アンが進路を決めたわけ
五年前、初夢の内容を小説にしたものが古いファイルから出てきたのでアップします。
少し文章はいじりましたが、ほとんど五年前に書いたままです。
一応、舞台はアメリカだった……はずです。
アンはこたつにあたりながら、ミカンというものを食べていた。
すぐ側では姉が静かに読書をしている。姉のジュディは、こんな日本家屋には不釣合いな金髪で、真面目そうな青い目をしていた。
対するアンの髪は、黒に近い茶色だった。
日本人であるアンの父親の元に、二人の子供を連れたアメリカ人の母親が嫁いできたのは十七年前のことだ。
そして、この夫婦の間にアンが生まれた。
ニつ歳の離れた姉とは、つかず離れずの関係で、特別仲が悪いということはなかったが、良いということもなかった。
しかし五つ歳の離れた兄は……彼は母親が再婚することがどうしても許せず、母親にも再婚相手にも、家族の誰とも打ち解けようとはしなかった。
兄は家に居るときは自分の部屋に篭っていて、食事のときに下りてきても一言も口をきかなくなった。
父親がこの日本家屋を購入したのは三ヶ月前だが、この決定に不満そうなのは母親だけだった。
兄はニ階の部屋を四室全部占領し、一日中そこに居るようになった。
ニ階にはトイレも冷蔵庫も、小さいながらも台所まであった。
母親は日本家屋の中に洋風の家具を持ち込み、キッチンなどは完全に洋風に作り変えてしまったので、この家は奇妙な和洋折衷になっていた。
一向に解決されない兄と家族の関係。加えて、以前住んでいた地域に比べてここは冬の寒さが厳しいこともあり、一家は年末年始をオーストラリアで過ごすことに決めていた。
アンが廊下のガラス窓を眺めながら、ぼんやりとその旅行について思いを馳せていたときだった。
長い真っ白な髪とあごひげを蓄えた老人が、窓の外を滑るように歩いていった。
「!」
アンはこれまで霊感も無く、幽霊など見たことが無かったが、直感でその老人が人ではないことを悟った。
そしてアンはまた、そういう存在にひどく怯えていた。
急いで立ち上がった彼女は、逃げるように両親のいるキッチンに駆け込んだ。
その様子に驚いた姉が、後を追う。
転がり込むように飛び込んできたアンを見て、両親は何事かという顔をした。
「パパ! この家に幽霊がいるなんて一言も言わなかったじゃないの! ひどいわ!」
涙ぐみながら言うアンを、両親と姉は困惑したように見つめる。
「何を言っているんだい? 幽霊なんかいるわけないじゃないか」
「そうよ、アン。寝ぼけて夢でも見たんじゃないの? あなたは良く恐い夢を見てうなされてるから」
現実主義者の両親は、全くアンの話を信じなかった。
「私、寝てなんかいなかったわ! ジュディだって知ってる! たった今、廊下の窓の外を、白い着物を着たおじいさんが歩いていたのよ。この雪の中、あんな薄着でいるなんておかしいわ!」
とまどいの表情を浮かべたまま両親は、半狂乱になって叫ぶアンから、横にたたずんでいるジュディへと視線を移した。
「……ホントなの? ジュディ」
「ええ。アンは寝てはいなかったわ。でも私、おじいさんなんか見なかった」
静かにジュディが言った。
姉は顔だけでなく、現実主義者であるところまで母親にそっくりだった。
「ほら。ジュディも見てないって言ってるじゃないか。ちょっと落ち着きなさい」
父親が立ち上がってアンの肩に手を置き、優しく言った。
「こっちに来て座りなさい。お茶を入れてあげるから」
母親が自分の隣の席を指し、立ち上がった。
これ以上何を言っても、信じてもらえそうにないことを悟ったアンは、大人しく席に座ることにした。
ジュディも父親の横に座る。
全員で運ばれてきたお茶を飲んだ。母親の入れる紅茶は美味しくて、その温かさに少し心が落ち着いてきたアンは、やっぱり自分は夢でも見たのかしらと思い始めていた。
そして、キッチンの入り口を何気なく見つめていた。
キッチンの入り口はガラス張りの引き戸になっていて、玄関を入ってすぐ右に位置している。
玄関の左側には廊下があり、さきほどアンたちが居た居間や座敷に通じていた。
そして玄関の上がり口の前には階段があって、ニ階の兄、デービスの部屋に通じている。
テーブルについたアンの位置からは、その玄関、廊下、階段の全てが見通せた。
その、アンに見ている目の前で。
玄関のドアを通り抜けて、先ほどの老人が入ってきた。
目を見開き、恐怖に青ざめるアン。一言も声を発することができない。
老人は上がり口で、ちょっとの間立ち止まった。
(しっかり勉強しとるかね?)
