高 8
ほのかを見つめながら、涼は「もう一人の自分ともう一つの世界」について考えた。なぜほのかはあんなことを言ったのだろう。この不安になる気持ちはどこから来るのだろう。そして思い出せない大事なものとは何か。考えれば考えるほどわからなくなり、心が暗くなってしまう。
「風見、最近おかしいぞ。ぼうっとして……どうしたんだよ」
田所に言われ、はっとした。また頭がぼんやりしていた。
「お前、前はよくしゃべるし頭いい奴だって思ってたけど、今はたるんでるよな。なんか悩みでもあんのか?」
「悩みなんかないよ」
すぐに答えた。田所は首を傾げながらもう一度聞いてきた。
「そうか?もしかして清谷とケンカとかしてんのか?」
「ケンカなんかしてないって」
「それならいいけど。あんまりぼやぼやしてると清谷に愛想つかれるぞ」
ぎくりとした。ほのかを誰かに奪われるわけにはいかない。何のために日々努力しているのかわからない。
「ぼんやりなんかしてないよ。田所の気のせいだって」
無理矢理笑顔を作り、その場から逃げた。
現在、涼をこんなにも不安にさせているのは間違いなくほのかだ。なぜ過去のことを言わないのか。あまりにも不自然だし、何よりも涼の話と違うのがおかしい。大好きなほのかと一緒にいられて幸せだったのに。ほのかがそばにいてくれれば何も怖くないと信じていたのに……。こうして不安な日々がこれからもずっと続いていくのだろうか。白く覆われた空間で生きていかなくてはいけないのか。
「まーたぼんやり!」
むっとした顔でほのかが言った。涼は苦笑いをしながら謝った。
「ごめんごめん。えっと……何の話だっけ……」
するとほのかは俯き、小さくため息を吐いた。
「……涼、もしかして、あたしのこと飽きてる?」
「えっ」
驚いて目を見開いた。こんなことを言われるとは思っていなかった。
「そんなこと思ってないよ」
すぐに言うと、ほのかは俯いたまま呟いた。
「いいよ。あたしが嫌なら……別れても……。あたし、全然、気にしないから……」
「俺はほのかのこと嫌だと思ったことなんて一度もないよ」
涼の胸の中に嫌な予感が溢れ出した。ほのかはしばらく動かなかったが、震える涙声を出した。
「涼は、あたしがいなくても平気?」
思わず涼はほのかを抱きしめた。
「平気なわけないだろ。なに馬鹿なこと言ってんだよ」
「本当?あたしがもし違う世界に行っちゃったら、涼はどうする?」
なぜこんなことを言い出すのかわからない。心臓がどくどくと速くなる。
「変なこと言うなよ。ほのかが違う世界に行くなんてこと、絶対ないんだから」
ほのかは小さく頷いた。
「……そうだね……。あたし、馬鹿だよね……」
「馬鹿だよ。そんな……変なこと……」
涼は自分の体から力が抜けていくのがわかった。声も弱弱しくなる。これではほのかは護れない。無理矢理腕の力を強くした。
「ねえ、涼、知ってる?歩道橋の話」
ほのかが突然話しかけてきた。
「歩道橋の話?」
そう言うと、やっぱり知らなかったんだなという顔で話し始めた。
「あたしも最近聞いたんだけど、あの歩道橋でこの学校の生徒が死んだらしいよ」
「えっ?死んだ?」
驚いて目を見開いた。まさかそんな話だとは思っていなかった。ほのかはさらに詳しく話した。
「好きな人に告白して、ふられちゃって、そのショックで飛び降りたんだって。自殺だよ」
「自殺……」
涼は頭の中で自分を自分で殺すということについて考えてみた。それがどれほど恐ろしいか多分誰にもわからないだろう。涼も全くわからない。
「別に死ぬことなかったじゃない。また別の人と恋をすればよかったのに」
暗い表情でほのかは呟いた。
「死ぬほどその人が好きだったんだな」
そう言ってから、涼もほのかのことが死ぬほど好きだったと思い出した。もしほのかにふられたら、その子と同じく歩道橋から飛び降りていたかもしれない。ほのかはため息を吐いた。
「まだ一五歳だって。死ぬの早すぎるよ……」
涼も残念な気持ちになった。まだ一五歳で命を絶つなんて、何と酷な話だろうか。
「ふった相手はどう思ってるかな」
独り言のように言うとほのかは目を閉じて首を横に振った。
「わかんない。でも、かなりショック受けてると思うよ。自分の言った言葉で、一つ命が消えたんだから」
涼は小さく頷いただけだった。何も言葉など見つからなかった。
「歩道橋、今度とり壊されるんだって」
「そうなのか」
「だって人が死んじゃったんだから。それにもうかなり古くなってたし」
ほのかの言葉がぐるぐると頭の中で回る。なぜもっと早くとり壊さなかったのだろう。
「その子、どんな気持ちだったんだろうね」
急にほのかが聞いてきた。
「どんな気持ちって?」
涼が目を丸くするとほのかは悲しげな顔をした。
「一五歳なんてまだまだこれからって時だよ?そんなに……死んじゃうくらいショックだったのかな」
涼はもう一度頭の中で考えていた。人間も動物も、いつか死ぬのだ。どんなに願っても死はやって来る。涼も死ぬしほのかも死ぬ。いつ死ぬかが違うだけで、この世で生きているものの最後は必ず死だ。
「なあ、ほのか」
「なに?」
ほのかがじっと見つめてきた。深呼吸してから涼は静かな声で言った。
「俺たちは永く生きていこうな」
ほのかはゆっくりと頷いた。涼の体を抱きしめながら涼と同じく静かに言った。
「当たり前でしょ。あたしたちはずっと一緒だよ」
涼もほのかをぎゅっと抱きしめた。




