるはずがなかった。


「何って今更だなまったく。お前はマオちゃん家、捜してえんだろ?違ったか」


 なんと。 


(……ち、違わない、です)


 完全に見透かされていた。探偵の本領発揮か。あるいはスマホの検索履歴を開けば想像に難くなかったかもしれない。自分がどこの馬の骨かも気になるし、この元凶、犯人も気懸かりだけれど。まず第一に、無性に気になって仕方がなかったのだ。中高生のマオたち清貧姉妹の安否を確かめないうちは。


(寝覚めが悪くて、その、乗り掛かった船というか)

「ま、どうでもいいけど」


 地響きを上げる重低音。 

 美都里は冷ややかな面持ちでアクセルをベタ踏みし、安全運転に努めるバスやトラックを牛蒡抜きして行った。探偵が警察に捕まるとすれば、公務執行妨害かスピード違反ぐらいだろう。そうでなくとも後部座席には、迷彩色の軍服やら作業服やら白衣やら変装用のストックも古今東西に揃っており、職質されるだけでも言い訳に苦慮するだろうに。


「暇だから一応、前置きぐらいはしたろか」


 何本目かの煙草を吸い終え、窓を閉めた。

 途端、嵐のように五月蝿かった排気音が少なからず収まったものだから、台風の目に入った感覚だ。「えっと、要するにだ」探偵は唐突に咳払いしてから話し始めた。


「学校のトイレで耳にしたMXってのは、東京メトロポリタンテレビの略称。即ち東京スカイツリーの半径50キロ圏内、関東地方の学校施設だ。姉が聴いてたラジオっつうのも、JUNKは関東一円。つまり公立私立を含めると2000校以上。そこから広告チラシの線、あの系列は24都道府県に店舗を持つ総合スーパーで、関東に出店してるやつだと10分の1は絞り込める。さらに1年生は最低でも5クラス。4クラス以下しかねえ小中規模の学校は、弁当持参も含めて除外する。男子トイレに入ってきたメガサリナだっけ?そいつの上履きの映像が強烈に焼きついてるんだが、確か靴紐が緑色だったな。男子もみんな体操服の色が同じだったはず。学年カラーは順繰りで変わるんで、新学期を向かえた現在2年生の学年カラーが緑色の中学校と限定して3分の1まで減らした結果30校ぐらい残った」


 意外に理路整然として、なるほど僕の記憶を頼りにそんな推理を巡らせていたとは知らなんだ。いきなり一瀉千里の勢いで説明するや、当の探偵女史は独り神妙に頷いた。 


「つーわけで、これから直接足を運んで1件ずつ聞き込み調査しようと思う」

(……え)


 正直、意外に重労働だなと絶句したのは否めない。仮に1日3校回ったとしても10日か1週間以上。人嫌いの美都里が重武装で身を包んでいたのも無理からぬことか。


「なんつて、はは、嘘ぴょん」

 言ったそばから、真っ赤な舌を覗かせて嘯く。

「今の30校の学区内を念頭に、火事の起こったのが3月26日と判明してりゃ、その日付で大炎上から小火騒ぎまで何でもござれ、火災関連のニュース漁って楽々ゲットだぜ」

(それって)

「ま、とりま行ってみてのお楽しみよ」


 車載音響を操作してCDのアルバムを掛けた。大橋JCTのトンネルを抜け、首都高3号渋谷線から東名高速をひたすら南下、法定速度60キロの標識を尻目に、殺風景な灰色の防護壁と生い茂る新緑の中を突っ切ると、軽快なアイドルソングの連なりが終わる頃にはどこか出口の看板を左に曲がった。左回りの緩やかな遠心力が体に押し寄せて、睡魔に陥りかけていた僕はうっかり油断していたものだから後部座席のシート上を転がってしまった。窓が開いていたら風に呑まれていたのは確実。ベルヌーイの法則を駆使しても御しきれなかっただろう。この期に及んで荒波に翻弄される日々に逆戻りなどご免被りたい。


「着いたで」


 それから30分ほどして、まさかの現場到着。

 桜並木の映える通学路をトロトロ徐行していると思えば。

 何の前触れもなく路肩に停まった先には、学校があった。目的の中学校と思しきそこは、隣は町田だったか。東京都下との県境に位置する神奈川県の北部……


「どうだ?見覚えあるか?」

(いえ、全然)


 僕が最初に目覚めた学校。原初の大便室。

 僕は校舎を外から拝んだ試しはなかった。校門前の銘板には大野第2中学校と彫られている。


(本当に、ここなんですか)

「さっきの条件を満たす学区はここで間違いないぜ。火事の遭ったアパートも、詳しい住所載ってねえからな。転校生のマオちゃんが通ってる中学から攻めるのが王道だろうに」

(さすがに外観では……。あ、でもトイレに行けば思い出すかもしれません。3階か4階の男子トイレに)

「テメエ」


 時刻は午前7時。

 比較的人気のない今なら、確かめるだけなら。


「つーか、いちいち連れてくのしんどな」 

 またぞろゴミ袋を漁って、先ほど口許を拭った僕の一部を回収するなり、美都里はその紙片を広げて伸ばした。次に、小物入れ《グローブボックス》から取り出した両面テープでもってマスクに貼り付ける。


「離れてても視覚とか共有してんだったよな。学校の敷地内なら余裕だろ」

(ああ、はい)

「そんじゃそこから見とけよボケ」


 車を一旦、校舎裏のほうへ移動させ、再び『対人対策』の変装を済ませた美都里は潜入捜査へ向かった。ちなみに僕の切実な助言が功を奏して、不審者の代名詞ロングコートは脱ぎ捨て、ラボコートの白衣を着用してもらった。あわよくば化学系の臨時教師たらんことを。一抹の不安といえば、帽子に花粉用マスクはまだしも、その円らな瞳がドス黒いサングラスで蔽われていては、通報されるのも遅かれ早かれかもしれない。


 パチコン、パチコン。

 堂々と胸を張って来賓用スリッパを履き、職員用玄関の奥に消えてしばらく。パチコン、パチコン、パチコン!


 近くのグラウンドで、小気味よいボールの打球音が木霊していた。

 目を凝らすと、赤茶けたあれは土砂クレイを敷き詰めたテニスコートのようで、精悍な顔つきの少年がスマッシュの練習に励んでいるのが窺える。春休みを終えて新学期の今日、期待の新人「快便くん」は2年生にして部長を務めていた。





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