突然、アンの頭の中に、声が聞こえた。その老人の声だ、とアンは直感した。
そして老人の目は長い白髪で隠されていたが、その視線は間違いなく自分に向いていた。
(ええ……)
恐る恐る、頭の中でアンは答えを返した。
老人は静かに頷くと、(若いうちに勉強しておくことだ)と返事を返し、ニ階の階段を上がっていった。
呪縛から解き放たれたアンは、今の出来事に全く気づかず和やかにお茶を飲んでいた両親と姉に、早口で今起こったことを説明した。
またもや困惑した表情を浮かべた三人は、「いいかげんにしないか、アン」と言った。
嘘じゃないと必死で訴えるアンに、母親はため息をつきながら立ち上がり、
「いいわ。あなたがそんなに言うんだったら、確かめてみましょう」
側にある内線電話に手を伸ばした。
「ああ、デービス。悪いわね。ちょっと聞きたいんだけど、今、あなたの部屋に誰か上がっていった?」
『NO』
兄のぶっきらぼうな声が、受話器の向こうから聞こえた。
「誰も来てないそうよ。さあ、あなたも馬鹿なこと言ってないで落ち着きなさい」
母親はちょっと怒ったように言った。
どうやらあの老人は自分にしか見えないらしい。でもあれは、絶対に夢でも幻覚でもない。
誰もそれを分かってくれないけど……これ以上言うと、精神病院に入れられちゃうかもしれないし……。
アンは無言のまま部屋へと戻り、自分のベッドに入った。
しばらくしてから、ジュディがやってきて隣のベッドに入る気配がしたけれど、アンは話しかけなかった。
ジュディもまた、アンに話しかけなかった。
次の日も、その次の日も、老人の幽霊は現れた。
必ず玄関から入ってきて、ニ階へと消えていくのだった。
アンは怯えていたけれど誰も相談できる人はおらず、ただただ毎日を耐えていた。
しかし徐々に、老人はただ家の中を通り過ぎるだけで何もしないことが分かると、少しずつその姿に慣れていった。
不思議なことに老人の幽霊は、毎日、少しずつ若返っていった。
ある日アンがキッチンから出てくると、玄関に五十代くらいの男性がいた。
今日は白い着物ではなく、神父の黒い法衣を着て十字架を首にかけ、聖書を右手に持っていた。
(神父様だったの?)
驚いたアンに、神父は悲しそうな視線を向けた。
(どうして成仏しないで毎日ここに来るの?)
アンは思い切って、大胆な質問をしてみた。
(……今までの人生を振り返って、経験してきた苦悩を見つめなおさねばならないのです)
穏やかで憂いを含んだ声が答えた。
それ以来アンは、この神父と話をすることが楽しみになった。
玄関先で話をすることもあったが、そんな所に長時間たたずんでいては変に思われるので、時々こっそりと彼の後についてニ階に上がっていった。
もちろん兄に見つかったら大騒ぎになるので、かなり注意して階段を上り下りした。
兄は一番奥の部屋に入ったきりだったので、それほど見つかる恐れもなかったのだが。
神父は毎日、兄の隣の部屋に入っていった。
アンが入っていくと、そこはタタミという緑色の絨毯が敷きつめられた部屋で、壁にあるはずの無い古い十字架が浮かび上がっていた。
神父はその前で跪き、十字を切ると、一日中ずっとその前に正座しながら十字架を見上げるのだった。 そして真夜中になると、また外に出て行くのだという。
(なぜ外に出て行くの?)
