3日目~3
手前右側の通路を調べ終える頃には、時刻は夕方近くになっていた。
これ以上続ければ日が暮れると判断し、今日は屋敷を出ることにする。
未だ夫人の肖像画を見つけられていないことに、わずかな焦りを覚えながら。
僕とアンは再び、螺旋階段から一階へ降りようとした。
――そのときだった。
「ちょっと待って」
ある違和感に気付き、僕は足を止める。
手を繋いでいたアンも慌てて立ち止まり、僕を見た。
「どうしたの?」
そこは、一日目の最初に見つけた――夫人の旦那様だと思われる人物の肖像画の、ちょうど前だった。
「よく見ると、下のほうが少し浮いてるみたいなんだ」
遠目で見ていたときは気付かなかったが、壁際まで近寄って確認すると、絵の裏に僅かな隙間が出来ていた。
どうやら何かが挟まっていたらしい。
しっかり糊で貼り付けられていたそれは、古びた封筒だった。
「なんでこんなものが……?」
アンも驚いた様子で、ランプをより一層近付けて照らす。
「もしかして、夫人の手紙……だったりするかな」
――出来ることなら、この中に夫人の似顔絵が入っていて欲しい。
そんな願いを込めながら、僕は慎重に封を開けた。
だが、その手紙は夫人のものでも、夫人へ宛てたものでもなかった。
◆
『初めに、この手紙を見つけた貴方へ。
もし貴方が、この屋敷に仕えることになった方なら――今すぐここを去ることをおすすめします。
突飛に思えるでしょう。ですが、これは本当の忠告です。
これから書く内容も、すべて事実なのです。
どうか驚かず、笑わず。
最後まで読んでくださることを願います。
私はエーデルヴァイス夫人の屋敷に仕えていた侍女の一人です。
私は生まれつき人一倍霊感が強く、この屋敷に来た日からずっと、嫌な気配を感じていました。
そしてあるとき――はっきりと見てしまったのです。
十歳ほどの少女の霊を。
夜になると彼女は、屋敷中を走り回り、跳び回り、無邪気に騒ぎ立てていました。
私はすぐ、そのことをエーデルヴァイス夫人に報告しました。
すると驚くことに、夫人もその少女を知っており、しかも会話までしているというのです。
どうやら夫人も霊感が強く、そのせいでこれまで多くの辛い経験をしてきたそうでした。
夫人によれば、少女は“決まりごと”さえ守れば害はないのだそうです。
その決まりごと、というのは――。
1.食堂のテーブルには常に、通常以上に甘いお菓子を置くこと。
2.ぬいぐるみや人形は彼女の友達だから、勝手に動かさないこと。
3.夜は彼女が唯一屋敷の外で遊べる時間なので、絶対に邪魔しないこと。
4.絶対に名前で呼ばないこと。___ではなく、___と呼ぶこと。
まるで子どものわがままのような決まりごとでした。
ですが夫人は、それらをすべて守っていました。
これは私の推測ですが、子どものいない夫人にとって少女の霊は、我が子のような存在になってしまったのでしょう。
従者たちに嫌われ、孤独だった夫人にとって、唯一の拠り所だったのかもしれません。
ですが――それが大きな間違いだったのです。
この時点で夫人は、既に霊に魅入られていたのでしょう。
一日中部屋に閉じこもって絵を描き、人形で遊び、食事は取らず菓子ばかりを貪り、夜は延々と独り言を続ける。
そんな生活のせいで、夫人は見る影もなく窶れていきました。
――にもかかわらず。
私を含め、屋敷の誰一人として、それに気付けなかったのです。
このままでは夫人は命を落としてしまう。
そう思った私は、少女の幽霊について密かに調べ始めました。
そしてついに、彼女の正体を知ったのです。
この屋敷はかつてホテルとして経営されており、そのオーナー夫婦には一人娘がいました。
ですが、その子は事故で亡くなり、ホテルもやがて倒産したそうです。
少女の両親のその後は分かりません。
ただ、その霊こそが――おそらくその娘だと思われます。
なぜ少女の霊が今も屋敷に憑りついているのか。
彼女を除霊は出来ないのか。
その可能性を探っていた矢先。
夫人は突然、私に暇を与えました。
どうやら調査のため、少女の私物を持ち出したことで、私は少女の霊に嫌われてしまったらしいのです。
『今はなんとか宥めているが、いつ怒るか分からない。彼女が貴方を襲う前に、この屋敷から逃げなさい』
夫人はそう言いました。
そこで私はようやく知ったのです。
夫人が危険を承知で、自らを犠牲にして霊を抑えていたことを。
夫人は従者たちに“決まりごと”を守らせるため、自分が嫌われ者になる覚悟で厳しく振る舞い。
その裏ではずっと少女の相手をしていたのです。
少女に憑かれ、この屋敷から離れられなくなった夫人には、もうそれ以外の方法が思いつかなかったのでしょう。
この事実を知ってしまった以上、私はもう何も出来ません。
夫人のご厚意を無駄にしないため、屋敷を去るしかありませんでした。
けれども――せめて最後に。
霊に襲われる覚悟で、この手紙を残します。
急ぎだったため、こんな場所にしか隠せなかったこと、どうかお許しください。
私はどうしても、この屋敷に巣食う幽霊から、夫人を救い出したいのです。
夫人は確かに冷たく厳しい方でした。
ですが天涯孤独な私にとっては、母のような方だったのです。
ですからどうか、この事実を知った貴方へ、身勝手ながらお願いします。
他の者たちに伝え、今すぐに屋敷から逃げてください。
そして――出来ることなら。
夫人を、救ってください。お願いします。』
◆
手紙はそこで終わっていた。
僕は静かに息を呑む。
周囲は静寂に包まれ、揺れるランプの金属音だけが、空虚に響いていた。




