42章 救いの手
ズタボロの身体に纏わされたドレスが重い。少しでも気を抜くと倒れ込み、そのまま二度と起き上がれなくなりそうだった。
僕を乱暴後、姉は約束通り夕食を作りにキッチンへ、弟はそのままベッドで眠ってしまった。手錠は行為の最初に外されていたので、せめてシャワーで穢れを洗い流そうと部屋を出た。
いつもなら入れられた部屋で済ませるが、何故か姉の部屋だけ昨日から湯が出ない。どうやら給湯器の故障らしく、近い内に業者に直してもらう予定だと話していた。身体を綺麗にするだけなら、二人も自室に戻っても怒らないだろう。
ようやく懐かしの我が部屋に到着。と、いきなり内側からドアが開いた。出て来た人物は僕を見てギョッ!と目を剥く。
「か、母さん!!?」「アス!?どうしたの、その格好!!?それにその顔色……白過ぎて、まるで幽霊みたい。と、とにかく中に入って座りなさい!!」
手を引かれるまま自室に入り、強引にベッドに腰掛けさせられる。その間も昔薬学を志し、医学知識のある母は僕の容態を観察していた。
「あなたが性質の悪い風邪に罹っているから、自分達の部屋で看病していると言っていたわ、あの子達……二人揃って下手な嘘を吐くものよ」
「母さん」
「一ヶ月近く続く風邪なんて、どう考えても重病だわ。しかも直前まで元気溌溂としていたのに。それに」
彼女は言葉を切り、俯く。
「―――有り得ないと思うかもしれないけれど、私達には見ただけで判ったのよ。目の前のあなたそっくりな者が、二人の化けた真っ赤な偽者だって」「えっ?」
変身は完璧だった。声も仕草も、僕そのものだったのに。
「これでもあなた達三人の親よ、私達は。仮令どんな姿をしていても、見破れない筈が無いわ。ねえ……本当に何があったの?」
肩を強く掴まれる。
「あの子の部屋にいるのが分かったから、わざわざ給湯器を壊して出ざるを得ない状況にしたのよ。お願いよアス。あの子達、どうしてああも瓜二つに化けられるの?偽者が外に出ている間、あなたは何をされていたの?どうかお母さんに話して」
巻き込んじゃいけない。人魚の呪いの外にいる、この人だけは……!
「……二人が僕の変装を?まさか、気のせいだよ母さん。父さんの神経症が移ったんじゃない?一度医者に診てもらった方がいい」
「はぐらかさないで!なら、あなたのその格好は何なの!?あの子達が無理矢理着せたんじゃないの!!?」
「ああ……これは僕の趣味だよ。選りにも選って母さんに見つかるなんて気拙いな。父さんには内緒にしておいてくれる?次期社長が女装なんて」
バチンッ!「っ!!?」
頬を叩いた母は、顔全体を紅潮させて叫ぶ。
「母親が、そんな下手糞な嘘で騙されると思っているの!?あの子達といい、大人を馬鹿にするのも大概にしなさい!!」
こんなに怒った母を見るのは初めてだ。物心付いた頃から大人しくて、如何にも良妻賢母と言った人だったのに。
「どうして分かってくれないの!?あなたが心配なのよ!何日も顔を見せてくれなくて……ものの弾みであの子達が殺したのかもしれないと、二人して馬鹿な事を考えた時もあったんだから!!」
「……本当に………そう、だったら良かったのに……」
一滴の本音が漏れ出すと、もう自力では止まらなかった。
「何も知らないまま、委員長達みたいに殺されていた方がよっぽど……」
それからはまるで、教科書の朗読のようにすらすら言葉が出た。二人の僕への歪んだ愛、そのために起こした過去の悲惨な事件、マリアの一族が封じていた『蛇』について、そして―――あの夜、委員長とJさんが融けて無くなってしまった事実を。
全てを語り終え、一種の虚脱状態に陥った僕の頭を、母は躊躇無く抱いた。
「だから母さん……荷物を纏めて逃げるんだ………呪いが成就するまで遠くに」
「ええ」
彼女はスカートのポケットから携帯を取り出し、何処かへコールし始めた。
「―――もしもし、教授ですか?お久し振りです―――ええ、お察しの通り急用です。詳しくは明日そちらに着いてから説明するので、取り敢えず病室を一つ用意して頂けますか?あと口の堅い助手を」
「母さん?」
「助かります―――はい。それと、私がこの電話をした事はくれぐれも内密にお願いします。特に娘や息子と名乗る人物には絶対に―――いいえ、大丈夫です。では教授、また」ピッ。
携帯を仕舞った母は、真剣な眼差しで息子の頭を撫でる。
「明日パーティーが終わったら、ゲストに紛れて街の外へ出ましょう。荷物の準備は私がしておくわ。あなたはシャワーを浴びて、早くあの子達の所へ戻って」
信じられない提案を、だが僕は強く拒否した。
「母さん、僕はもう人殺しなんだ……何時身体から凶悪な『蛇達』が出て来るか分からない化物なんだよ!?」
「いいえ!」
一喝。
「あの子達の罪を、何もあなたまで被る必要は無いのよ。あなたはちっとも悪くないわ。その同級生の女の子や、記者さんには悪いけれど……今でも私達の自慢の息子よ、紛れも無い」
その力強い一言に、気付くと僕は泣いていた。あれ程酷い恐怖が少しずつ解け、心が楽になっていく。
「さっき掛けたのはあなたの人工受精でお世話になった、私の大学時代の恩師よ。相変わらず話の分かる人で助かったわ。向こうに着いたら事情を説明して、専門家に診察してもらいましょう。ルマンディ博士って聞いた事ある?―――大丈夫よ。奇病専門の彼なら、きっと『蛇』を取り除いてくれるわ」
差し込んだ一筋の希望に、僕は思わず俯いて顔を両手で覆った。
「母さん、ありがとう……」




