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1-6

 隘路か、と老将はいったきり静かに沈思してしまった。ベルトレはぐるりと周りを見渡して、自分の立場のあやふやさを改めて思い知った。周りに自分の味方が一人もいない。ベルトレを佐将だと認める騎士はおそらく一人もいない。そのことが実感をともなうほど、冷たい視線を彼は感じた。法王騎士団という法国最強の隊が、トーリという将の私兵であるという噂はあながち間違っていないのだ。自分が法王騎士団の兵ではないということを嫌でも感じ取ることができる。早くなにかいってくれ、とベルトレはトーリの背を睨んだ。

 風がほとんど流れない夜だった。甲冑を脱ぐのも一苦労だろうと、ベルトレは仕方なく首を頭上に巡らすと、ちょうど雲間に隠れた月が顔を出すところだった。

「彼らは斥候です」

 ベルトレは少し前にトーリにこう進言した。

「斥候であるはずの彼らがいつまで経っても宮城に戻る気配がありません。これは彼らが我々の動きに気づいている証左と思われます」

「シェド領内に何も疑わしい事象がなければ、猜疑の目がこちらに向いてもおかしくはあるまい」

「それを踏まえて、ここから隊を一列にして進まねばならぬ隘路が続きます」

「伏兵か」

「はい」

「しかし、相手は十二人であるのだろう」

「少人数であればこそ、我々とまともにぶつかり合うとは思えません。偶然すらも味方につけたいと考えるなら、紛れを起こしやすいここからの道程は策を仕掛けやすい」

 そして、トーリは黙った。

 老将を思考の隘路に落ち込ませたという些細な優越感に、ベルトレはわずかな時間だけ心地よく浸ったが、よくよく考えてみれば即決してもいい論旨であり、ベルトレはだんだんとトーリの思考の速度に煩わしさを覚えてきた。考える、ということは行動に先立って行われるものではない、と彼は信じている。

 ようやくトーリが口を開いた。

「佐将殿なら、どうする」

「わたし、ですか」

 ぽかんと、ベルトレは思わずただ問い返した。

「そう。佐将殿なら」

「私なら」

 といおうとしたベルトレの声が激しく裏返った。あまりに通りのよい高い声だったので後続の法王騎士団の隊員から失笑が沸いた。トーリもおかしそうに顔を歪めて、どうぞ、と掌を向ける。ベルトレは顔をほてらせながら、言葉を探した。

「私ならまず兵を二手に分けます。相手は少人数ですので、一カ所に固まっていることはあまり現実的ではありません。彼らの戦意をくじくには、我々は一人でも見つければよく、そのためには兵を広く分布させたいところです」 

「川が併走している。佐将殿はそちらをゆく道もあると申しているのだな」

「そうです」

「川を渡るとなると騎馬ではどうかね。川の深さは。馬が足を取られるようでは困る」

「可もなく不可もなく」

「可もなく、不可もなく、か」

「はい」

「兵を分けたくはないのだ。佐将殿のいうとおり紛れが起きやすくなるだろう。敵につけいらせる場所は少ない方がよい。ところで、この街道はシェドまで森に覆われたままなのか」

「ほぼその通りです。いくつか迂路がありますが、どの経路を通っても隘路には変わりません」

「我々の軍容が利点にならないわけだ」

「残念ながら」

「ふむ。では、森を焼く」

「は?」

「魔手は前へ」

 ベルトレは我が耳を疑ったまま、しばらく動かなかった。ベルトレの脇を魔手がすり抜ける。

 一人の魔手が彼の馬にぶつかった。ベルトレは我に返って、その魔手を見遣る。魔手は謝るどころか、ベルトレを睨みつけたまま前線に向かった。不快な感情を抑圧して、ベルトレはトーリを探した。老将は魔手の配置を見届けるために、ベルトレから離れた場所に移動していた。ベルトレは馬の腹を軽く蹴った。

「森を焼く?」

「いかにも」

「この、広大な森を?」

 ベルトレの眼前には夜の中にさらに黒い影を擁する深い森の姿があった。街道を覆い尽くし、シルウィアとシェドをわかつ広大無辺の大森林。いまもなお、多くの旅行者を惑わせ、過去にはシェドへの侵攻を妨げた木々の大群を、トーリはわけもなく燃やせると思っている。

