38章 儀式
教会内に明かりは無く、室内の様子は暗くてよく見えない。そう思っているとフッ、祭壇の前に明かりが灯った。
まず目に入ったのは、祭壇の左右を埋める樽の山だ。衛兵の先輩から聞いた事がある。すっかり廃れたこの場所は、度々打ち上げられる花火の保管所になっていると。一応密封され、直接火を掛けない限り暴発は無いらしいが、当日までヒヤヒヤ物だと愚痴を零していた。
その丁度中央。炎の灯った燭台を持つ蒼髪のシスターは、ようこそ、大いなる神の子等よ、と言った。
彼女が浮かべた微笑みを認識した瞬間、未だ負われたままの僕に寒気が走る。絶世の美女で一見優しげな人なのに、生命体としての本能は恐怖を感じていた。
弟は彼女に尊敬の眼差しを向け、兄貴を連れて来たぞ、早速胎内の儀式をしてくれよ、と頼む。
「はい。既にこちらの準備は終わっていますが、姉を待たなくて宜しいのですか?」
すると彼は、側面からでも分かるぐらい唇を歪めた。
「いいよ、あんなアバズレいなくたって。どうせ受精卵を入れるだけなんだろ?だったらさっさと」
「誰がアバズレよ、この異常性欲者」
奥の扉から現れた姉は、壁際に置かれた硝子の水差しを捧げ持つ。!?目の錯覚ではない。水中から、複数の半透明な眼がこちらを睨み付けている。
「これなんですね、シスター?どうぞ」
「御苦労」
受け取った拍子に水が傾き、ぬめった細長い異形が一瞬顕わになった。孵化、している……こいつ等を全部、僕の体内へ入れるだって……?
シスターに燭台を借りた姉は、炎を床に立てられた蝋燭に次々と灯していく。オレンジ色に照らされて現れる、赤黒い液体で描かれた魔法陣。その円陣の面積は、大人が横になっても充分入る大きさだ。
「彼をここへ」
「止めろ!僕はそんなおぞましい事には協力しないぞ!!」
だるい身体に鞭打ち、どうにか背中から降りて逃れようとする。が、後ろに回り込んだ姉に頚動脈を押さえ込まれた。それでもジタバタ暴れる僕の腕へ、再び首を異常に伸ばした弟が噛み付いた。
「っ!?ぁ……!」
二度目の毒が、容赦無く力を奪う。抵抗を止めた身体を、二人はまるで壊れ物のように魔法陣の中央へ下ろした。
「御姉弟へ掛けられた死の呪いを相殺するにはその真逆、生への御力を発動する必要があります。そのための奇跡がこの“富水”。まあ、世俗の文献には“腐水”などと不名誉に書かれているようですが」
苦笑。
「とにかくお二人の体内には、既に主の下僕である『御蛇』が在ります。本来不死の『御蛇』ですが、人に生命を与えている間は極めて短命。この宇宙の時間にして、約十日しか長らえる事は出来ない―――そこであなたが必要なのです」
燭台を僕に向け掲げる。
「『御蛇』は人間と人魚、二つの血を栄養源に産卵し成長します。その行為に最も適しているのは、混血児であるあなたの体内」
「馬鹿な……そんな事したって、マリアの呪いから逃れられる筈無い……」
彼女は何年も孤独に耐え、流した悲しみの涙を海へ溶かしてきた。その切実な想いが、たかが気味悪い爬虫類如きで防げる訳が無い。
「―――偽善者」「っ!!?」
冷酷に告げた姉は殊更ニッコリ笑い、唇を合わせてくる。
「でもいいのよ?私達はそんなアスを愛しているんだから」
「それに悪い事ばっかじゃないぜ。『蛇』が絶滅しない限り、兄貴だって年を取らないし死なないんだ。一番綺麗な姿のまま永遠に生きられる」
「バケモノに内側から喰われながらか!?そんなの絶対嫌だ!!」
現に自覚はしていないが、二人は『蛇』の本能に冒されつつある。でなければ無関係なJ氏をあっさり殺せる訳が無い。彼には本当に済まない事をしてしまった。僕がもっと警戒してさえいれば……!
「二人共、目を覚ませ!!怪物に心を支配されちゃ駄目だ!!!」
叫ぶ僕の両手足を押さえ付ける姉弟。夜気のせいだけではない、酷く冷たい手で。
「あれだけ毒を流し込まれて、まだ喋る体力があるのかよ」
「『器』の生命力が高い程、『御蛇』は強い力を孕みます。その観点から言えば、彼の資質はほぼ完璧に近いかと」
「へえ、良かったわねアス」
とうとうシスターが、例の水差しを手に近付いて来た。蝋燭の火に照らされ、中の爬虫類が厭そうに目を瞑るのが見えた。
「『つがい』と、『つがい』が産み落としたばかりの卵を胎内に入れます―――大丈夫。苦しいのは最初だけ。すぐに楽になります」
「嫌だ、い―――ぁっ!!」
抵抗の言葉は無理矢理中断させられた。シスターが手術用らしき器具で、強引に口を閉じられないようにしてしまったせいだ。
片手で頭を押さえ、固唾を飲む見物人を一瞥する。
「数分間は暴れる危険性があります。くれぐれも手を離さないように」
「はい、シスター―――いよいよだな」
「アス、歓迎するわ」
―――初めは冷たいと感じた。唇から口腔内へ入った瞬間、それは意思を持って咽喉を押し広げ、迷う事無く食道を滑って臓腑に達する。
「げほっ……がはっ!!」
腹部に到達した怪物が血管を伝い、冷気と共に全身へ拡散していく感覚を覚えた。同時にあれ程だるさを与えていた毒が、急速に中和されて軽くなっていく。
最後にゾワゾワと皮膚下を何かが這い回る感覚が数十秒続き、表面上の異変は終わった。
「どう、シスター?」
「無事成功です。お疲れ様でした」
(無事、だって?何がだ!?)
しかし、これこそが僕の過去。忘れたい、葬り去りたかった災いの記憶なんだ……もう一度戻りたい、平穏なクオルへ。けれど、それももう永久に出来ない……僕に出来るのはただ、このまま更に暗い水底へ堕ちて行く事だけだ。
―――ええ、そうよアス。
―――早く俺達と同じ所まで来るんだ。
意識を蛇体に巻き付かれる直前浮かんだのは、奴等と対極の冷静な問い掛け。
―――あなたは一体、何を守るための『兵』?
瞬間、最後に見た彼の必死な顔が脳裏に浮かび、冷え切った魂に小さな小さな温かさが灯った。
バタンッ!!




