1-8
「あんたを何と呼べばよい」
アルゲラの声は明るい。もっとも、彼らの置かれた現状は未来の明るさからは外れている。彼はそれもわかってわざと明るく振る舞っているのだろう。卿にはそれがわかる。
「何をなれなれしく」
というイリシアの声を遮って、
「皆は私を卿と呼んでくれている」
卿も微笑で答える。イリシアは口を結んでそっぽを向いた。カンファイはその気色の変化を見逃さないらしく、たじろぎながら二人に視線を送っている。
「卿、といえばシルウィアでは領地を持つ者に対する敬称だ。しかし貴公は領地を持たないという。おかしなはなしだ」
卿の不遇を耳にしているアルゲラも、その内容までは知らない。
「名前など、どうでもいいだろう」
「では卿」
アルゲラはカンファイに、馬上のまま腕の治療を受けている。併走しているカンファイの負担にならぬようアルゲラは馬の足並みを揃えようとして、魔手に同情があるとうたった言葉に違わない、気遣いをみせた。
「トーリに勝てるか」
「あの人は天才だ」
「勝てぬか」
「勝てない」
「いやにあっさりいうな」
「勝てるか勝てないかは、なんとなくわかるさ。逆にいえば、戦闘を行う前に勝敗の行く末を薄々と感じなければ、首座には立たない方が良いと私は思っている」
「気弱なことだ」
アルゲラは肩をすくめた。
「そのような弱気ではシルウィアには抵抗できないかな」
「抵抗する気があるのか」
「それは君たち次第だ」
「妙なことをいう。卿、貴公はとらわれの身に等しいのだ」
「アルゲラ殿、それはあなたも一緒だよ」
卿は振り返りながら笑った。
その視線の先に、卿は暗闇をひらく赤らかな夜気の流れを見た。卿の顔が光の中で際立ったのを眺めた従者は、卿の目線を追い、馬を止めて後ろを振り返る。月光のもと、卿達のいる高地からは、森が遙か下の谷の中に大河のように黒々とうねりを上げるのを見下げられる。森林の中にわずかに溝があり、それが街道だろう。日中であれば、はるかシルウィアの首都までよく見えるに違いない。
その、街道を含む森が炎に包まれ始めている。にわかに揺らぐ炎が横一筋に広がり、煌々と燃えさかりながら白煙を上げはじめた。無風であったが、炎が風を生み出すようで、煙は大気に混ざりつつ、シェドの方向に伸び始めていた。
「お、おお」
アルゲラの声の響きに努炎が混じるのを感じた卿は、シルウィアとシェドの関係をどこかで修復できるのではないかという、甘い観測を断ち切った。我々の身の振り方も考えねばならず、このままシルウィアの甲冑でシェドに入ろうとすれば、卿の配下であろうとなかろうと、領民の殺意に晒される。
「卿のおっしゃった通りに」
「ああ。これで活路が一つ消える」
「それは」
イリシアの声は、カンファイやツァイの代弁でもあった。
「トーリ殿はおそらく、シルウィアのシェドに対する統治には興味がない。あくまでも私と私に繋がる人間の排除だけが目的で、それならば彼は、我々をシェドの領民の手で殺させようとしている」
「全ては後手に」
「そうだ」
「森を焼くような男を」
アルゲラの口から怒りの炎がゆっくりと吐き出される。
「貴公は仲間にするという」
「森を焼くような人間であるから、私は仲間に入れておきたいと思う」
「法王騎士団は強兵だと聞く。貴公は我々に降る真似をしながら、騎士団を招き入れ、シェドを内々から打ち壊す気ではないのか」
「そうかもしれない。だが、どうやってそれを確認する。例えそうだとしても、進んで害毒を受け入れる器がなければ、シェドは滅びる」
卿の気迫が、アルゲラの怨嗟の声を上回ったようで、アルゲラは声を潜めた。
「まだ、シェドが倒れてはならない」
「担がれるおつもりなのですね」
「そうする。だが、その前に皆が心配だ」
「魔手とは何だ」
アルゲラの声が卿の耳を衝いた。
「進みながら話す」
卿の表層から笑みが失せた。アルゲラが馬を寄せる。イリシアは、それを咎め、何かあればすぐに切り捨てると剣把に手をかけた。
