4日目~1
目を覚まし、欠伸をしながら僕は両手を頭上へ伸ばした。
ふと隣を見ると、アンが寄り添うように眠っていた。
その寝顔に、僕は思わず苦笑する。
「ん……オットー……?」
「あ、起こしちゃったかな。おはよう」
アンも瞼を擦りながら身を起こす。
小さな欠伸を漏らし、それから「おはよう」とはにかんだ。
「今日で四日目か……」
ヨハンネスが迎えに来てくれるまで、あと二日。
もしそれまでにエーデルヴァイス夫人の絵が完成しなかったら、どうなるのだろう。
せっかくの画材一式は、没収されてしまうのか。
――いや、それより。
二日後には、やはりアンと別れることになるのだろうか。
そんなことを考え、胸の奥が重くなる。
「どうしたの? もしかして屋敷に入るのが怖い?」
心配そうに覗き込んでくるアンに、僕は首を振った。
「そんなことないよ。探す場所も、あと二か所だけだなって思って」
「……そうだね」
アンが小さく頷く。
探索場所は、残すところあと二か所。
二階の奥、左右に分かれた通路だ。
まだ夫人や旦那様の部屋を見つけていない以上、そのどちらかに二人の部屋があると思われる。
二人の部屋のどちらかに、夫人の肖像画があるかもしれない。
僕はアンの手を引き、アンはランプに火を灯す。
そして僕たちは、屋敷の中へと入っていった。
――これが、僕の運命を大きく変える日になるとは知らずに。
……モット、イッショニ……。
四日目ともなると足取りも軽く、あっという間に二階へ辿り着いた。
奥の右と左、どちらへ進むか迷っていると、アンが右側を指差した。
「こっちがいい」
「わかった」
言われるまま右の通路へ進む。
突き当たりには、扉が一つだけあった。
慎重に開けると、そこはどうやら夫人の寝室らしい。
他の部屋と同じく古びた空気が漂っている。
が、整えられたままの大きなベッド、繊細な装飾の椅子と机、床に敷かれた上質そうな絨毯――。
如何にも身分の高さを示す部屋だった。
そのせいか、不思議と恐怖は感じなかった。
「あ、これってもしかして……!」
壁に掛けられた絵に、僕は気付いた。
風景画に紛れて、一際目立つ肖像画。
色褪せてはいるが、金の豪奢な額縁に収められた女性の絵だ。
「これが……エーデルヴァイス夫人……」
三十代ほどだろうか。
結い上げたブロンズ色の髪、透き通るような肌の色つや、大きな青い瞳。
大人にも若くも見える、美しい顔立ちだった。
――だが。
どこか悲しげで、感情の読めない表情をしている。
「確かに笑ってない」
氷点下に咲く薔薇のような、まさに“冷血女”を思わせる肖像画。
こんな女性をどう笑顔に描けばいいのか……。
僕は思わず唸った。
「ほ、他に……夫人の絵ってないのかな」
本棚や衣装箪笥も調べてみたが、
他には肖像画どころか私物すら見当たらない。
自然と溜め息が漏れた。
――そのとき。
アンが、ずっと黙ったままだと気づいた。
「どうしたの、アン。疲れちゃった?」
ランプを持ったまま動かないアンは、静かに首を振る。
「ううん……すこしだけ、さびしいなって……」
「寂しい?」
俯いたまま、彼女はぽつりと言った。
「だって……この絵を描き終えたら、オットーとお別れしちゃうもの」
本当に寂しそうな顔だった。
僕だって、本当は。
友だちになれた彼女と、離れたくない。
もっと一緒にいたい――そんな思いが胸に満ちる。
「そんなことないよ。絶対また遊びに来るし、町に行けばいつでも会えるし……」
口にしてから思う。
ここは町まで片道六時間以上かかる場所だ。
簡単に来られる距離じゃない。
――そのとき、ひとつ案が浮かんだ。
「あ、そうだ。アンも町に移り住めばいいんだよ」
さすがに一緒に暮らすのは躊躇われる。
だが彼女が望むなら、力になりたい。
彼女の選択を、手助けしたい。
そう言うと、アンの唇が一瞬だけ震えた。
けれどすぐ、嬉しそうに微笑んだ。
「ほんとう? ありがとう……」
僕も笑顔を返す。
「どういたしまして――」
カツン。
つま先に何かが当たった。
ベッドの下だ。
覗き込むと、シーツに隠れるようにトランクケースが置かれていた。
「アン、ちょっと待ってて……何か入ってるみたいだ」
引き出したそれは、頑丈そうな革製のものだった。
鍵は付いていたが、施錠はされていない。
僕はゆっくりとそれを開く。
中にあったのは――一冊の本だ。
あからさまに置かれたその本に、触れるだけで嫌な予感がした。
だが、ここで見なければ、もう何も分からない。
警告と使命感の狭間で揺れながら、僕は破らぬよう慎重にページをめくる。
どうやら日記らしい。
そして書いたのは――おそらく、夫人だ。