(……そこに私の体があるからです)
アンの問いかけに、悲しそうな微笑を浮かべた神父が答えた。
何日も何日も、アンと神父はそこで色々な話をした。
彼は日本人で、大昔アメリカに密航したのだという。
当時の日本では、キリスト教を信じる者は「隠れキリシタン」として迫害された。
信者たちが何人も処刑される様子を見、また、信仰の自由を奪われることに耐えられなくなり、アメリカに密航したのだと。
この家は彼の叔母が住んでいた場所なのだそうだ。
不思議なことに、彼が昔の話をしている時は、その当時の光景が周囲に現れるのだった。
半透明のゴーストが……恐らく彼の若いときの姿が……必死の思いで密航する場面や、日本で何人もの信者が処刑される様子、アメリカに移り住んだときの様子。日本のことを忘れるために髪型を変え、洋服しか着なくなった時の様子などもアンは見ることができた。
ある日、彼は自分が行った「悪魔祓い」の様子を見せてくれた。
アンと同じくらいの年齢のとき、彼は銃を用いた悪魔祓いをしていたのだ。
(変わったやり方ね)
彼に倒された悪魔の恐ろしげな様子と、それを見つめる若き日の彼の、冷たい視線に少し怯えながらアンが言った。
(ええ……何人もの仲間たちに非難され、自分でもまた後悔してるんです。だから、こうして反省してるんですよ……その事件の後も、死んだ後も……)
彼はその日はそれ以上、語ろうとはしなかった。
アンも何だかシュンとしてしまった。
夕食の席についたアンは、父と母と姉が、何だかいつもとは違う目つきで自分を見ているのに気がついた。
「ねえ、アン……あなた最近、家にいないことが多いわ。いったいどこに行っているの?」
母親が眉を寄せながら、遠慮がちに言った。
アンがニ階にいるなどと思わず、また、ニ階を探そうとも思わない家族は、彼女が無断で外出していると思ったらしい。
無理もない。アンだってあの神父様がいなければ、兄のいるニ階になど上がろうとも思わないからだ。
アンが答えずにいると、父親が厳しい口調で言った。
「言えないようなところなのか? ……ともかく、お前が最近どこかへ行ってしまうことで、私たちはずいぶん心配しているんだよ。」
幽霊話を口にしなくなったことで、そのことは心配しなくなったようだが。今度は別の問題で心配させてしまったようだ。
申し訳なく思いながらも黙っているアンを見て、父親はため息をつくと首からナプキンを外してたたんだ。
「……それで、ママとも考えたんだが。しばらくお前をジュディに監視させようと思ってね。無断で家を出ることができないように」
弾かれたように顔を上げたアンは、ジュディの顔を見て、すでにこれは決定したことなのだと分かった。
自分に反論は許されていないのだ。
その日からアンは、ジュディの側で一日を過ごすことになった。神父様に会えない寂しさを抱きながら。
日数が過ぎ、ついに旅行の前日になった。明日は空港に行き、年始まではオーストラリアで過ごすのだ。
もう神父様に会えないのだろうか……。
ベッドに横たわりながら、アンは眠れないでいた。
ふと傍らに人の気配を感じて首を動かすと、若い少年が悲しげにたたずんでいた。
(……!)
ハッと息を呑んだアンだったが、それは紛れもなく、悪魔祓いを行ったころの神父の姿だった。もうそこまで若返ってしまったのだ。
(アン……あなたに伝えたいことがあります……)
神父は布団に腰掛けると、アンの髪を優しく撫でながら言った。
幽霊でも手の感触がきちんと感じられることに、アンは驚いた。
(神父様……しばらく会いにいけなくて……ごめんなさい……)
アンが謝ると、神父は優しく微笑んだ。
(良いんですよ。何が起こったか知っていますから。私の存在はご両親を不安にさせてしまったようですね)
アンも起き上がり、神父と真っ向から向かい合った。
(アン。言っておかなければならないことがあるんです。よく聞いてください)
急に真剣な顔になった神父が、アンの両手を握り締めた。
(なんですか?)
(明日の旅行に行ってはいけません。行くのなら、お兄さんを絶対に連れて行ってはいけません。お兄さんが行けば、飛行機は墜落してしまうでしょう)
アンは驚きのあまり目を見開き、息を呑んだ。
(なぜ……デービスが……?)