「腕は繋がったか」
「なに?」
アルゲラは気づかないまま、手綱を握っていたらしい。すでに彼の左腕は本復している。アルゲラは驚いてカンファイに視線を向けた。若い魔手はゆかしく微笑んでいる。
「すごいな」
「そうだ。そう感じるのが正しい。魔手とは本来そういう価値のあるものなのだ。しかし、シルウィアの人間は魔手を嫌う。こころの底から憎しみぬいて、魔手は身を寄せ合って自分たちだけの生活圏を作らなければならない」
「シルウィアはなぜ魔手を嫌う。この力ゆえか」
「それもあるかもしれない。ただ、シルウィア人は完全なものを求める。五体が満足で普段の生活に支障のないことが人間としての最低限だと思っている」
「完全など馬鹿馬鹿しい。それに、死ねば皆ただの骸になる。完全なものなど、どこにもありはしないだろう」
「死ねば、か。その考え方もシルウィアの思想から離れている。シルウィア人は前世を信じるんだ」
「前世?生まれるより先の世を、シルウィアの人間は信じるのか」
「くだらないか」
「到底、及びもつかない思想だ」
「アルゲラ、君がそうであっても、シルウィア人の常識はそこにある。彼らにいわせれば、死は終わりではない」
「幸せな人間が吐く妄言はいやな臭いがするものだ。鼻についてしかたがない」
「では鼻を削ぎ落としてやろうか」
イリシアが鞘を引き払う音が聞こえる。彼女の剣は宝剣といってもいい。値打ちのわかる人間なら、法外な値段でも手に入れたいと思う。夜の光をよく煌めかす、それだけでも剣の力がわかる。そして、イリシアは手練れだ。アルゲラは最初に彼女と剣を交えた。アルゲラほどの男であるなら、イリシアの実力はよくわかるはず。しかし、アルゲラは強がった。
「やれるものならやってみろ」
シルウィアの人間ではない、ただそれだけに意地をかける。卿にはアルゲラという男の価値がよくわかった。頑なで、けして折れない個性の上に、繁栄を築く素地がある。
シルウィアにアルゲラがいれば、という言葉を卿はのみこんだ。自分の隊にいる人間の能力が薄いとは思わない。ただ、彼らの大半、つまるところ、法国の大半は信仰に身を委ねて戦っている。自分の力とは違うところに中心を持つ人間は、どこか弱い。
わかっている。卿がこころの中で自嘲するのは、自分が彼らと、シルウィア人とは違うことに多少なりとも劣等感を抱いていたからだった。
アルゲラは私に近い人間だ。だが、望んではいけない先にある個性だからこそ愛おしくなる。愛おしさの大半は、一時の勘違いで、人を判断するのには不必要な感情だ。
「イリシア」
「卿、我々は侮蔑されたのです。我々の心の尊厳を踏みにじった男に、制裁を加えることが法国に務めるものの義務ではありませんか」
「その法国に、私は追われている」
卿、と悲憤を口にしたイリシアは、しかしそれから黙って、剣をおさめた。
途端に、何か強い意志のようなものが、体の中心から大きく首をもたげて現れてくるのを卿は感じた。
「追われている、か」
「何がおかしいのです」
「いや、珍しい人生だと思ってね」
「珍しい?」
「そうだろう、イリシア。人に追われる人生などめったに体験できない。まして、国から追われるとは、もう笑いたくなる」
「お気を確かにお持ち下さい、卿」
「気は確かさ。これ以上ないくらいに澄み切っている」
アルゲラは二人の会話を黙って見守っていたが、やがて哄笑した。
「何がおかしい」
「わしは、卿の器を見誤っていた」
「聞きたいね。私をどう見ていたんだ」
「もう少し、器の小さい人間だと思っていた」
「違っていたか」
「随分な」
「それはいい意味なんだろうな」
イリシアは、毒気をたっぷりと吹き込んで、アルゲラに詰め寄る。卿は苦笑せざるを得ない。
「卿、愛情の強い女が好きか」
「女はひとくくりじゃない」
「いいことをいう。シェドの女を卿は気に入るだろう」
「それは楽しみだ」
「な、なにをいってらっしゃるのです、卿」
