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4日目~2




 ◆


『 ○月〇日

 最近、あの子の様子がおかしい。

 とにかく甘いお菓子を用意しないと癇癪を起こすようになった。


 夜に侍女たちが出歩くことに、理由もなく不機嫌になる。


 機嫌を損ねると、侍女たちに悪さをする。

 あの子の霊気に当てられた者たちは皆、絶望した顔で屋敷を出ていく。

 二度と立ち入れない呪いを掛けたと、あの子はケタケタと笑っていた。


 そんなことをする子ではなかったはずなのに……。

 私が、私が甘やかしてしまったせいなの?』

 


『 ×月×日

 雨の日になると、あの子が怯えて大人しくなることがわかった。

 おそらく……水が嫌いなのね。


 調理場へは決して近付きたがらないし、近くの湖も酷く怖がっていた。


 けれど、一番嫌いな部屋は夫の部屋だと言っていた。

 生前のあの子と、何か関係があるのかしら……』



『 △月△日

 この頃、調子がおかしいと思っていたら、どうやらあの子に身体を乗っ取られていたらしい。


 突然喚き出したり、理不尽な要求をしたり、装飾品に当たり散らして壊したり……。

 私に覚えのない言動を、侍女たちが怯えながら話していた。


 私も年老いた。

 もう今の私では、あの子を押さえ込めない。

 ……限界かもしれない』



『 □月□日

 悲しいけれど、もうこうするしかない。

 明日は雨だと庭師が言っていたから、明日に決行する。

 あの子と……決別する。


 もしもの時に備え、この屋敷は残すよう遺言を残した。

 これであの子が悪霊となって外へ放たれる、最悪の事態は防げるはず。


 あの子には悪いけれど、これ以上犠牲者を出してはいけない。


 それと、万が一の事態に備えて——

 あの子を成仏させる方法を書き残しておく。


 “あの子が嫌いな部屋”。

 そこに方法を隠してある。


 ……けれど悲しいわ。

 まさか、こんな形でお別れだなんて。


 まるで娘が出来たみたいで、年の離れた友だちが出来たみたいで……楽しかった。幸せだった。


 きっとこの感情も、あなたに憑かれた呪いのせいなのでしょう。


 それでもね。

 呪いだったとしても、私は本当に、心からあなたのことが大好きだったのよ。


 さようなら——

 私の友だちだった、アンナ』


 ◆


 そこから先は書かれていなかった。

 おそらく夫人は、その後――書けない状態になったのだろう。


 急病か。大怪我か。あるいは――死。


 ……そんな、まさか。


 夫人は、アンナに呪い殺されたのか?

 アンは、そんなにも恐ろしい幽霊なのか……?


 消えたはずの恐怖心が、再び襲いくる。

 心臓が早く脈打ち、うまく息が出来なくなる。


 呪いから解き放たれたかのように、僕の中の白い靄が、完全に消えた。



「どうしたの、お兄ちゃん…?」



 僕は我に返り、急いで日記を閉じた。

 落ち着かせるよう、そっと胸元を掴む。

 深呼吸を繰り返し、静かにアンを見つめた。


 ランプに照らされたアンは、黙って僕を見つめている。

 まるで不気味な、夜の三日月を無理やり貼り付けた笑顔で見ていた。


 アンが幽霊でも構わない。友だちに違いない。

 そう信じたい。


 だが、夫人の日記に書いてあったように、相容れない存在なのか?

  