(とにかく、私を信じて下さい)
アンは戸惑いながらも、神父の目を覗き込んで、静かに頷いた。
(ありがとう、アン。あなたを死なせたくないのです……)
そう言って神父はアンの右頬にキスをすると、驚いて呆然としている彼女を残して立ち去った。
神父が去った後、ベッドに潜り込んだものの、アンは、熱い頬を両手で押さえながらいつまでも眠ることができなかった。
次の日、アンは必死で家族を説得した。
「行っちゃ駄目よ! 行くんだったらデービスを連れて行っちゃ駄目! 飛行機が堕ちてしまうわ」
両親は、うんざりした表情でアンを怒った。
「何を考えてるのあなたは。デービスを連れて行くと飛行機が堕ちるだなんて! そんな失礼なことを言う子に育てた覚えはありませんよ」
こんなことがデービスに聞こえたらどうしようとでも言うように、母親はニ階を見上げた。
「デービスが行くんだったら、私は行かないわ!」
とアンが叫ぶと、
「いい加減にして!」
と、普段は大人しいジュディが、珍しく大声を上げた。
その迫力に、アンも両親すらも黙り込む。
「アンったら、あの白いふくろうが飛んでた日からおかしいわよ!」
「白いふくろう?」
三人の声が重なった。
「そう。この子が、窓の外をおじいさんが歩いていたとか言った日よ。私も窓の外を見たけど、おじいさんなんか居なかったわ。ただ、白いふくろうが飛んでいただけよ」
姉には白いふくろうに見えたのだ……ならば、今、ニ階にあの時のふくろうが居ると知ったら、自分の言っていることを信じてもらえるかもしれない。
「その時のふくろうなら、ニ階にいるわ!」
そう叫ぶなりアンはジュディと両親の腕を取って、有無を言わさずニ階に連れて行った。
あなた、こんなことするとデービスが……と言った母親の声が、途中で途切れた。
階段の上の廊下の奥に、少年がたたずんでいた。
白く半透明に透き通った体は床の上に浮かんでおり、間違いなくこの存在が人間ではないことを示していた。
「神父様!」
アンですら、この展開には驚いたようだった。
悲しげな目をした少年が、口を開く。
「アン……あなたのお兄さんは、悪魔に憑かれています」
呆然と神父を見つめていた両親が、はっと息を呑んだ。
「い……いい加減にしてくれんかね! 君は何者だ、人の家に勝手に入って! 大方何かのトリックだろう、宙に浮かんでいるのも。アンをたぶらかした上にうちの息子が悪魔憑きだなどと……!」
憤慨した様子で叫ぶ父親を、アンは鋭い視線で黙らせた。
これまでアンが反抗的な態度を取ったことがなかっただけに、父親にはそれがショックだったらしい。
母親がそんなアンをいさめようと口を開いたとき、デービスの部屋の中から、世にも恐ろしい叫び声が聞こえてきた。
「デービス!」
父親はびっくりしてドアを開けようとしたが、鍵がかかっているのかビクともしない。
「あなたのお兄さんは……アン……許せなかったのですよ。自分の母親が再婚することが。だから、母を憎み、妹を憎み、父を憎み、あなたを憎み……ついに復讐のために悪魔の力に手を出してしまったのです」
デービスの部屋のドアを叩いていた父親も、座り込んだままの母親と姉も、アンでさえも、驚いて神父を見つめた。
「ば……バカバカしい! おい、デービス! ここを開けなさい! デービス!」
父親がまた激しくドアを叩き始めたときだった。
突然、ドアが勢いよく開いた。
戸口の側にいた父親も、家族も全員、中の異様な光景を目にした。
部屋の中央にある椅子にだらしなく腰掛けたデービス。大きな体は椅子からはみ出している。その顔はうつろで額に金髪が貼りついている。
その右頬に……もう1つの顔が浮かび上がっていた。禍々しく笑いながらこちらを見ている。
よろよろとデービスは立ち上がると、ナイフを振りかざして父親に襲い掛かった。
姉と母は悲鳴を上げて後ずさりし、父親はデービスの腕を押さえ、必死で応戦する。
その様子を間近に見ながら、アンは必死で考えをめぐらせていた。
悪魔祓いは神父にしかできない……そのために必要なのは、銃だわ!
アンは、父親がデービスによって壁に叩きつけられたとき、側に駆け寄って彼がいつも持っている銃を探した。だが見つからない。
そうしているうちにデービスがまた、ナイフを振りかざして近づいてきた。
急にその動きが止まる。
見ると白い霧のようなものがデービスの体にまとわりついていて、彼は必死でそれを振りほどこうと身をよじっていた。
霧の流れてくる方向を目でたどると、神父の右手からそれは流れ出ていた。
「アン……長くは持ちません……」
顔を歪めて言う神父にアンはうなずくと、重たい父親の体を姉と母の元へ運び、頬を叩いた。
「パパ。銃はどこ?」
意識を取り戻した父親は、「キッチンの棚の中だ……」と声を絞り出すようにして呻いた。
急いでキッチンに駆け込んだアンは、たくさんある棚を端から開けていった。
早く、早く!
