35章 探索者達
声がした方向に振り返ろうとした瞬間の場面転換。場所は裏口。この低い視点と、視界の端に見える前髪は、委員長?
(ここから入って行ったよね、あの男の人……アス君に近付いて、一体何が目的なんだろう……?)
心の声と共に、心配の余り塾後、帰宅早々父に嘘を吐いて出掛けた記憶が流れ込む。
『―――ところで、最近アス君とはどうなんだ?』『!?ど、どうって!!?』
警察署長のお父さんにそう尋ねられ、酷く焦ったようだ。如何にも女の子らしい恥じらいだが、生憎僕には……そう言えば、あの人は何時になったら登場するのだろう?
『もうキスはしたのか、ん?』
『してないよ!って言うかお父さん古い!!』
意外だったのは、年頃の娘を持つ父親にしては好意的な態度だった事。立場は違えど治安を守る者同士、親近感を抱いてくれているのかもしれなかった。
はっはっは、彼は愉快そうに笑う。
『仮にあの子以外だったら、私も目をひん剥いて怒っただろうな。大事な娘は絶対やらん!とか』
烏賊の塩辛で早目の晩酌をしながら、赤くなった頬を上げる。
『来年は向こうもシャバムの大学へ行くんだろう。経済学部だったか?ところでお前、成績は足りるのか?」
『多分』
塾の先生からは、受験まで今のペースで勉強すれば充分合格ラインを越えられると言われていた。アス君の方も既に家庭教師から太鼓判を押されていて、本命に加えて同時受験出来る商学部の対策もしばらく前からやっているらしい。
『愛と希望の共同キャンパスライフ目指して、ここが正念場だな』
暢気な父に今日見た事を話そうと思ったが、漠然としてとても説明出来そうになかった。
(でも、あの男の人の只ならぬ雰囲気……やっぱり行って確かめてこよう)
『お父さん。私、塾に忘れ物してきちゃった。ちょっと取りに出てくる』
『もう暗いぞ?』窓の外を見、『例の通り魔強盗もまだ捕まっていないんだ。明日では駄目なのか?』
『朝一で必要な物なの。平気だってば。襲われたのは大人ばかりなんでしょう?』くるり。『私なんてとてもお金持ちには見えないし、大丈夫よ』
『しかし、本当に付いて行かなくて―――』
食卓から立ち上がりかけた父親を制し、そのまま委員長は僕の家まで来たと言う訳らしい。
緊張を抑えるため無意識に唾を飲み下した彼女は、意を決しドアノブを掴んだ。
キィッ……。「ぉ、お邪魔します……」
廊下に出た委員長は、次の瞬間吃驚仰天。暗闇の中に立っていたJ氏は、素早く尻餅を着きかけた彼女の腕を引いて起こす。
「尾行されているのは気付いていたが、まさか君だったとは」
「あ……」
対人恐怖発動でガチガチになった彼女に、ジャーナリストは人懐っこい笑みを浮かべる。
「眼鏡の可愛い女探偵さん。君、口は堅いか?」
「え、ええ。まぁ、それなりには」
頷いたのを確認し、彼は僕にしたのと同じ推理を披露した。
幾ら警察官の娘とは言え、一般の女学生には刺激が強過ぎたらしい。話を聞き終わった彼女は、ガタガタと震え始めた。
「そんな……アス君の御家族が、あんな恐ろしい犯罪を……?」
「恐らくは。彼には君が心配していたと伝える。だから今日の所は帰るんだ。泥棒は一人で充分」
「い、いいえ!Jさん―――私にも証拠探しを手伝わせて下さい!!」
華奢な拳をキツく握り締め、普段大人しい委員長らしからぬ強い口調で頼み込む。その胸中にあるのは紛れも無い、仄かではなくなった僕への恋心だ。
「いいのか?見つかったらタダじゃ済まないぞ」
「私だって警察署長の娘です!アス君やあなたが頑張っているのに、一人だけ何もしないなんて出来ません!!」
「……意外と気骨のあるお嬢ちゃんだな。分かったよ、短い間だが宜しく頼む」
握手の後、彼は持っていた懐中電灯を手渡し、自身は携帯のライトを点けた。カスタマイズされているのか、普通の物より光量はかなり大きい。
「それでJさん、弟さんの部屋は?」
「こっちだ」
手帳のメモを頼りに、記者は迷い無く廊下を進んでいく。
「にしても分かりやすい説明で助かるな」
「よく観光客の人に道案内していますから、アス君。でも、へえ……中はこんななんだ」
外側からしか見た事の無い彼女は、屋敷の想像通りの面積と綺麗さに感嘆した。
「―――着いたぞ、ここだ」カチャッ。「良かった、鍵は掛かってない」「入りましょう」
ドアを開いた記者は、先行して室内へ。頭上に携帯を掲げ、部屋をザッと見回す。