 やはりもう、聞くしかない……。


「一つだけ、聞いても、いいかな……?」


 怖い。

 恐ろしい。

 不安と恐怖が汗のように吹き出る。

 それでも僕は、意を決して彼女に尋ねた。


「なあに……?」


「君は、アンナ……なの……?」






「そうだよ?」



 いつもと変わらない声で答える。


 僕は全身の血の気が引いた。


 直後、アンはケタケタと甲高い声で笑い出す。

 室内中に響き渡り、脳の奥にまで轟くようだ。



クスクス、クスクス



 アンの唇は不気味な弧を描き、嘲笑い、目を細める。

 その豹変ぶりに僕は思わず腰を抜かし、尻餅をついた。


「せっかくおともだちになったのに、どうしてアンってよんでくれないの?」


 一歩。

 また一歩。

 ゆっくりと、僕に近付いてくる。


 恐怖のあまり、逃げ出せない。


「わたしはね……パパがおこるとき、いつも“アンナはダメだ”“アンナはダメだ”って、しかるから……そのなまえ、きらい。だいっきらいなの」


 アンは、僕の首へと手を伸ばす。

 血の気のない青白い両手。

 思わず僕の顔が強張る。


 ……ああ、そんな。


 やはり君は恐ろしい幽霊なのか。

 信じたくはなかった。

 いや、今だって信じたくはない。


 だが、思いとは裏腹に全身が粟立ち、激しい目眩が襲う。

 心地良かった夢から急に目覚めたような感覚が、僕に残酷な真実を告げている。

 

 なぜ僕は、こんなにも恐ろしい感覚に気付かなかったんだ。


 ……もしかすると、アンの“呪い”に僕も魅入られていたのか。

 思い返せば何度となく頭が重たくなって、考えが鈍ることがあったと思う。


「ダメなこというわるいこは、こうやっておしおきするんだよ。ママがいってたんだよ」


 アンはその小さな手で、僕の首を絞め始めた。

 少女のものとは到底思えない怪力で、首をじわじわと絞めていく。 


「くるし……やめっ、て……」

 

 息が出来ない。

 苦しい。


「……でもね、おにいちゃんとわたしはともだちだものね。だからこれでゆるしてあげる」


 そう言うと、アンはそっと手を放した。

 解放された僕は必死に深呼吸を繰り返す。

 嗚咽を繰り返す。


「ねえ、おにいちゃん。またアンってよんで?」


 ……このままでは、僕は夫人と同じ運命を辿る。

 アンに呪い殺される。


「……ア、ン」

「よかった、またよんでくれるのね」


 咳込みながら、彼女の名前を呼ぶ。

 アンは嬉しそうに、無邪気な笑顔を浮かべた。


 僕は呼吸を整えながら、ここから逃げる方法を探した。


 考えろ。

 冷静に、考えろ。

 何か方法はないか。


 ――だが、脱出するための妙案が、何も浮かばなかった。


 何せこんな状況は生まれて初めて。

 彼女がどういった“霊”なのかも不明なのに、打開策なんて分かるはずもない。


「アン」

「なあに?」


 僕は呆然と、目の前に立つアンを見つめる。


 今の彼女は暗闇の中でもはっきりとわかるほどに、全身が淡く白く光っているようだった。

 青白いその輪郭が、その異様さを際立たせている。


 しかしそのせいだろうか。

 先ほどまでのアンとは打って変わった、稚拙さも浮き立って感じた。


 ――そうして、頭が真っ白になってしまっていた僕は、ただただ、思ったことを口走ってしまった。


「友だちは……いきなり首を絞めはしないんだよ。そんなことしたら……君とは友だちになれないよ」


 それは、親が子に諭すような、優しい注意のつもりで出た言葉。

 だが、その選択はどう考えても、間違いだった。


 直後、アンは絶望を叩き付けられたかのような顔へと変化する。


 大きな瞳をこれでもかと見開かせ。

 ブロンズへアの毛先がゆっくりと逆立っていった。


「なんで? なんでなんでなんでなんでナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデ」


 まるで壊れた玩具のように、同じ言葉を繰り返す。

 頭を搔きむしる彼女は、次第に絶望の顔を憤怒の表情へと変える。


「ともだちじゃないなんて……イヤだイヤだイヤだイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダ」


 彼女の怒りが噴き出すまで、秒読みの状態だった。


 だが、今がチャンスだと思った。


 アンが立ち尽くしているこの隙に、逃げ出すしかない。

 僕は本能的に察した。


 抜けた腰を無理やり奮い立たせ。

 這うように、その場から歩き出した。



「イッショニ、アソンデヨ、ワタシト、アソンデヨ……」



 辛うじてランプは拾えたが、照らしている暇などない。

 一寸先も見えない暗闇の道を、がむしゃらに駆けた。

 

 不意に、夫人の日記が脳裏を過る。


 日記に書いてあった“アンが行きたがらないという場所”。

 そこへ逃げ込もうと思った。


 ◆


 ・旦那様の部屋へ行く―――4日目~3へと続きます。


 ・調理場へ行く―――4日目~4へと続きます。


 ◆




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