2日目~2
アンと出会った僕は、とりあえずもう一度屋敷の中へ戻った。
扉が閉まると、屋敷内には再び一寸先も見えない暗闇が広がる。
すかさずアンが、僕のランプで周囲を照らしてくれた。
「それはアンが持っていて。僕が屋敷の中を探したり、調べたりするからさ」
アンは静かに頷く。
探索を頼んだものの、よく考えたら虫やネズミが出るかもしれない屋敷を、彼女に調べさせるのはさすがに可哀想だ。
まあ、明かりを灯してくれるだけでもありがたいし、何より一人じゃないということが僕は嬉しかった。
ガタッ
突如、物音が響き、僕は悲鳴を上げる。
「うわぁっ!!」
するとアンが、冷静に言った。
「今のはネズミが動いた音よ」
「ネ、ネズミ……?」
「オットーって、物音に弱いのね」
その言葉を聞いた僕の顔は、今にも火が出そうなほど熱くなった。
僕はアンと一緒に、また食堂へ戻ってきた。
ここには何かがあるかもしれない。そんな気がしたからだ。
だが改めて探索してみても、食堂にはこれといって気になる代物はない。
いかにも高そうな壺や華やかな風景画は飾られているが、そのどれも“夫人の思い出”にゆかりのある品には見えなかった。
「……」
突然、アンがランプを持つ手を止めた。
「どうしたの、アン?」
尋ねると彼女は、ある方向を指差した。
「……あれ」
食堂の奥に設置されていた暖炉。
「ああ、暖炉だね。冬場は寒いし、食堂にあっても何ら不思議じゃないよ」
そう説明する僕をよそに、アンは物怖じせず暖炉へ近付く。
慌てて僕も傍へ駆け寄ると、煤や灰にまみれて真っ黒な炉の中に、何か光るものが落ちていた。
「……これって、ペンダントかな?」
それは楕円形のチャームが付いた、銀製のペンダントだった。
埃と煤にまみれてはいたが、不思議なことに燃えた痕跡はない。
おそらく暖炉が使われなくなってから、ここに捨てられたのだろう。
「でもまあ、造りから見て夫人のものというよりは、従者のものって感じかな」
するとアンは僕に掌を向け、「触ってみたい」と言った。
言われるまま手渡すと、次の瞬間、彼女はチャームをするりと回転させた。
「ええ? 今どうやったの?」
「ここを動かしたの。これ、ロケット式ペンダントみたいだったから」
「ロケット式って……その中に肖像画や薬がしまえるっていう?」
アンが小さく頷き、ペンダントを返す。
開いたチャームの内側から、小さな肖像画が姿を見せた。
デッサンで描かれた若い二人組。どうやら男女らしい。
「こんなペンダントにしまっておくくらいだし、二人は夫婦とか恋人ってことなのかな?」
だが残念なことに、長い年月で色褪せた肖像画からは、詳しい顔までは判別できなかった。
「うーん……もしかしたら夫人のものかもしれないし、これはちゃんと記録しておいた方がいいかな……」
そう言うと僕は、鞄からスケッチブックを取り出した。
……ようやくこいつの出番が来た。
「……この肖像画を、わざわざ描くの?」
小首を傾げるアンに、僕は黙って頷く。
本当なら屋外に持ち出して、じっくり模写したい。
だが、エーデルヴァイス夫人の私物は屋敷から持ち出してはいけない。
だからこうして、その場で描き残すしかないのだ。
「面倒だけど、こうして少しずつ夫人のものを描いていけば、きっと夫人の笑顔が描けると思うんだ」
「そうなんだ……」
ランプを片手に「ふうん」とつまらなそうな吐息を洩らすアン。
しかし言葉とは裏腹に、デッサンする僕を興味津々に見つめている。彼女の目は終始、爛々としていた。
「……アンはさ、絵を描くことはないの?」
沈黙しているのは退屈だろうと思い、何気なく尋ねる。
アンは首を振った。
「絵は上手じゃないって言われたから……描いたこと、ない」
「そうか。でもね、絵を描くのに上手い下手なんて関係ないんだよ」
「本当に?」
「本当。絵に一番必要なのは、楽しく描いてるかどうかなんだよ」
「楽しく……」
そんな会話をしているうちに、ペンダントのデッサンを終えた。
他に夫人のことを知れそうな品はなかったので、僕たちは食堂を後にした。
クス
次に調べるのは、一階最奥の調理場だ。
この大きさの食堂から考えると、調理場もそれなりに広いと思われる。
「……あれ、どうしたの?」
調理場手前の通路で、突如アンが立ち止まる。
そのまま動こうとしない。
ランプは彼女が持っているため、照らしてくれなければ僕も前には進めない。
「お腹痛くなった? それとも、怖くなっちゃった……?」
僕の問いに、アンは小さく首を横に振る。
何を尋ねても「平気」と答えるが、俯いたまま、一向に歩き出そうとしない。
どうしたものかと困っていると、彼女は静かに口を開いた。
「……その先には行かない方がいい」
俯いた顔から、不穏な気配が漂う。
「え、どうして?」
率直に訊いたが、アンはそれきり口を閉ざしてしまった。
どうして調理場へ行ってはいけないのか、決して話してくれなかった。
「でも行かないことにはな……夫人の手掛かりがあるかもしれないし」
そう呟きつつも、アンの言葉を無視することはできなかった。
前にテレーザが言っていた。
――『女の直感は信じなさいよ』と。
よく見ると、ランプに照らされたアンの顔は真っ青で、震えていた。
こんなに怯えている彼女を連れて行くのは、どう考えても難しい。
「今日中に一階は終わらせたかったんだけど……どうしようかな……」
◆
・「このまま調理場に進もうか」―――2日目~3へと続きます。
・「わかった、調理場は後回しだ」―――2日目~4へと続きます。
◆




