2日目~3
「このまま調理場へ進もう」
その言葉を聞くなり、アンはひどく悲しそうな顔で僕を見上げた。
今にも泣き出しそうな表情だった。
「本当に……行くの?」
「ごめん。行ってみないと何があるかわからないし……怖いならアンはここで待ってて。僕だけで行ってくるから」
……本当は一緒に来てくれた方が嬉しいんだけど。とは、口が裂けても言えない。
アンはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「ありがとう。じゃあここで待っててね」
僕はランプを受け取ると、彼女を残して調理場へ歩き出す。
すると去っていく背中に、アンが小さく呟いた。
「……一緒に行けなくて、ごめんなさい」
その声が、僕の耳に届くことはなかった。
通路の突き当たり。そこから覗く調理場は、想像どおり僕の家よりずっと広かった。
大きな竈、大きな調理台。鍋やフライパンなどの道具も、そのまま残されている。
ただ、雨漏りでもしているのか、どこからともなくピチョン、ピチョンと水の落ちる音が聞こえた。
「外で雨でも降り出したのかな……?」
だが外から雨音は聞こえない。
というより、鳥の声も、草木の揺れる音も。外の気配そのものが、まったくしなかった。
ずっとずっと、無音の世界——
――の、はずだった。
ガタン
音は、調理道具の棚の方から聞こえた。
偶然何かが落ちただけだと思い、僕は振り向かないようにする。
ガタッ
ガタン
だが、それでも音は鳴り続ける。
まるで振り向いてほしいと訴えるように。
ガタン
ガタッ
ガタッ
ガタン
おそらくネズミか猫が入り込んだのだ。
それらが動き回っている音だ。
そうだ。そうとしか考えられない。
……だから、振り向いたって誰かがいるはずがない。
ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ
しかし、我慢の限界だった。
振り返って、やはり獣のせいだったと安心したかった。
だから僕は、勢いよく振り返った。
「やっと、わたしをみてくれたんだね……うれしい」
そこに立っていたのは――アンだった。
「アン? あれ、ついて来てくれたの……?」
あんなに怯えるほど来たくはなかったのに、なぜ?
……いや、おそらく心配になって来てくれたんだ。ありがたい。
そう思いながら、僕は彼女へ近付く。
「オットーおにいちゃんとあそびたくて、きちゃった」
アンは無邪気に微笑む。
こんな場所で急に遊び?
だったらここじゃなくて、外に出てから遊んであげるよ。
そう言おうとしたが、なぜか身体が動かなかった。
足も、頭も、指先も。口も、声さえも。
どうしてか、動かない。
「せっかくだし、おままごとしましょ? じゃあ、オットーおにいちゃんがパパね」
その瞬間、僕の身体が勝手に動き出し、近くの椅子へ座らされた。
抵抗しようとしても力が入らない。
……どうして。なんで。
胸の奥で、恐怖が膨らんでいく。
「パパはね、いつもあまいおかしを、わたしのまえでたくさんたべるの。たくさんたくさんたくさん……」
アンはどこからか、ひび割れた皿やカップを持ってきた。
それを調理台に並べ、今度はその上にクッキーやマドレーヌらしき焼き菓子を置く。
……こんなお菓子、一体どこにあったんだ?
「さ、パパ。たべて、たべて」
アンは焼き菓子を乱暴に掴み、僕の口へ押し込んだ。
身体は凍り付いたように動かないのに、口だけが勝手に動き出す。
甘い。
気持ち悪いほど甘い。
甘いお菓子の焼けた匂いが、鼻へと抜け続ける。
だが僕の歯は勝手にもぐもぐと噛み続ける。
見た目に反して、石のように固いお菓子を。
歯が折れそうになる。
痛い。痛い。
「たべて、たべて、たべて、たべて、たべて、たべて」
次々に詰め込まれたお菓子は、やがて口の中をいっぱいにした。
吐き出すことも許されない。
もう無理だよ、食べられないよ、アン。
そう言いたくても、口いっぱいにお菓子が詰まっていて、喋れない。
「たべて、たべて、たべて、たべて、たべて、たべて、たべて、たべて、たべて、たべて、たべて、
たべてたべてたべてたべてたべてたべてたべてたべてたべてたべてたべてたべてたべてたべてたべて」
子どもとは思えない力で奥へ奥へと押し込まれたお菓子は、やがて喉にまで達した。
僕は息が出来なくなる。
苦しさで、涙が溢れる。
やめて。
やめて。
……たすけて。
おいしいでしょ?
無邪気なアンの声を聞いたときには、僕の意識はもう、遠のきかけていた。
あれ?
ねちゃうの?
……そうだね。なんだか、ねむくなってきた……みたいだ。
そっか。おなかいっぱいたべたらねむくなるものね
おやすみ、パパ
クスクス
◆
……残念です、オットー様。
おそらく貴方は探索する場所の選択を間違えたのでしょうね。
おそらくはもう、貴方を見つけることは、私には出来ません。
本当に、残念です。
さようなら、オットー様。
~ End2 口の中は小麦色 ~