なかなか見つからないので焦りながらも次々開けていき、やっとのことで銃を見つけた。
隣に置いてあるマガジンをひっつかむと、階段を上りながら差し込む。
「神父様!」
いそいで神父の下に駆け寄ると、神父はうなずいた。
「私が抑えていますから……あなたが撃ってください、アン」
「で、でも……私にできるでしょうか……?」
不安になりながらアンが言う。
「大丈夫です、アン。よくデービスを狙って撃ってください。そうすれば、悪魔は体の外に出てくるんです」
「撃たれたデービスは……?」
「大丈夫です。私の言うとおりにやって下さい。信じてください、アン」
神父の目をみつめていたアンは、やがて決心してゆっくりうなずいた。
そしてデービスに向き直ると、銃を両手で持ってしっかりと狙いを定めた。
「父と子と……」
「父と子と」
神父の言った言葉を、ゆっくりと繰り返す。
「精霊の名に置いて」
「精霊の名に置いて」
瞬きもせずにデービスを見つめながら、アンが言葉を紡ぎだす。
「アーメン」
「アーメン!」
一気に引き金を引いた。予想以上の反動で腕が跳ね上がる。そこから先の映像は、まるでスローモーションのようだった。
弾丸はデービスの喉に当たると、そこに渦ができ、穴の中に吸い込まれるようにして消えた。
次の瞬間、デービスの体から茶色の何かが飛び出した。
茶色で髪の毛が全くない、人間の生首だった。
デービスの体から霧が離れ、彼の身体はたたみの上に崩れ落ちた。
床に落ちた生首が、間髪いれずアンに飛び掛ってくる。
「いやぁっ!!」
思わずアンが避けると、生首は壁に激突した。
倒れそうになったアンは、床にぶつかる寸前、神父の手に抱え上げられた。
神父に抱きかかえられたまま顔を上げたアンは、優しそうに見下ろしているの二つの瞳を見た。
彼は軽くうなずくと、アンの手に自分の手を重ね、銃の引き金に指をかけた。
そして生首に視線を移したので、アンもそちらを見た。
壁に激突したショックで、床の上で小刻みに震えていた生首が、顔を伏せたままこちらに頭を向けようと動いていた。
直後、生首がアンたちに向かって飛び上がる。
アンは思わずビクッと肩を震わせたが、神父は落ち着き払って引き金を引いた。
パン!
乾いた音が静かな空間に響き、生首は再び壁に叩きつけられ、床の上に落ちた。
眉間には綺麗な穴があいている。やがてその姿は、煙に巻かれるように消えていった。
アンはほーっと長い息を吐くと、再び神父の顔を見上げた。
神父は微笑んでいた。だがその顔は、徐々に透明になりつつあった。
「神父様?」
「アン……ありがとう」
そう言っている間に神父の体は、どんどん透明に、希薄になっていく。
別れの時が来たのだと、アンは悟った。
いや。まだ一緒にいたい。行かないで。
声に出さずに見つめるアンだが、心の中では、もうどうしようもないこともちゃんと分かっていた。
だから泣きそうな顔を無理に笑顔に変えた。
すると神父も、幸せそうににっこりと微笑み、ゆっくりと溶けて消えていった。
あの事件以来、デービスは人が変わったように家族と付き合うようになり、少しずつ家族の関係は修復されていった。
家族の誰もあのことを話題にしない。けれど、皆が覚えていることは、わざわざ確認するまでもなかった。
ぎこちないながらも、一家はお互いに真剣に向き合うようになっている。
そしてアンは、何かの拍子に神父の顔をふと思い出して寂しくなることもあるけれど、幸せに暮らしている。
いつか彼の想いを共有できたら。
彼女は今、夢に向けて神学を勉強中である。
お付き合いいただきありがとうございました。
当時から「銃で除霊」とか「銃で悪魔祓い」とか夢で見ていたようですね。
「はらったまきよったま」という漫画の影響が大きいかもしれませんが。
初夢の内容が良かった試しがありません。