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18章 夜の人魚姫




「大変だったらしいな、今日は」「ええ……」


 夢療法とは違う術を受け、まだ頭の奥がジンジン痺れている。何を考えようとしても纏まらず、正直寝支度するだけで精一杯だった。

 同室人の呼び掛けに辛うじてそう応え、瞼を閉じる。余程疲れていたのか、あっと言う間に意識が落ちた。

 もう永久に『あの人』の夢は見られないのか……と落ち込んだのも束の間。僕の耳に、苦手な筈の波音が届く。


(え……?ここは、まさか……)


 驚いた直後、夜の砂浜を一人歩く僕と同化した。どうやらどうにも眠れず、こっそり屋敷を抜け出してきたらしい。

 間近で打ち寄せる波の音と潮風に、妙に火照った身体がクールダウンされていくのを感じる。途中で夜勤の同僚と挨拶した以外、誰とも会わなかった事もリラックスに功を奏したらしい。鼻歌を歌いながら、庭同然の砂浜へ向かう。

(どうしてまだ過去の追体験が出来るんだ?さっきセミアさんが封じたばかりなのに……)


「―――あら、悪い子がまた夜更かししているわ」「!!?」


 からかう高い声に顔を上げた視線の先。月光にキラキラと照らされた海面には、長い金髪の女性の頭が出ていた。結構な美人。そして、面差しが何処と無く伯父に似ていた。


「ああ吃驚した!マリア、いきなり話し掛けないで下さい!!」バシャン!「わっ!?」


 両脚の代わりに生える、深い青緑色の鱗に覆われた尾鰭。彼女は優雅なフォルムのそれを、勢い良く水面に叩き付けたのだ。発生した水飛沫がズボンに掛かる。

「悪巫山戯は止めて下さいよ!!あーあ、寝る前に着替えないと……」

「不便ね、人間って」

「マリアだって、陸に上がる時は服を着ているじゃないですか」

 代々人魚に伝わる術に因り叔母、マリア・アンサブは尾を歩行可能な二本の脚へと変身させる事が出来る。現に一度ならず、街を歩き回っている所をバイト中に目撃していた。

「ごめんなさい、つい。にしても、また父親に似てきたわね。その内、見分けが付かないぐらいそっくりになっちゃうんじゃないかしら?」

 確かに先程チラッと見えた横顔は一層成長し、もう現在とほぼ変わらない年齢だ。そして以前、写真で見た実父ともかなり相似していた。

「目付きは向こうが数段悪かったけれど、その他は凄く良く似ているわ。性格も」

「そうですか」

 嬉しさから無意識に口元が綻ぶ。が、次の瞬間。叔母は予想外の発言を繰り出した。


「―――アス、『蛇』に気を付けて」「は?」


「私達ヤーシェ(龍族)には、旧くから伝わる一つの物語があるの。ヤーシェの騎士が、恋するヤベル(人間)の姫を奴等から救い出す御伽噺」

「突然何の話?」

 肉親の意図が分からず、僕は当然過ぎる質問をぶつけた。

「いいから聞くの。―――『邪蛇』は雌雄一対なの。雌は魅惑的な女性や母親、姫に化けて騎士を誘惑する。それを振り払うと、今度は雄が親友や父親に化け、意志を挫く言葉を吐き掛ける。それに迷わされ足を止めた彼を、二匹は左右の腕から食べてしまおうとするの。けれど寸での所で姫が自ら脱出し、その声で正気を取り戻した。そして持っていた聖剣で蛇を壁に縫い留め、遺跡ごと封印を」

「そいつ等と僕に、一体何の関係が?」

 全くだ。幾ら何でも突拍子が無さ過ぎる。

 人魚はぶくぶくと海中で息を吐き出して遊んだ後、徐に言葉を続けた。

「だから封印が解けていたのよ。さっき見つけて、慌てて直して来た所。自然に劣化したのか、誰かが無理矢理こじ開けたのかまでは分からないけれど……奴等が抜け出ていない事を祈るばかりだわ」

「『蛇』が、ですか?」

「誰も猫の話なんてしてないわよ。と言っても、肉眼には見え辛いわ。奴等は無色透明の上、水中を好んで移動するらしいの。絵本で見た感じリョーリャ、あなた達の言葉で言う海蛇っぽい」

「確認しなかったんですか、いるかどうか」

 彼女はしばらく考え込んだ後、ぽつり。

「生憎、私も詳しくは知らないのよ。一族に伝わっているのも封印された場所と、もしも封印が解けた時のやり直しの方法だけ。逃げた『蛇』が何者なのか、どんな悪さをするのか、どう対処するのかは全然分からないわ」

 そうなると、余計に僕との関連が分からない。

「今の話を聞く限り、僕とそいつとは余り関係が無さそうですが。人と人魚の混血児を好むとか?」

 すると叔母は水面下で胸を張り、キッパリ言った。


「―――だってあなた、絵本の騎士に似ているんですもの。今に奴等が食べに来るに決まっているわ」


 プッ!完全に予想外の返答に、反射的に噴き出す僕。

「そ、それだけの理由で注意しろって言っていたんですか!?大体、僕には助けたい姫君なんていませんよ」

「あら、じゃあこの間の眼鏡の子は?そこで一緒に食事していたじゃない」

 屋台の撤収した道路を指差しニヤニヤ。

「昔の私とラベルグみたいで、見ていられなかったわ。全く、若いっていいわよね」

「委員長とはそんな関係じゃありません。ただの友達です」

 同級生で確かに親しいが、恋愛感情は全く抱いていない。彼女の側からすると酷い話だが、僕も同意見だった。例の死の使いに覚えた胸が締め付けられる感じを、幸いにもまだこの僕は知らないのだから……。