 生粋のシルウィア人であるベルトレには、法国の歴史の一部を担うシェド攻略史をまるで徒労のようにいわれたように感じて、不快を隠さなかった。

「何日かけるおつもりです。その間に敵には逃げられる」

「シェドの先に逃げ場があるのか」

「三方を海に囲まれた半島です」

「船か」

「無いとはいい切れません」

「なんだ。その程度か。ならば時間がかかってもよいではないか」

「シェドに入られると厄介なのです」

「なぜ」

「シェドの反法国感情が最近高まりつつあります。共謀される可能性がある」

「ならばなおさらこの森は燃やすべきである」

「なぜ」

 今度はベルトレがつめよる。

「街道に横たわる森を燃やされたと知れば、シェドの領民はシルウィアに強い反感を抱く。敵は領内に入れまい。あわよくば我々の手を汚さずにすむかもしれん」

「後は、その後はどうするのです」

「それは佐将殿の仕事であろう」

「な、なにを」

「案ずるな。森は数時間で燃える」

「私が案じておるのは、そういうことではありません」 

「ではなにか。北方侵攻を命じられたわしに無理をいったのは、シェドの政治的制圧が目的か。それは文官がやればよい」

「しかし」

「いいか佐将殿。わしに何かを頼むというのは、つまりそういうことだ。軍令を司る長官が頼もうが法王が頼もうが、知ったことではない。ただ敵を滅ぼすだけならば、手段はいくらでもあるのだ。その中で、こちらが被る実害がもっとも少なくなるように配慮するのは、一介の部隊の長であるならば当然であろう。見通しが悪いから伏兵の心配をせねばなるまい。ならば見えるようにしむける。なんの不自然があろうか」

「しかし、しかし」

「佐将殿にはそんなことはできまい、という前提がおありなのだろう。わしにはない。まあ見ておれ。おぬしらが思う以上に、魔手という存在はすばらしい」

 トーリにそういわれて、ベルトレは己の感情に魔手という引っかかりがあることを認識した。つまり彼は、魔手などという体の一部が欠損したような不完全な人間が、自分の考えも及ばない仕事を軽々となそうとしていることが許せなかったのだ。ベルトレの体にぶつかって去っていった魔手の感覚が思い起こされる。彼の目の怨みの色を、ベルトレは考えねばならなかった。

「因果の書き換えなど」

「信じられぬか。しかし魔手は現実に成果を上げているではないか」

「私は見たことはありません」

「やれやれ。まあ、戦陣を作る司令官が盲信されても困るが。お主の反応を見てわかったよ。魔手の地位がなぜあれ程低いか。答えは単純で、法国はただその力を恐れているのだ」

「馬鹿な」

「敵にも魔手がいるそうだな」

「はい。三人ほど」

「シルウィアの兵士にしては珍しい」

「物好きが何人かおります。しかし私は魔手になど頼らない」

「わしも物好きのうちよ。なるほど、『聖族』ではなく我らが呼ばれた理由がなんとなくわかった。魔手の扱いが手練れておれば、人数の差など容易くひっくり返る」

「考えすぎでしょう」

「おぬしらはなぜそれほどまでに魔手を忌み嫌いながら、街の一部を彼らにあてがっているのだ」

「法王のお考えです」

「不遇な環境に文句をたれず、慎ましやかに生活する魔手たちにも不思議さはある。わしがシルウィアを壊滅させるなら、まず魔手を味方につけるだろう」

「そのようなお考えをお持ちなのですか」

 ベルトレの瞳にさっと炎が立ち上った。

「だとすればどうする」

「私が一刀のもとにここで切り伏せてご覧にいれます」

「できもしないことを申すでない。笑われるぞ、佐将殿」

「なんですと」

 トーリは微かに鼻で笑った。

「心配するな、今の法王猊下には忠誠を誓う。信頼できうる御方だ。あの御方のためならば死んでもかまわぬ。だが、次代の王にはわからぬ」

「太子殿下は英邁な君主になられるでしょう」

「さて、どうだろう。まだ一度もお目にかかってはおらんが」

「お目にかかればわかります」

「佐将殿、ならば魔手の業績も目をこらせば疑いが晴れる」

 トーリの顔にくっきりと陰影ができ、そしてベルトレの横顔に熱風があたった。

 夜がゆっくりと、橙色の光の中に埋没して変容する。

 ベルトレは慌てて森を見た。

 見える範囲の森の木々が松明となって揺らぐ姿が見えた。

「何を、何をしたのです」

「因果が動いた」

「何を?」

「木々は夜毎水を吐き出している。それをその方向にだけ少し促進させた」

「その方向にだけ?」

「一方的に水を吐き出す。蓄えようとせずに。木々は瞬く間に萎れ、枯れる」

 ベルトレは目を疑った。

 火の海が、遠くに波を打って拡がろうとしている。

 魔手は少しずつ前に前に進み、木々は燃えたそばから灰になり炎の風に舞った。

 ふと、ベルトレは轟々たる火炎の先に不思議な構造物を見た気がした。

「なんです。あの板は」

「おぬし、基板が見えるのか」

 トーリは初めてベルトレに驚愕の視線を向けた。

「基板?」

「あの炎の先に何が見える?板が見える?わしには見えない」

「ですが確かに。ええ、今でも確かに見えます」

「それはおそらく基板だ。魔手たちだけが見る、もう一つの世界のかたちだ。これは愉快、魔手を忌み嫌う貴官が、基板を見るとは」

「どういうことです」

「魔手たちは二つの世界を認識している。もっとも我々と同じ視力を持った人間は少ないかもしれぬから、魔手たちにとってみれば佐将殿が垣間見たものが主体の世界で生きているといえるのかもしれない。魔手たちは、修行の過程で視力を失うことが多いからな」

