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41章 現世の地獄



 J氏が、そして委員長が死んで以来、僕の日常は一変した。

 遅ればせながら僕が気持ちを知った時には、最早全てが跡形も無く融け切ってしまっていた。密かに僕が継ぐ会社の顧問弁護士を目指していた健気な彼女は、もう何処にもいない。正義感の強さが仇になった記者も……二人には、幾ら謝っても謝り切れなかった。

 そんな友人の父親、この街の警察署長は今頃、署内総出で娘を捜索している事だろう。まさか僕に吸収され、もう遺骨すら残っていないとも知らずに……。

 勿論、自由の身ならすぐにでも自首し、事情を説明していただろう。どんな厳罰でも受ける覚悟は出来ている。なのに、


「アス?ほら、ちゃんと食べなさい」


 あの日以降、秘密を知り過ぎた僕は『蛇達』に因って監禁されていた。両親や使用人達に、一体何と説明しているのかは分からないが……。

 姉弟の部屋を数日おきに移動させられるのが、ほぼ唯一の運動。入浴や食事等の生活動作以外の時間は、常に手錠でベッドに繋がれる始末だ。

 どうやら貴族や富豪達のパーティーには、二人のどちらかが僕に変身して(それも『蛇』の力らしい。何度か見たが本当にそっくりだった)出掛けているようだ。幼い頃から場慣れしている上、化ける対象への観察眼は異常に優れた彼女等だ。戻って来るといつも、今回も誰も気付かなかった!あいつ等馬鹿ばっかり!そう二人して大笑いしている。

 それに衛兵のバイトも、弟が偽造の退職届を出してしまったらしい。しかもあの教会の事件の翌日、朝一番に……。

「うぇっ……!」

 姉の用意したシチュー皿には、今日も乳白色の液体がなみなみと注がれていた。材料は人間。しかも摂取しやすいよう、一度『蛇』の体内で分解した物だ。化物達は卵のため、僕に一日何杯もこの人肉ミルクを飲ませ続けていた。しかし、