「さて、女探偵さん。何処から調べる?」
「手分けしましょう。私はこっちの勉強机を、Jさんはベッド周りをお願いします」
流石に異性の寝床を調べるのは気が引け、そう提案する。
「分かった。じゃ、何か見つけたら呼んでくれ」
委員長はライトで照らしながら、教科書と筆記具以外置かれていない机の上を観察する。姉の所とは違い、随分殺風景だ。記憶にある限り、弟はそこまで綺麗好きではなかった気がするが。
ガタガタッ。一番上の抽斗には、どうやら鍵が掛かっているらしい。諦めて他の段を調べたが、学校関係の物や少年漫画が無造作に突っ込んであるだけだった。
「エロ雑誌でも隠してあるかと思ってあちこち覗いてみたが、残念ながら綺麗な物だったよ。そっちはどうだ?」
「ええと、ここ以外は一通り調べ終わりました」カタン。「でも鍵が掛かっていて」
「成程な。―――ちょっと待っていろ。それぐらいならこいつでちょちょいのちょいだ」
腰のポーチから細い針金を取り出し、鍵穴に挿し込む事一分。カチャンッ。小気味良い音が内部から響いた。
「俺の予想が正しけりゃ、この中にパスが―――ん?こいつは……アルバムか?」
収められていたのは五冊のアルバム。その一冊をパラパラ捲る手が、不意に止まる。
「?どうかしましたか、Jさん?」
委員長が覗き込みかけた瞬間、彼は素早くページを閉ざした。首を激しく横へ振り、たった今見た物を必死に頭から追い出そうとする。
「あの餓鬼め……くそっ!絶対法の前に突き出してやる!!」
突然の豹変に怯える彼女へ、怖がらせて済まない、ジャーナリストは謝罪した。
「い、いいえ……それ、証拠になりそうですか?」
「裁判の時にはいるだろうが、当面は必要無いな。あと隠せそうな所は、あのやけにデカいクローゼットだけか」
壁一面に作り付けられた収納部屋を示しかけ、何故か人差し指を引っ込めた。
「―――お嬢ちゃん、君は見ない方がいい」「え?」「外で待っているんだ。ここから先は多分―――っ!?拙い!奴が帰って来た!!」
瞬間的にパニックを起こす委員長を宥めつつ、音をさせないように件のクローゼットのドアを開ける。
「君はここに隠れていろ!いいと言うまで絶対出るんじゃないぞ!!」
「Jさんは!?」
すると彼は腰の拳銃を叩き、直にアス君が応援に来てくれる筈だ、その前にこいつで洗い浚い喋って自首の準備でもしてもらうさ、それまでの慎重さとは真逆の大胆な作戦を明かした。
「そんなの危険で」
「来たぞ!」
トンッ!後方へ突き飛ばされ、暗闇の中尻餅を着く委員長。目の前で出入口が閉まり、懐中電灯が狭い衣裳部屋を照らす唯一の光源になった。
「ジェ」
台詞は途中で切れた。記者の物ではない足音がハッキリ聞こえたためだ。
(突然あんなに怒り出すなんて、あのアルバムにはどんな写真が入っていたの……?)
段々目が慣れてきたので、身動ぎの音を立てないようゆっくりと立ち上がる。
(?何、この臭い……?)
暗闇から漂う、饐えたような生臭さ。防虫剤のラベンダーの香りと相俟って、鼻腔を痛く刺激する。一体何処から?
擦り足で入口と逆に進み、掛かっていたタキシードを避けて奥へ。Tシャツを払い除けた先で見つけた物に―――委員長は、我が近眼を疑った。
乱雑に詰めて掛けられた男物の中で、一つだけスペース充分に収納されていたのは―――沢山のフリル付き純白ドレス。襟や胸元に付けられた色とりどりの宝石が、ライトに照らされてキラキラと輝いた。
(紛れ込んだお姉さんの衣装?だけどこれ、サイズが少し大きいような……)
回想した身長や肩幅と比較し、彼女は首を傾げる。と、最奥に更なる不思議衣装を発見。衣擦れの音に注意しながら近付くと、例の臭いがツンと鼻を突いた。
(迷い込んだ鼠の死骸でも……あ、これが原因かな?)
手に取ったのは、襟口の擦れた緑の子供用セーター。毛玉は付いていなかったが、胸の所が白く汚れている。彼女は異臭の正体を確認しようと、ライトを近付け―――その聡明な頭脳で直感した。
「嘘……まさか、これって……―――おえっ!!」
先程のジャーナリストの話と総合すると、最早それしか考えられない。純真な彼女は穢された手で慌てて口元を覆ったが、生理的嫌悪の方が勝った。
辛うじて掴み取ったYシャツに、胃の中の物を全てぶちまけた次の瞬間。張り詰めていた神経がぷつん、と切れる音がした。