「何をいっておいでなのです?もう一つの世界?」

「この世界のあらゆる存在はもう一つの顔を持っている、とでもいおうか」

「もう一つの」

 ベルトレの思考はそのまましばらく停止した。整理のための時間が周囲の時間と隔離して彼の頭の中に流れなければ、ベルトレは次の言葉を出せなくなっていた。

 森は燃える。魔手は進む。

 思考が停止するのは地獄だった。

 少なくとも戦術を常に追う立場にいる士官にとっては。

 自分以外の全てが自分とは無関係であるように振る舞うのも許せない。

 ベルトレは、我に返った。

「魔手たちの具体的な役目とはなんなのです。二つの世界を繋ぐことですか」

「立ち直りが早いな。さすが、シルウィア国最高の教育をくぐり抜けただけはある」

「質問にお応えいただきたい」

「我が強いということは将の資質である。柔らかい部分などほんの一握りあればよい」

「お褒めにあずかり光栄であります、将軍閣下殿」

「なかなか、よい」

 老将は声を出して笑った。刻まれた皺の間に剣を突きつけてやりたかったベルトレだったが、なに機会はいくらでもあるといいきかせて、こころを鎮めた。

「わたしにはそんなものが存在するなどと」

 火の粉が二人の間にはしって、ベルトレは言葉をきった。

 老将の目が不思議な沈隠をみせる。

 くらく沈んでいくのだった。

 生気が失われていくようでもあった。あかるく爆ぜる木々が見せる幻かもしれない。 

 しかし、歓喜をあげる騎士団の兵士達とトーリ、そしてベルトレが離れていくような錯覚があって、彼は何かに振り落とされないようにしっかりと手綱を握った。

「信じ、られません」

「では聞くが」

 どさりと大木が倒れる音がした。

「心が存在しないとは佐将殿はお考えにならないわけであろう」 

「それは」

「心とはもう一つの世界ではないか」

 また、どさりと木が倒れる。

 手綱を握りしめたベルトレの手が汗でぐっしょりと湿っている。

 人間ではない何か。

 トーリのからだから発せられる気迫、いや、違う、存在感の姿がすでにして人のものとは異なるのだとベルトレは思った。

「それはつまり、この世以外の世界とは心の世界だということですか」

 ベルトレは声を絞る。

「わしはそう思う」 

「すると魔手は心を操る。しかし、木に心があるはずはないでしょう」

「心は存在をあたえられたものにはすべてある。魔手が教えてくれたよ」

 トーリの口の動きは見えなかった。

「そんなはずは」

 口が動いていないのに、ベルトレの言葉は耳に届いた。

 驚く。口をぱくぱく動かしてみる。動く。

「そんなはずはない」

 が、言葉を出そうとすると口が動かない。しかし、トーリには伝わった。

「体が正直ではないか」

 彫像のように、老将は屹立している。トーリの口を目で追う。気づくと、トーリは馬に乗っていない。背後は暗部で、ベルトレのからだはトーリと正対しており、しかし口だけでなく、とうとう体感が冷えて消えてしまった。

「なんだこれは」

 思ったことが言葉になる。

「何がだね、佐将殿」

「あんたは、何者だ」

「わしは法王騎士団の長、トーリ」

「そんなことを聞いているわけじゃない」

「何を聞くつもりなのかね」

「こんな、こんな」

 どさり。

 ベルトレの視野に馬の足がいきなり現れた。

「どうした、佐将殿」

 トーリの声が上から降ってくる。

 じんじんと肩が痛む。

 ベルトレは手綱を強く握ったかたちのまま、地面に突っ伏していた。

 馬から落下したのだ、とわかる。

 たったそれだけの経路を思いめぐらすのに、頭がいいように働かない。

「おうおう。随分とまた見通しがよくなったな」

 老将の笑声。

 ベルトレは跳ね起きる。

 炎の海原の下に黒い大地が横たわる。魔手たちの影が遠くに霞んでいるように微かに見えた。

 咄嗟にトーリを見遣る。笑顔がなんと恐ろしい。

「魔手の力」 

「そうまさしく」

 滑舌よく、老将の口が蠢いた。

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