「あの子はそうでもなかったみたいだけど?未成年なんだから、いちゃつくのも程々にね」

「心配しなくても、来年は大学受験だよ。お互い遊んでいる暇なんて無い」

「一緒の学校?」

「学科は違うけど、同じ“黄の星”のシャバムだよ。父さんや母さんが通っていたのと同じね」

 彼女は弁護士になるため、法曹系の学部を目指してしばらく前から猛勉強中だ。学校が終わってからも家庭教師が付きっ切りらしい。

「ふーん。なら寂しくなるわね」

「休日にはちゃんと帰って来るよ。衛兵の仕事は……しばらくは長期休暇中しか出来なくなるけど」

 既に同僚達には相談済みだ。僕の不在を惜しむ一方、快く応援してくれている。

「ヤベルって本当大変ね。―――じゃあ、暇で無学な叔母さんはそろそろ帰るわ。アスも早く寝なさい」

「ええ、お休みなさいマリア」

 優雅に尾を動かし、水中へ沈む彼女を手を振って見送る。

(『蛇』、か……多分迷信だろうけど、一応今度図書館へ行ったら調べてみようかな)

 陸と海とは言え、二つの居住地は近距離で接している。同じ伝承が伝わっていても不思議ではない。

(マリアも人間の字が読めるんだから、それぐらいは自分で考え付いて欲しいよなあ)

 因みに僕も叔母の影響で、多少なら人魚語が分かる。とは言え、この海域に住む人魚は彼女だけなので殆ど役に立たないが。

(……待てよ、もしかして図書館の存在を知らないとか?あれだけ散々歩き回っていて?)

 はぁーっ。僕は深い溜息を吐き、緩やかな登り道を戻り始めた。



 化物の可能性をあれこれ考えている内に、無事実家へ到着。半開けのままの白煉瓦の門を潜りかけ、ふと射るような鋭い視線を感じた。


「あれ、まだ起きていたんだ二人共?」


 僕の呼び掛けに、玄関前に立つパジャマ姿の弟はふいっ、顔を横に背ける。その視線の先にはシルクのネグリジェを着た姉。久し振りに見る二人は随分成長していたが、残念ながら父方が違うせいか余り僕と似ていなくなっていた。

「どうしたの?僕がいない間に何かあった?」

 流石に只ならぬ雰囲気を感じ、不安になって訊ねた。

「また父さんの具合が悪くなったとか」

 母の談に因れば一時よりマシらしいが、それでもお守り代わりの睡眠薬は欠かせないようだ。特にラベルグ伯父さんが亡くなったこの季節は……。

「兄貴、こんな時間に何処行ってた?」

 こちらの質問に答えず、逞しくなった弟は静かに問う。

「中々寝付けないから、下で少し潮風に当たって来ただけだよ。二人も眠れないの?」

「そんな所ね」

 パッチリ開いた目の下には、過去より濃くなったクマ。また遅くまで占いに没頭していたのだろう。体調を崩さないといいけれど。

「こんな夜中に一人で出歩かないで。最近物騒なのよ、この街も」

「通り魔の事?あぁ……そうだね。早く捕まえないと、皆が安心して夜道を歩けない」

 この街ではここ数ヶ月、夜道での強盗傷害事件が頻発していた。証言から犯人は男女二人組と推定されたが、被害者は何れも背後から襲われ、顔を目撃していなかった。

 手口は大体決まっていて、まず背中を魔術の炎で一撃。激痛に倒れた後頭部を殴り付け、昏倒させて金品を奪う。被害者は男性が多いが、女性も二、三人いた。酷い犯人達だ。勿論僕等衛兵も、警察署と組んで現在非常警邏態勢を敷いている。が、相手も警戒してか、最近は鳴りを潜めていた。ん、待てよ?


「ねえ、姉さん。占いって当たるの?」「えっ!?」「いや、今の所手掛かりも無いし、それを使って傷害犯を特定出来ないかなと思って」


 藁にも縋ると言う奴か。昔の僕は本当に真面目で頭が下がる。

 弟の真剣な眼差しに、だが姉は首を横に振った。

「残念だけど、私がやっているのは専ら相性占いだから。捜査の役には立たないわ」

「そう……悪くないアイデアだと思ったんだけどな」

 肩を落とす僕を、ガッカリするなよ兄貴、弟が慰めた。

「それに、危ない事は警察に任せておけって。怪我しても知らないぜ」

「大丈夫、自衛の方法は一通り教わっているよ」

 犯人達は不意打ちが得意なようだが、犯行方法さえ分かっていれば反撃は可能だ。

「でも危ないわ」

「一般の人達が襲われる方がよっぽど危険だよ」

 未成年だから夜のパトロールには加わっていないが、不審者の目星を付けるぐらいは出来る。それにこの街は、宇宙でも指折りに治安が良いと有名だ。怪しい人物がいればすぐに分かる筈。

(何時の時代もトラブルは付き物だな。でも、御伽噺の化物に通り魔か……)

 それらに巻き込まれたせいで僕は記憶を失い、ああも重度の水恐怖症を発症したのだろうか?


「取り敢えず家に入ろうよ」姉弟の肩に手を置いて言う。「玄関先で襲われた人もいるみたいだし」


 僕の提案に、二人は揃って頷いた。




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