高い笑い声を夜気に吐いて、卿は馬の腹を蹴って、速度を上げた。
「魔手の話を続けよう」
卿はカンファイを笑いながら見た。カンファイも気づいたらしく、はにかみを浮かべる。ツァイが目を覚ましてそのやりとりを見つめているのを悟った卿は、彼なりの下世話な勘ぐりが、言葉ではない人と人との繋がりを探ろうという本能的な好奇心に重なって、少年の眼差しの根底に流れていることを知った。良好な意識を取り戻したこともうれしいが、彼が短い期間に成長していることも喜ばしい。モリァスを、ツァイの側につけてみてよかった。
卿は自讃を惜しむ人であるので、表面にはそんな感情があらわれない。よほど気心を知り、毎日のように卿の顔を見ているイリシアのような人間でなければ、たとえ陽光が燦然としていても、彼の普段の変化にはっとすることはないだろう。
しかし、カンファイにはわかる。
「カンファイは目が見えない」
「そうなのか」
アルゲラが聞くと、カンファイは気恥ずかしげに頷いた。
大気が熱を帯びて、顔から汗の雫が落ちる。誰もそれを拭おうともせず、お互いの声に耳を傾けている。
「しかしそなたは、さきほどわしの腕を正確にたぐっていた」
「我々には見えていないが、カンファイには見えているものがある」
「なんだそれは」
「基板です」
ごう、と遠いところで風が巻き起こる音が彼らを取り囲む。トーリ達がなぎはらっている森林の悲鳴のようだと、卿は思った。
カンファイ・ラ・ファンが明朗な言葉を放てば、卿達の思考に寄る辺をもたないアルゲラは困惑するしかない。
「基板とはなにか。実は多くの魔手たちは明確な答えを持っていない。なぜなら彼らは生まれながらにして視力を失っているものが多いからだ。つまり、彼らにとっての世界とはまさに基板だけであり、我々とは異質の世界に生きている」
「それで」
「基板の存在を現実の世界とはじめて対比させた人間、誰だと思う」
「シルウィアの歴史など興味がない」
アルゲラがイリシアを睨めつけながらそういいはなった。彼女はもはや動じない。
「トーリ殿だよ」
彼が巨躯を翻して思わず街道の方を振り返った時、横一列に連なる炎の帯が、森林のおよそ半分に到達していた。卿達の進む道は山影に入る。これからシェドへ入るまで、もう森の姿を見ない。
「森の燃える速度が早いと思わないか。魔手が手助けしているのだ。あの方は戦術的な観点から魔手を尊重した最初の将軍だ。そしてこれまで魔手たちを貶めてきた一切の妄言のすべてを疑い、きわめて合理的な思考に自身を委ねて魔手の存在を白日の下にさらした偉大な人物だ。彼がいなければ、魔手はただの奴隷に過ぎなかっただろう」
「ずいぶんとまあ持ち上げるものだな」
「私が勝てないという理由がわかるだろう。しかし実状はそうだ。ねえ、カンファイ」
「そうですね。我々魔手が、唯一信頼に足る将軍とはトーリ殿だけ、そうとらえる向きに間違いはありません。もっとも、わたくしにはもう一人おられますが」
「はは。それが私ならありがたい。私にもカンファイのように、基板を見ることができれば感情の起伏がわかるのだろうけれども」
私の不徳ですね、とカンファイが自嘲する。そんなつもりはないことは、お互いがわかっているから、卿も目で笑ったに過ぎない。
「シルウィアの人間はまわりくどい」
アルゲラは声を荒げた。
「要するにどういうことなのか」
「あせるなアルゲラ殿。物事の順序は正しくあるべきだ」
卿の抑揚の効いた声に、アルゲラは激しく舌打ちをする。下品、とつぶやくイリシアにアルゲラは鼻をならして憤った。
「忘れていないだろうな。貴公の仲間が私の身内にとらわれている。森を燃やされていると知れば反シルウィアの感情が高まり、命を奪うかもしれない」
「そうかもしれない。しかし、君を伴ってはせ参じれば私の隊の人間は助かるという保証はどこにもない」
故郷を捨ててきたことに後悔を感じる卿には、森の悲鳴にかさなるシェドの領民の怨嗟が手に取るようにわかる。卿の故郷は生きているが、シェドは早晩滅びる。アルゲラの焦りは仕様のないものなのかもしれない。
