1日目〜3
独りになってしまった僕は、暫くその場から動けずにいた。
だが、怖じ気づいたところで何も始まらない。
「……そうだ。これは、ちょっとした肝試しなんだ。そうそう」
恐怖を紛らわすように声を出し、自分に言い聞かせながら探索の準備を始める。
光源用のランプと護身用のナイフ。それから軽食用にビスケットをいくつか忍ばせる。
準備を終え、僕は改めて屋敷を見上げた。
真正面から見直した屋敷は、やはり巨大だ。
町一番の豪邸であるテレーザの屋敷より、さらに広いようにすら感じる。
そういえばヨハンネスが言っていた。
夫人が住むより遥か昔、この建物は湖の絶景を売りにしたホテルだったらしい。
だが問題が起こったために潰れてしまい、その後エーデルヴァイス夫妻が買い取ったのだとか。
……これほどの建物を個人宅として購入するとは、やはり大富豪は桁違いだ。
従者がいたとしても、部屋は余るほどあったに違いない。
そんな屋敷へ、僕は意を決し、ドアノブを掴んだ。
鍵は掛かっていない。
激しく軋む音を立てながら、両開きの扉がゆっくり開く。
「ごめんくださーい……」
無意識に挨拶が出た。
当然、返事はない。
……いや、あったらそれはそれで困る。
中は、足元すら見えない闇だった。
窓という窓に板が打ち付けられているらしく、僅かな光も射し込まない。
想像以上の暗闇。
そして、耳が痛くなるほどの静寂に僕は息を飲む。
「……失礼します」
僕は静かに足を踏み入れた。
――バタン。
背後で扉が勝手に閉まる。
一切の光が消え、慌ててランプに火を灯した。
屋敷の中は外よりもずっと冷たく、鳥肌が立つ。
なのに、背中にはじんわり汗が滲む。
「誰か、いますか……?」
再度、確認のために声をかける。
やはり返事はない。
改めて見渡してみたが、人影どころか、獣の気配すらない。
――なのに。
ずっと視線を感じる。
どこかから、何かに見られている。
恐怖に足が竦む。
だが立ち尽くしていても仕方がない。
僕は足元を確かめながら、ゆっくり奥へ進んだ。
「……すごい、広いな」
玄関を入ってすぐ、目の前には大きなホールがあった。
正面と左右に通路があり、中央には螺旋階段。
二階も同じ構造らしい。
元ホテルだったというだけある。
部屋数も廊下の長さも、屋敷とは思えない規模だ。
「あれは……」
玄関ホールの真正面。
二階の渡り廊下の壁に、巨大な絵画が掛かっていた。
一瞬夫人かと思ったが、ランプを向けて見るとそれは男性だった。
おそらくエーデルヴァイス夫人の旦那様――この屋敷の主人の肖像画だと思われた。
ヨハンネスの話では夫人より先に亡くなったらしい。
だからか、絵の男性は三十代前半ほどに見える。
しかし、若さに似つかわしくない威厳と貫禄がその絵にはあった。
しかも暗闇の中で照らされたその顔は――
まるで、こちらを見下ろしているようで、どこか不気味だった。
「……探さないといけないのは旦那様じゃなくて、夫人なんだよな」
そんなことをぽつりと呟き、探索を開始する。
右側の通路には、等間隔に五つの扉が並んでいた。
一つずつ覗くと、どの部屋にも簡素なベッドと机と椅子が置かれている。
おそらくは元は客室だったのだろう。
しかし空気はどこも淀み、埃とカビの混ざったような臭いがする。
床も腐りかけており、踏み込めば崩れそうだった。
中へ入るのは無理だった。
覗くだけで精一杯だ。
(まあ……こんな場所に夫人の品なんてないよな)
そう思いながら調べているうちに、右側の部屋をすべて見終えていた。
最後の扉を閉め、今度は左側通路へ向かおうとした――そのとき。
ガタン
「ヒィッ!」
反射的に振り返る。
――ドアが開いていた。
今、確かに閉めたはずの扉が。
「き、きっと……ネズミとか、虫だよね……」
声を出さずにいられなかった。
僕は扉を見ないようにして、その場を離れた。
「結局、客室には何もなかったな……」
左側の部屋も調べたが、結局夫人の私物らしきものは何もなかった。
それらしいものといえば、高級そうな人形が落ちていたくらいだ。
「あ、そうだ……時間を確認しておかないと」
僕は慌てて懐中時計を取り出す。
ちなみに、この時計はヨハンネスが用意してくれた最新式のものだ。
「え!? もうこんな時間?」
見ると、針は夕方五時を指していた。
もう日が暮れようとしている。
……そんなにも時間が経った感覚はなかった。
それにまだ昼食すら取っていないのに、不思議と空腹も感じていない。
(……って、そんなこと考えてる暇はないよね)
僕は急いで玄関へ戻ろうとした。
だが、ふと足を止める。
本当に、夜までに出る必要があるのだろうか。
一階の客室を調べただけで、一日目が終わろうとしている。
依頼の絵は、まだデッサンすら出来ていないというのに。
このままでは期日に夫人を描くどころか、探索すら間に合わない。
その焦りが、僕の背中を強く押す。
「大丈夫……だよね。ちょっとくらいなら……」
どう考えても、夜通し探索した方が効率はいい。
そもそもこの室内の暗さに、昼も夜も関係などない。
それに、最初は恐怖で冷や汗や鳥肌が止まらなかったが、今は落ち着いている。
むしろ、この静寂が心地よくすらあった。
ならば探索もあっという間に終えられる。
そんな自信があった。
――だがしかし。
もし約束を破ったら。
夜までこの屋敷にいたら。
どうなるのだろうか……?
『夜は絶対|に屋敷へ入ってはいけません』
不意にヨハンネスの言葉が蘇る。
もしかするとこれは、彼の忠告ではなく、僕の心が出す警告かもしれない。
僕は無意識に立ち止まった。
そして――この後の行動をどうするのか、考えた。
◆
・このまま探索を続ける―――1日目~4へと続きます。
・やっぱり外へ出て今日は休む―――2日目~1へと続きます。
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