17章 中止宣言
「わあぁぁぁぁっっっっ!!!」
最初に見えたのは、見慣れた大広間の天井だった。飛び起きた衝撃で、肩から下に掛けられた毛布が床へ落ちる。どうやらカフェで気絶した所を、親切な誰かが運んで―――と思ったら、悲鳴に気付いた当人達が慌てて駆け込んで来た。
「今度はどうしたんだアス君!?イスラフィール様」
「ええ。失礼します」
変人女王の保護者でもある四天使は手を伸ばし、僕の額に手をやる。
「熱はありませんね。吐き気や眩暈は?」
首を横に振ると、隣で僕の事件担当だった裁判官、ラント・アメリアさんが深刻な表情を浮かべた。
「済みません、お二人共。僕、どれぐらい気を失っていましたか?」
「ほんの一時間程度だよ。まだ横になっていた方がいい」
「ラントの言う通りです。どうやら心因性のようですが、念のため今日一日は安静にしていなさい。大丈夫、クランベリー達には既に私達から話しておきました」
「ありがとうございます」
素直に下げた頭を上げると、主従は何故か悩ましげな顔をしていた。
「?どうかしましたか?」
「……アス君、嫌ならハッキリ言っていいんだよ?」
「私も同意見です。幾ら主の妹とは言え、あなたのような善人が徒に苦しめられているかと思うと―――え、違うのですか?私達はてっきり、原因はクランベリーの世話から来る心労とばかり……」
真っ当過ぎる程真っ当な仮説だが、一応訂正しておく。ついでに夢療法の件を打ち明けると、ラントさんが手を叩いて喜びを表した。
「それは良かった!本官も前々から、君には何らかの治療が必要だとずっと考えていたんだ。しかしそうなると、突然倒れたのは副作用の可能性も……イスラフィール様は何か御存知ですか?」
「ええ、一応書物程度の知識なら。ですが回数を重ねた段階で、こうも容態が急変する事例は読んだ事がありません。ましてセミア・マクウェルは“蒼の幻望”の使い手。謂わば夢世界のエキスパートの彼女が失敗するとは考えにくい」
撫で肩を力無く落とす。
「だとすると、もしかして治療方法が合っていないのかもしれないな。精神療法と一口に言っても色々あるし、一度相談した方がいい」
「そう……ですね」
白昼夢も既に一度見たし、このまま頻度が上がれば仕事にも支障が出てしまうだろう。
「ところで、お二人は何故御一緒にクオルへ?」
裁判官の居住地である“黄の星”、シャバムでの待ち合わせなら分かるが。
「私はいつもの面会です。上空を通り掛かった際に見かけたので、声を掛けて共に」
「本官は近隣の街の裁判所へ出張した帰りだ。折角だから君達と話でもしていこうと思って」敬愛の眼差し。「でも、まさかイスラフィールと御一緒出来るなんて、今日は吉日です」
「ええ。偶然でもこうして話せるのは、主の御導きに違いありません」
「そうしていると、すっかり友人みたいですねお二人共」
「そんな、畏れ多い!」
あたふたと否定する信者に対し、そうかもしれません、四天使は静かに肯定した。
「種の違いこそあれ、ラントと私が抱く主への敬愛にそう大きな隔たりがあるとは思えません。いえ、そうではなく……仮令信仰を抜きにしても、あなたはとても好ましい人間です。以前の旅行でも、世間知らずの私を辛抱強く導いてくれました。いつもありがとうございます、ラント」
「い、いえ!本官は当然の事をしているまででして!!」
茹で蛸のように真っ赤になった彼は、でも、もし宜しかったら……とぽつり。
「はい」
「折角練習したんですし、シーズンが終わる前にまた何処かへ滑りに行きましょう。勿論、今度は変な事件の起こらないゲレンデで」
「ええ、喜んで」
快諾に沸騰しかけた裁判官を冷静に戻すため、僕は先程から気になっていた事を尋ねた。
「ところで、ラントさん。カフェで僕と一緒にいた政府員の方はどちらへ?」
「ああ。ラキスさんなら、船の時間が迫っていたので一足先に帰ったよ」
「彼と少しの間話し込んでいましたね。知人ですか?」
「はい。彼は曽祖父の元部下で、幼い頃から何かと顔を合わせる事が多かったので。どうやらここへ来たのも曽祖父の命らしいです。アス君が大昔の大量殺人犯とか何とか、訳の分からない事を言っていました」
生真面目な彼には珍しく鼻で嗤う。
「確かに傷害の前科こそありますが、善人のアス君が人を殺められる訳ありませんよ」
全幅の信頼を向けられ、正直困った。件の殺人がどれ程昔かは分からないが、わざわざ部下を派遣するにはそれ相応の根拠がある筈。何より、
「では―――ラキスさんが『坊ちゃん』と呼んでいた方は?」
写真の中にいた彼。きっとあの人こそが、封じられた記憶の最重要ピースだ。
「ああ、それなら―――さんですよ。あの人はラキスさんの所属する―――の長で」
キーワードに覆い被さる、砂嵐よりも激しい雑音。その余りの五月蝿さに、僕は思わず耳を塞ぐ。直後、
バタンッ!「アス!?」
廊下からの扉が勢い良く開き、セミアさんが一目散に僕の元へ。一目見て精神状態を察したのだろう。両肩を掴まれ揺さぶられた。
「最初に言ったよね、療法以外で幻が現れたら教えてって!!どうして今まで黙っていたの!?」
「それは……」
『あの人』を蠢く闇から救い出したい。いや、救わなければならない。それが過去の僕を助け、あの恐ろしい怪物を祓う唯一の方法だと直感したから……。
だがそんな私情など知らない治療者は、患者の意志とは無関係に断言した。
「こんな事なら、もっと早くくーちゃんの言う通りにするべきだった!―――今すぐ物語は封印!そして金輪際、夢療法も中止よ!!」