しかしだからこそ、最善をつくす努力を忘れてはならない、と卿は自分に言い聞かせた。
「カンファイ、君にはアルゲラ殿がどう見える」
卿の思考にゆかしく寄り添うカンファイは、唐突に思える質問にも素早く応えた。
「大きくには楕円、その中に動く小さくて不規則なかたちの板がいくつも見えます」
これくらいの、といって彼は指をわずかに動かす。光を捉えられないゆえに、大きさが正確でないのか、それとも、不規則性を表現したかったのか。動くたびにカンファイが示す図形は大きさを変えた。
「何をいっている」
「カンファイは君のもうひとつのかたちを見ている。すなわち基板側のきみの姿だ」
「お前には信じられないだろう」
イリシアの悪態に、アルゲラはまったく素直に頷いた。
「本当にそんなものが見えているのか」
「見えています」
カンファイは、はにかみながらも、しかし口語にゆとりをもって、信念をこめて応えた。
基板の世界は魔手の生き甲斐である。
「感情に変化が有れば、基板の動きも変わる。魔手たちはその変化を我々の視覚よりもゆたかに感じ取っている」
「卿、感じ取ることができても我々は、うまくそれを言葉にのせる術を持ち合わせておりませぬ。どうぞ脚色なさらず」
「またまた。カンファイに限らず謙遜は魔手のわるい癖だ。脚色なんてしていないよ。君たちはよく気づく」
卿はカンファイとの会話の間にアルゲラを盗み見る。男は双眸をかっと見開いて、魔手を見続けていた。
武人の冷徹な視線。
カンファイはアルゲラの基板のいくつかが、先鋭な矛先を自分に向けていることを把握していた。彼は卿とむしろ近い年齢からは想像もできない童顔で、
「あれ、あなたは私とほぼ同じ年齢なのですね」
と意外そうに口にすると、ははっとイリシアがさもおかしそうに笑った。
「あいつの顔が見えないから、そんなことがいえるのだ。どうみてもそなたより二十は老けているぞ」
「それはいくらなんでもいいすぎだろう」
と、卿。
「いいえ、卿。殿方をみるわたくしの目に間違いはありません」
アルゲラはそんな二人の動向など気にしない。
ただただ、驚愕するままに、
「そんなことまでわかるのか」
といった。イリシアが悲鳴を上げ、卿は笑った。
「うそ」
「基板には厚みがあり、そこを判じれば、おおよその年齢がわかりますから」
「それで貴公たちは因果を書き換えられるのだろう」
「すべてではありません」
カンファイが目を見開く。
灰色に沈む瞳に、月の光が吸い込まれていくと、アルゲラは眉根を寄せて心から嘆いた。カンファイに悟られないように太く息を吐く。その失望が、境遇の険しい魔手のこころを波立たせないように配慮したように、卿にはみえた。カンファイの口元に微笑があったので、彼はアルゲラの意志が文字通り見えたのだろう。
「そうか。貴公の目は見えないままなのだな」
「ええ」
「わしの腕はつながったのに」
「基板はもとのかたちから変化があった場合、ゆっくりと形状が変わります。そうなると、私どもの手には負えません。しかし、あなたの腕の基板はまだかたちをたもっていた。だから、私は離れた部位をつなげるように少しだけ手助けをしました。もともと重なり合って存在していた部分を修復しただけですので、大した作業ではありません。私の目はうまれつきのものですので、特にお気になさらず」
「基板は何にでもあるのか」
あのカンファイがずいぶんと饒舌なものだ、と卿は感心した。もしかすると、アルゲラとの相性がよいのかもしれない。
どうしても前線にたつことができず、補佐に回ることの多い魔手たちは、雰囲気に独特のまるみを持っている。アルゲラの気鋭は凄まじいが、戦いの全篇にわたって同じように継続していけば、戦略に緩急がないだけに、胆力に長じ、さらに戦術眼を豊かにもった相手には、いいように受け流されるだけになるだろう。
