43章 二度目の邂逅
水底へ沈んでいく両隣に、二つのおぞましき気配を感じる。
―――俺達はずっと傍にいたんだぜ?兄貴を守りながら、さ。
―――現実の奴等は皆、素直で可愛らしいアスを狙っているもの。
尤もらしい事を言いつつ、一対は蛇体を更に強く巻き付け、同時に真っ赤な口を開いた。
―――もう、二度と光の世界へは帰さない。
頭を下にひたすら堕ちる僕はその時、切な過ぎて狂いそうな感情に襲われた。
(ああ……とうとうここまで戻って来たんだ……)
あの人に出会った場、欺瞞に満ちたパーティー会場へと、意識はゆっくり落下していった。
「っ!!!?」
監視役の弟と共に会場へ出た僕は、驚きで反射的に胃が飛び出しそうになった。
「何やってるんだ、あのアマ?」
同時に気付いた彼が呟くのも当然だ。
お世辞にも煌びやかとは言えない貴族や富豪達の中、清楚な白いドレスに身を包んだマリアは入口の辺りをウロウロしていた。つい最近訪れた筈なのに、目に映る物全てが珍しいのか、始終キョロキョロして。
―――それが、僕とあの人の出会いだった。
「ようこそお越し下さいました、美しいお嬢さん」
止めかけた弟を無視し、僕は彼女に近付いて声を掛けた。
「お、お招き頂き……ありがとうございます」
招いた筈は無いのだが、偽者のマリア・アンサブはたどたどしくも丁寧に返答した。不思議だ……耳に馴染んだ声なのに、その余韻は儚くてまるで……夜の海に映る、幻の静月のよう。
「あの、あなたは?」
小首を傾げ尋ねる。僕が自分と弟を紹介すると、蕾が綻ぶように笑った。
「私はマリア、マリア・アンサブです。済みません。こんなに人の多い所に来たのは初めてで」
「ここは社交場ですからね。転んだりはしませんでしたか?」
「あ、はい」
場慣れていない、にしては優雅なドレスの着こなしだ。裾を踏んだ形跡も無い。彼女は一体―――何者だ?
「君、可愛いね。そこいらの貴族の女よりよっぽど。良ければ俺達が会場を案内してやるぜ」
言いつつ僕に素早く目配せした。人気の無い場所で始末するチャンスだ、と。
「そうだね。これだけ綺麗な人だと、良からぬ事をする客もいるかもしれない」
提案に乗る気は更々無いが、このまま一人にしておけば何れ姉に見つかり、手を掛けられるのは確実だ。それに少なくとも、人目のある所を回っている間は『雄蛇』も手を出せない筈。
「良からぬ事?」
幼子のように問い、又も小首を傾げる。若く見えても四十代のマリアには、間違ってもこんな愛くるしい表情は無理だ。
「ええ。でも案内役が二人もいるんです。何も怖がる必要はありませんよ」
「そう……ですね。ありがとうございます、お二人共」
痛覚を失った心臓に、キラキラした瞳の光が突き刺さって激しく疼く。
この人は叔母ではない。しかし彼女の知人なら、僕に何らかのメッセージを渡そうとするだろう。しかしこの様子では、ここへやってきた事すらもどうやら自分の意志ではないようだ。
関係者の姿を借りた、全くの無関係者。けれど余りに無垢で穢れなく、そして美しい。まるで深海で陽光を一生浴びず、純白のまま生涯を終える希少魚、シャーマンシーのような……。
(この人だけは、何としても『蛇達』から守らないと……!!)
起こるべき一切の過程、その何もかもをすっ飛ばして、僕は惚れてしまった。そして奇しくも例の釣り人が預言した通り、命を懸けた恋が今、始まる―――。
「少しだけ待っていて下さい」
僕は本人以上に艶やかな髪に似合う花を求め、様々な種類の生けられた花瓶へと歩み寄った。




