第4章【ようこそ静物園へ◆2】
美都里は特異な蒐集癖を持っていた、若しくは何某かのコレクションを預かっていた、まさか僕をこんな目に遭わせた犯人が、探偵職を生業としていた?とまで飛躍して考えたわけではないが。何にせよ、眠い目を擦って自宅に引き上げてしまった今は、保留にして現状把握に努めなければならない。忌みじくも世界は広しと彼女が謂ったように、オカルト探偵に続き2人目、面と向かって僕と意思疎通の図れる相手がいようとは嬉しい裏切りだった。
それも同属同種の。
(……えっと、は、初めまして)
(驚くほどのモノでもあるまい)
(貴方がここの?)
僕は恐る恐る近づいていった。微量にお香が漂うのは、唐傘やら掛軸やら畳の井草やらが並んでいるからだろう。僕には同属の声しか聞こえなかったけれど、彼らもまた人間の言葉を介しているのかもしれない。
(小生は古株というほど重鎮ではないがな、1970年代の世界不況の起きた40年前に遡るか、石油危機以降より生きながらえている老兵よ。資産家の奥方が大量に買い占めた末尾が、そのまま土蔵に捨て置かれて本来の任を失した。昔のことは憶えておらん。斯様に流々と人間の言葉を介するようになったのは最近の話でな。縁あって園長の美都里殿に引き取られ、こうして『静物園』でのんびりだらりと第二の余生を愉しんでおる)
僕にとっては大々先輩。オイルショック出身の「生きた化石」が未だ存命とは思わなんだ。自らを石油王などと豪語するだけの衒いはあったらしい。
(これがあれだな、いわゆる付喪神タイプの超自然現象っていう)
だとすると、同じ喋るトイレットペーパーでも、厳密には僕のそれとは原理が異なるはず。西洋の精霊信仰も然り、人語を使うのは手段としてで、むしろ狼男や吸血鬼など創造物に通ずる。僕の場合人間社会に基づくものである。
(他のモノも同じなんですね)
(左様。自我に目覚めたのは小生だけではない。ここに集められているのは居場所の失くなったモノ、紆余曲折を経て主人を喪ったり、離れ離れになったモノたちが大半。故に『静物園』とは、要は老いさらばえるモノたちの寄り合い場所にして、さらに敷衍するならば、新たな主人を待ち侘びているのかもしれん)
(静物園って?)
(ゾウやキリン、パンダといった哺乳類、専ら人間に愛されている陸上生物を中心に飼育し展示するのが動物園とすれば、ここは嘗て人間に愛された傘や衣服、家具など無生物を取り揃えた静物たちの楽園、曰く静物園と呼ばれておる)
石油王は、くるくる、くるくる、くるくる、触手を伸ばして僕の表面をなぞった。未知との遭遇ここに表わす。その色褪せて萎んだ紙片は、節くれ立った手首と変わらぬ仙人か何かの様で、神々しくすらあった。
しめやかな歓待を受けつつ、僕はそっと息を吐いた。仄かに照り返るオレンジ色の天井を仰ぐ。
美術館や博物館、はたまた東京文化財研究所の指導を仰いでいるわけではないだろうが、一定の温湿度に保たれた環境だというのは感じていた。人間にも性別や人種によって不快指数が異なるように、素材や製品によって区々なのは当たり前としても、ほどよく均衡の取れたガラクタ保管施設、通称『静物園』
(あのオカルト探偵が命名したんですか)
(左様。そこに端末があろう)
(これですか)
部屋の中程に小さな机が設置されていた。タブレット型PCの情報端末が繋がれ、操作法は例のスマホと同じタッチパネルになっている模様。どうやら美都里が僕に示した根性論には、しっかりと前例があったということだ。
(静物園とは、インターネット上の看板でな。通常業務は、直販の方式を執っている。全国どこにいても、24時間好きなときに品定めが出来ようとは便利な世の中になったものよ。金額が高値になるものに関しては、或いは実際に足を運ぶ数奇者に向けて一般開放しているのがこの展示会場だそうな)
美都里は探偵業はあくまで副業と愚痴ていたように、どうやら真の本業は自営業だったらしい。転売目的の背取りやリサイクル業と似たようなもので、WEB専用のオンラインショップを切り盛りしていた。
古物商のような、しかし実態は。
(……なんだ、これが商品なのか)
オークション一覧。
僕はその但し書きを読んだ。
喜劇王チャールズ・チャップリンが生前、親交の深かった使用人運転手に与えた贈呈物用の手紙を認めるために執ったサインペンのキャップ2500円であったり、マリリン・モンローが新婚旅行で訪日した際立ち寄ったホテルのレストランで給仕係を担当したウエイトレスが陰で保管していた紅付きの銀食器5500円であったり、力道山が興行ツアーを終えた打ち上げ会場の飲み屋で割った茶碗の破片300円であったり、美空ひばりが座長公演を行なった新宿コマ劇場近くのタクシー乗り場で忘れたビニル傘の持ち手7100円だったり、伊能忠敬が第7次測量時に歩いた甲州街道沿いの茂みで小用を足した落石とそこに挟まった草鞋の緒24000円だったりと、一見して嘘八百を並べた紛い物、どれもこれも廃棄対象のゴミ屑同然なのだが、それが美都里のメガネに適ったとたん、希少価値が付き、骨董品に早変わり。
(信じるか?信じないかは別にしても)
なんと商魂逞しいオカルト女。
傘にしろ財布にしろ、忘れ物、遺失物は保管期間が決まっている。
最近は法改正がされ、警察は公示から3ヵ月間。駅や図書館などその他の公共施設の忘れ物は一定期間保管した後、そこから食べ物や不用品と判断されたモノを除き、貴重品の類のみが管轄警察署に引き取られると聞いた。つまり大半が遺失者に返還されず、棄てられる運命の落伍者たちを救済しようと立ち上げたのが、このネットショップだとすれば、あの美都里の性格も冷たいだけの守銭奴ではないのかもしれない。
(ただ単に、コミュ障の考えあぐねた苦肉の策ではないんだろう)
とはいえ、こんなゴミ溜めに金銭を払って観賞しに来るような奇特な蒐集家などいるものか。正直、老婆心ながら甚だ疑問ではあるけれども。
(石油王も誰かを待ってるんですか?)
(小生か?うむ、さて、どうだろうな)
ゆったりした動作で真鍮ホルダーの台座に治まり、今は亡き遠い故郷を回想するように言葉を紡ぐ。彼の周囲、埃なのか繊維の屑なのか、発条仕掛けの人形よろしく、僅かに身動きするたびに細かい粒子が舞っていた。
(もう現役を退いた老兵には叶わぬ夢よ。この有様ゆえ強めに擦っただけで朽ちてしまう。潔き現代人にとっては、御祓い箱の鼻摘みものだろう)
(でも、ガンガン使われるよりマシですって。丁寧に拭きもしないで次から次へと千切っては捨て、千切っては便器を通って配水管に流されて、海の藻屑になるよりよっぽど)
(結構な大義ではないか。小生は想うぞ。ヒトの役に立てれば本望なのだと)
(ううん)
(如何なされたかな)
(それじゃ石油王、こういうのはどうです)
実はですね、と僕は懸念していた心情を吐露し始めた。
(うむ。悩める若人よ。小生の知識など知れておろうが、それでも宜しければご随意に)
滅多にない機会だ。その日は夜通し、石油王と心ゆくまで相伴に与かったのは言うまでもない。自分会議では味わえなかった、会話らしい会話に酔いしれながら。このときは、まだ……