カンファイが補佐を務めれば、アルゲラの勢いを制御し、必要に応じて力を開放できるような、そんな戦い方ができるのではないか、と卿は考えた。
「基板はこの世の中のすべてのものが持っています。われわれは基板が性質をつくり、動きが性情を呼び起こし、存在を定義づけていると信じています。なぜなら基板の動きや位置を変えると、多くのものが変質するからです」
魔手は、たとえば、といって路傍の石を拾ってくれるようにアルゲラに頼んだ。アルゲラはさして考えることもせず、馬を止めて下り、石を手にとって重さを確かめると、カンファイの右手を握って、てのひらの上にのせた。
「ほとんどの石は、基板側では真円に見えます。薄い膜状の構造物がその円を覆っていて、その膜はかんたんにはずせるのです」
カンファイは石に触れるか触れないかのところで、左手の人差し指をかぎのように曲げて、何もないところをひっかいた。すると、ぱすんという音がして、石は粉々に飛び散ってしまった。
アルゲラが目を丸める。
「かんたんに、と一口にいうが」
力が自慢の男は、道ばたに転がる石をつまんで、何度も非力な魔手と同じように手を動かした。が、何も変化は起こらない。
「いったいどうしている」
カンファイは問いに明瞭な答えを返さない。
「魔手は」
卿は、思い出したように、アルゲラ殿、馬に乗られよと間に声をかけて、カンファイの埋められなかったことばの空隙をふさいだ。
「当然の理にしたがって、当然の行為をしている。そこには説明の余地がない。我々が息をする理由がないのと変わりない」
「そんなものか」
馬にまたがりながら、アルゲラは思考をやめた。その潔さが、卿はうらやましいと思うと同時に、惜しいと感じた。
「まるで魔法だな」
卿の横まで馬を進めながら、アルゲラはきっぱりとことばを吐いた。
「魔法か」
「違うのか」
「私にも彼らがどういう作業を行っているのか、わからない。ただ、魔手たちが基板の動向によって万物が定義されていると考えているのと同様に、私は、魔手自身が基板を観測するから、世界が成り立っているのではないかと思ってるんだ」
「どういうことだ」
「魔法などではない、ということさ」
「どうもわしは、貴公の思考に、その、なんというか寄り添えない感じがする。まるで拍子が違う。ただの魔法でいいではないか」
「私はもっと人間の可能性にかけたいんだ、アルゲラ。なぜ、我々とは違う思想や能力をもった人間や生き物が存在しているのか、知りたくはないか。この世のすべてに私はちゃんとした理由があると思う。私は感じ得たすべての経験から、諸事の根本を探して確固たるかたちで示していきたい。それができるのは、人だけだ。魔法だといってしまえばそこで終わりだ」
「理由を見つけても、そこで終わりだ。徒労に終わることはある」
「アルゲラ」
「神にでもなる気か、卿。それとも、もうなったつもりでいるのか。ふん、理由など、探す必要もない。そんなもの、おのれででっちあげればいいだけだ」
卿の馬の歩調から静かに離れていくアルゲラを、卿は寂しく見た。
これ以上議論を重ねることに違和感を覚えた卿は、それは違う、とはいえなかった。
シェドの民が、もしすべて、アルゲラと同じような思考であるなら。
私の出る幕はすでになく、この道はただ死地へ赴くためだけに整備された工程なのかもしれない。卿はそう思った。
「そろそろ甲冑を捨てるよ」
卿は大きく息を吐いて、後ろの三人を振り返った。頭を掻こうとして、手を痛めるのも、これで最後かもしれない。
私はすでに。
まもるべき人間の顔を見るためにしか振り返れないのだ。
着飾るものを捨て去り、シルウィアの記号を棄却すれば、我々は定義されない生き物になる。彼らには少々慣れない生き方かもしれないが、耐えてもらわねばなるまい。
卿はすぐ側を振り返ることで、少しの間だけ、前を見続けようとする己の生き方をかえりみた。近い将来に、こういった余裕すら生み出せなくなる予感が、彼の胸にさざめいて、ついに消えなかった。