「姉さん、もう無理……他の、普通のちゃんとした料理なら食べるから……」

 何時までもベットリ舌に残る脂と、独特な鉄錆の味。当然慣れる筈も無く、半ば吐きそうになりながら僕は懇願した。

「また?三日前もそう言ってたじゃない。我儘な子ね」

「違うよ。姉さんの美味しい手料理が食べたいんだ。嫌なら向こうに頼むけど」

 帰宅していない弟を持ち出せば、姉はいつもかなりの確率で頼みを聞いてくれた。どうやら今回も成功したようだ。しょうがないわね、と笑う。

「丁度明日の下拵えとかで、キッチンに色々珍しい食材があるの。そうね。じゃあ、あなたの好きなブイヤベースを作ってあげるわ」

「?明日、って?」

 すると『雌蛇』は皮肉気に嘲り笑った。

「どうも聖族政府を招くらしいわ、あの豚野郎。今更何をしたって遅いのに、ねえ?」

 喰われる餌の分際で、と蛇眼で告げる。

 思い出した。確か監禁される前、父がそんなパーティーを開くと話していた。


『どうも毎年持ち回りの懇親会らしくてな……まあ、どちらにしろ最後の務めだ。そんな気分ではないだろうが、アスも協力しておくれ』


 何と言う運命の皮肉だろう。この街は今、正に優秀と噂の政府館の捜査を必要としていた。

「でもそれなら、流石に三人揃っていないと不審に思われるんじゃ」

「そうね。アスは次期社長だし」

 にやり。

「出席して頂戴。だけど、逃げようなんて考えたら駄目よ?私達にかかれば、聖族が何十人いた所で関係無いもの」

 こうやって毎日何処からか人肉を調達して来ている以上、それは微塵も疑っていない。警察はきっと、今頃この連続失踪事件を血眼で捜査している事だろう。

 陰鬱な気分の僕へ突然顔を寄せ、ねえ、今朝孵化した子を頂戴。同意を得る前に唇を奪い、舌を絡めてきた。数秒後、気道から細長い物が勢い良く昇って来る。

 ごくん、ごくん。口移しに飲み込んだ姉の咽喉が鳴った。離れた顔には至福の表情。

「シスターに餌の事を相談しておいて良かったわ。前より『生き』が良くなってる。これなら前のより長生きしてくれそうね」

 冗談じゃない。人間を材料に育つ化物など、一瞬たりとも生きていい道理は無い。


 トントン。「ただいま」「おかえり」


 既に変身を解いていた弟は、大きな紙袋を持って部屋へ。僕の姿を確認し、ただいま兄貴、体調はどうだ?と尋ねる。

「どうって……最悪に決まっている」

「健康そのものよ。ちゃんと栄養を摂ってくれない事以外は」

「それはいつもの事だろ?兄貴もその内慣れるさ」

 そう言うと、ベッドサイドに置いた皿に手を伸ばしゴクゴク、おぞましい液体を一気に飲み干した。

「ぷはっ!やっぱ労働の後の一杯は美味いな。けど、俺も流石にちょっと飽きた。舌に重過ぎるんだよ味が。姉貴、何とか巧く食えるようにしてくれないか?」

 パートナーの要求に、だが『雌蛇』は眉を顰める。

「シスターはそのままが一番吸収率が良いって言っていたわ。あんたまで我儘言わないで」

「けど兄貴が絶食したら、困るのは俺達だぜ?なあ?」

 どう返答しろと言うのだろうか。どれだけ上手に調理にしようと、元が人には変わりない。寧ろ手を掛ければ掛ける程、グロテスクさが増すだけだ。

「―――仕方ないわね、分かったわよ。ところであんた、何を買って来たの?」

 質問された弟は得意気に、兄貴の新しい部屋着だよ、無邪気に笑った。しかし袋から取り出されたのは、瑠璃色を基調とした―――明らかに女性物のドレス。

「あら、綺麗」褒めつつも、裾や襟元を油断無くチェックする姉。「あんたにしては良い趣味してるわ。ねえアス?」

 水を向けられた僕は、恐怖から無意識に歯をカタカタ鳴らしていた。

「また?もう嫌だ、僕は男なんだよ……?そんなの着たくな」


「親父達がどうなってもいいのか?」にたーっ。「あーあ、折角似合うと思って選んだのになあ」


 絶句する僕の耳元へ『雄蛇』は唇を寄せ、あ、料理のリクエストなら姉貴にどーぞ、止めの一言を突き立てた。

「こら、アスが可哀相でしょ?ああ、でも豚の父さんはともかく、母さんは肉が硬そうね。圧力鍋で煮込み料理にでもしようかしら?」

「姉貴の方がよっぽどアレだぜ!なあ兄貴?」

 誰か、この怪物達を止めて―――!!咽喉まで出かかった悲鳴が寸での所で戻り、代わりに一層強い震えが湧き起こった。

「き、着るから……お願い、二人にだけは手を出さないで……お願いだから……!」

 何時まで続くか分からない異常な生活に、すっかり僕の神経は参っているらしい。ここ二、三日、何度もこんな発作が起こる。

 眦から勝手にぼろぼろっ、涙が零れ落ちシーツを濡らす。


「僕、何でもするから……!だからもうこれ以上、誰も融かさないで……!!」


 いっそ二人のように狂えてしまえたら楽だろうに、僕だけが残酷な程『人』に留まっていた。

「ちょっとアス、大丈夫?胎内になった影響なのかしら、最近凄く情緒不安定だわ。シスターは一時的な症状だって言っていたけれど」

「精神安定剤でも飲ませといた方がいいんじゃね?適当言って病院から貰ってこようか?」

「一応確認してからにしましょう。卵に悪影響が出ないとも限らないし。それより……」

 『蛇達』は左右から僕に腕を絡め、それぞれ首筋に唇を寄せる。同時にパジャマのボタンが外され、直に胸を撫で回された。


「―――夕食前に、また新しい卵を産み付けておかないとね」「ああ、そうだな」




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