23章 熱病の悪夢
「はぁっ……はっ……!」
急激な体温変化に加え、連日の夢と仕事の疲労からだろうか。僕はその夜、高熱を出して寝込んだ。今日ばかりはレイさんも自らのベッドを貸し、時折氷枕を替えてくれた。
「災難だったな。ま、イスラの診断じゃ大した事無いらしいし、薬飲んどけばすぐ治るさ」
「丁度良いじゃない。しばらくゆっくり休みなさい」
温かい麦粥を持って来てくれたリリアさんは、それにごめんなさい……、申し訳なさそうに謝った。
「キイスにあなたの事を任されているのに、私ってば無理させて……保護者代理失格だわ」
今も一人留置所で裁判を待つ元夫、そして僕の親代わりである刑務官さんの名を呟いて溜息。
「そんな、リリアさんはとても良くしてくれていますよ。これはあくまで僕の不注意で……」
上体を起こし、熱を帯びた咽喉へ粥を啜り込みながら抗弁する。
「アスの言う通りだぞ、姉さん。極寒の水の中に落ちりゃ、誰だって熱ぐらい出るって。セミア以外なら」
確かに雪景色でも真夏並の薄着の彼女なら、あの氷水すら温水プール同然だろう。
食事を終えて解熱剤を飲み、再び布団へ潜り込む。
(流石に今夜は普通に眠れるかな……)
あんな事があったばかりなんだ。ゆっくり寝かせてもらえないと困る。ところが、
バリッ!バリンッ!!
景色が変わり、目の前の硝子窓が連続で割れた。
周りの壁に見覚えがある。実家の一室だ。と、無言のまま視点が棚の後ろへ動く。
キィ。「あら、まあ!一体誰がこんな悪戯を……!?」
記憶より皺が少なく、杖を突いていない乳母が部屋に入って来る。そして―――窓辺へ寄って惨状を確認する背を、僕と同化した何者かが思い切り押した。
残っていた硝子の割れる音に続く、甲高い絶叫。
出血性ショックで痙攣する乳母を一度だけ見やった傷害犯は、呼吸を整えながら素早く部屋を去った。
「やった!やっとあの目障りなブスを始末出来た、あははは……!」
ゾッとするような冷たい、何処か幼い女の声。まさか、こいつがマリアの言っていた―――封じられし、『蛇』。
(そんな……じゃあ、小母さんはこいつのせいで……!?)
外から響く赤子の泣き声。ああ、一早く異変に気付いた僕が、必死で大人達に助けを求めているんだ。
(お願いだから早く、早く誰か気付いて!でないと小母さんが死んでしまう!!)
「あらら、あんなに泣かなくてもいいのに―――ねえ、そう思わないアス?」
「っ!!?」
飛び起きた先は、だが未だ夢の中だった。
目の前のベッドには、人工呼吸器を付けたままの祖父が眠っていた。サイドテーブルには小母さんの花。そして、口元には幸せそうな微笑みが。
(あ、あ……!)
僕は直感した、この身体の主の目的を。そしてそれは―――残酷にも的中してしまう。
ブチッ。
ナースコールに繋がったコンセントが抜け、床に落ちる。
(止めろ、止めろ!!)
その手は何の躊躇いもなく次の獲物である呼吸器を掴み、いやに静かにベッドの下へ置いた。
用を終え、さっさと病室を出てくれたのだけが幸いだった。生命線を失い、喘ぎ苦しむ肉親を見てしまったら、僕は間違い無く心を壊しただろう。
「成功確率三割って所か?ったくあの爺、手間掛けさせんじゃねえよ」
男の声。先程の奴が『雌蛇』なら、こいつはさながら『雄蛇』……何て事だ。こいつ等のせいで二人は、
「いい加減往生しやがれってんだ、クソ爺が。―――なあ、そうだろ?」
そこで、今度こそ本当に目が覚めた。
「はぁっ、はあっ……!!」
汗で寝巻きがぐっしょり濡れ、酷く不快だ。起き出した気配に、床の布団で横になっていたレイさんの瞼も開く。
「おい、大丈夫か?随分魘されてたぞ」ゴソゴソ。「ちょっと待ってろ。セミアを呼んで来る」
それは拙い。重い頭を左右に振る。
「熱で変な夢を見ていただけです。寝巻きを替えて、水を飲めば大丈夫……」
「全然大丈夫そうじゃないけど?」
空間を裂いて現れた治療者は、愛用の分厚い日記を手にベッドの端へ座る。
「私の術、本当にちゃんと効いてるの?」
「ええ、勿論」
「嘘ばっかり。止めてよ、病人のくせに気を遣うのは。余計惨めになるじゃない」
ぷー、大福のような頬を膨らませる。
「確かに治療は今回が初めてだけど、“蒼の幻望”があれば経験無しでも治せると思ったの。―――診せて、すぐ済むから」
「はい、お願いします」
診察自体は随分久し振りだ。本人の実感としては悪化している気もするが、どうだろう?
だが、生白い腕が額へ伸ばされた次の瞬間、不意にそれが暗緑色の鱗を帯びた。
「―――夢から醒めたとでも思ったの?」「!!?」
爬虫類特有の無感情な黄色い目に睨まれ、僕は反射的に身を避けた。
「おい、アス!?どうした?」
オッドアイの筈のレイさんの瞳も、彼女と同じ色を湛えていた。心配した直後、不気味に唇が歪む。
「もう逃げられないぞ」
顕わになった異形の腕が伸び、僕の肩を掴む。べちゃっ、厭に粘着質な感触。違う。妖族の手はこんな変な粘液を出したりはしない。
「っ!!?わあああっっっ!!!」
叫ぶと同時に僕は二人を突き飛ばし、自室を飛び出した。
「目を背けても無駄なのに」「俺達は永久に一蓮托生だ」




