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1日目〜2




 ――こうして僕は、幼馴染の不思議な依頼を引き受け、エーデルヴァイス夫人の屋敷へとやって来たわけだ。


 鬱蒼と生い茂る木々の隙間から覗く屋敷を、僕は見上げる。

 いかにもといった『古びた館』然とした、(おもむき)のある外観。思っていたほど廃墟めいた荒れ方はしていない。


「むしろ、今も人が暮らしているかのような美しい佇まいですよね。……ですが、夫人が亡くなってから二十年以上、現在に至るまで誰も住んではおりません」


 背後から、三十代ほどの男性が歩み寄ってくる。

 名はヨハンネス。テレーザの従者で、この近くまで馬車で送ってくれた人物だ。


「では……今回の依頼内容をご説明いたします。よろしいでしょうか、オットー様」


 年下の僕に対しても、所作の一つひとつが丁寧だ。

 しかしこんな森の奥だというのに、なぜか燕尾服姿のままでいる。


 ……執事という職業は、こういう場所でもその格好という決まりなのだろうか。


「オットー様にはこれからこの屋敷に入っていただき、エーデルヴァイス夫人の私物を拝見してきていただきます。肖像画はもちろん、装飾品や手紙――そうした品々から受け取った印象をもとに、夫人の笑顔を想像し、新たな肖像画を描いていただきたいのです」


 僕はゆっくり手を挙げた。


「どうして、そんな手間の掛かることを?」


 ヨハンネスは静かに腰を折る。


「……その方が、より自然な笑顔を描けると思いますので」


 ――笑顔。

 今回の依頼で、もっとも強調されている言葉。


 僕はそれが、ずっと引っ掛かっていた。


「あの……どうして、そのご夫人の“笑顔”が必要なんですか?」


 そう尋ねると、ヨハンネスはおもむろに眼鏡のブリッジを押し上げた。


「そうですね。余計な先入観はお持ちいただきたくないのですが……ある程度、世間で語られていた夫人の印象をご説明いたしましょう」


 彼は僕――というよりは、どこか遠くを見つめる双眸で、語り始めた。



「――エーデルヴァイス様のご夫人は生前、その無感情さゆえに“冷血女”と囁かれておりました」


 それは、喜びも楽しみも顔に出さず、決して笑うことのない。

 彼女につけられた悪名とも言えた。

 他にも彼女は頑固で自己本位で、理不尽な要求を突きつける――そんな悪評で名を知られていたという。


 だが本人は誹謗を耳にしても気に留めず、むしろ好ましく思っていたという。

 ――もっとも、そのときですら笑みは一切浮かべなかったそうだが。


「ですが……そんな彼女の“笑顔を見たかった”と、夫人が亡くなって久しい今になって、()()()()()が言ったのです」


 亡き人の笑顔を見る方法があるとすれば、それは絵に描くしかない。


 そうして、この依頼は様々な絵描きに申し込まれた。

 だが、誰一人として絵を完成させることなく、匙を投げたという。


「そうした紆余曲折の末、オットー様へご依頼する運びとなりました」


 話を聞き終え、僕は静かに息を呑む。


 他にも依頼を受けた絵描きがいたこともそうだが、それほど困難な依頼なのかということにも驚愕した。

 疑問は増える一方だ。


 が、気づけば僕は、何よりも不安に思っていたことを口にしていた。


「……本当に、僕なんかの想像で描いていいのかな」


 独り言のような呟きだった。

 だが、それを耳にしたヨハンネスは首を横に振って答えた。


「“僕なんか”などと仰らないでください。テレーザ様は『オットー様は心を込めて描く。だから彼の絵には心が宿るのだ』と申しておられました」

「そ、そんなこと言ってたの?」


 彼女の口から聞いたことのない褒め言葉に、思わず頬が熱くなる。


「はい。ですからこの依頼は“貴方様だからこそ”成し遂げられるのだと、テレーザ様同様に私も信じております」


 ヨハンネスは丁寧に一礼する。

 僕は照れ隠しに頬を掻きながら言った。


「……わかりました。僕にどこまで出来るかわかりませんが、やれるだけやってみます」


 報酬である画材一式は既に受け取っているし、なによりも、ここまで信じてもらっているのに断ることなんて出来ない。

 大きく頷いた僕は、貰ったばかりのスケッチブックと鉛筆を鞄から取り出した。


「ありがとうございます――ただし、屋敷の探索にあたり重要な注意事項がございます」

「え?」


 注意事項があるとは意外だった。

 目を丸くする僕に、ヨハンネスは人差し指を立てながら説明する。


「一つ目。屋敷内の物を見て回るのは構いませんが、そこに置かれた私物は絶対に持ち出してはなりません」


「ええっ!?」


 予想外の言葉にまた更に驚いてしまう。

 僕は見つけた私物や肖像画は、全部屋敷の外に持ち出すつもりでいた。



「後で戻すのもダメなんですか?」

「はい」

「それはどうして……?」

「……事情は、私の口からは申し上げられません」


 先ほどまで柔らかかった声音が、わずかに硬くなる。

 彼の真剣な双眸に気圧され、僕はそれ以上、踏み込めなかった。


「二つ目。探索は日没までに終えてください。夜は――()()()屋敷の中にいてはいけません」


 念を押すかのように、ヨハンネスは僕に顔を近づけて言った。

 またしても疑問符が浮かぶような注意点だった。

 僕は少しばかり眉を顰めながら、もう一度聞いた。


「あの……どうしてなのか、それも説明してくれないんですか?」


 冷たい風が、二人の間を通り抜けていく。

 ヨハンネスはゆっくりと一歩下がり、答えた。


「……オットー様はこの近くの湖の噂を、お聞きになったことはありませんか?」


「ええ、一応……あまり良い噂じゃありませんよね」


 湖の噂は町中が知っている。

 子供の頃から聞かされてきた怪談だ。


 だがそれは“湖は危険だから近付いてはいけない”という大人の忠告を怖くした逸話だと思っていた。

 すると、ヨハンネスは首を横に振った。


「いいえ。あれは誤りです。真に恐ろしいのは――屋敷の方なのです」


 そう言うと彼はおもむろに屋敷を見上げる。

 その瞬間、ざわりと木々が揺れた。


「屋敷の方が恐ろしいって……どういう意味ですか」


「……それ以上は、私の口からは申し上げられません」


 じわじわと襲い来る不安から逃れるように、僕はヨハンネスに縋った。


「あの、ちなみに……ヨハンネスさんも一緒に屋敷に入ってくれるとかは……?」


 彼は静かに首を振る。


「申し訳ございません。その件に関しても私は……あの扉に近付くことすら許されないのです」

「え、扉に近付けないって、どういう……?」


「ですので――残念ながらご同行は出来ません」


 彼はそう言うと深々と頭を下げ、それ以上は何も語らなかった。




「では私はここまでです。最初に説明した通り、次にお会いするのは五日後――六日目の朝になります」


 確かにその説明は馬車での移動中に聞いていた。

 移動に片道数時間も掛かることを考えれば仕方ないと、そのときの僕は納得していた。


「設置したテントにランプや食料など必要物資は入っております。ですので、それまでどうかお気をつけて」


 そう言い残し、ヨハンネスは茂みの奥へ消えた。


「真に恐ろしいのは屋敷の方、って……」


 僕は幽霊なんて信じていない。

 だが――注意だらけの屋敷の前に独り残されて、平気でいられるほど図太くもない。


 そもそも、噂に聞く湖よりも、この屋敷の方が恐ろしいだなんて。

 ……まさか、信じたくもない。


 僕の背後で不気味に鳴く鳥の声と風の音が、静かな恐怖を掻き立てる。

 逆光に黒く塗り潰された屋敷は、まるで僕を待ち構えて見下ろす、巨大な怪物のようだった。


 理由のわからない寒気に、全身の皮膚が粟立つ。

 ――僕は静かに、息を呑んだ。




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