3日目~1
「ハッ……クション!!」
僕はくしゃみをして目を覚ました。
やけに体が重く、風邪を引いたときのような虚脱感に襲われる。
実際に風邪を引いたわけではない。凍えるように震える原因は、昨夜の野宿だ。
用意されていたテントは一人分の広さしかなく、そのため僕は中をアンに譲ったのだった。
「おはよう、オットー……風邪、引いてない?」
ちょうどテントからアンが顔を出す。
心配そうに見つめてくる彼女に、僕は肩を竦めて答えた。
「大丈夫。僕の家ってすきま風だらけでさ。毎日が野宿みたいなものだから、これくらい慣れっこだよ」
鼻の下を指でこすりながら笑うと、アンは苦笑して「そうなのね」と返した。
朝食を終えた僕とアンは、早速この日の屋敷探索を始めることにした。
今日は二階を調べる。
これまでより大変になるだろうが、それ以上に、どうしても嫌な予感が拭えない。
僕の思い過ごしであればいいのだが……。
「気をつけて行こう。二階は一階より不気味な感じがするから……」
屋敷の中は相変わらず暗闇に包まれている。
外が濃霧のせいか、入口の奥は、より一層不気味さが増して見えた。
僕たちは玄関ホールにある、二階へ続く螺旋階段を上っていく。
一段一段踏む度、階段はギシギシと、不協和音のような嫌な音を立てた。
「……床板が抜けたら危ないし、念のため手を繋いでいこうか」
そう言って差し出した僕の手を、アンは迷わず強く握り返す。
相変わらず彼女の手は、あの湖のように、とてつもなく冷たい。
思い出したように悪寒が走ったが、僕は振り払うように、その手をしっかり握り返した。
そうして僕たちは、二階へ辿り着く。
「二階も一階と同じ造りみたいだね。左右と奥に通路がある」
――いや、それだけじゃない。
奥の通路は正面から見て左右に二本。
つまり、通路は全部で四つあった。
……さて、どこから調べるべきか。
「まずはね、手前左右の通路を調べた方がいいと思う」
迷う僕に、アンはランプを指差し代わりにして道を示す。
否定する理由も特にない。僕は頷き、手前左の通路へ進んだ。
手前左の通路には、一階と同じように扉が並んでいた。
ただし違うのは、それぞれに数字入りの金属プレートが打ち付けられていることだ。
「……ホテルの名残かな。もしかしたら、このプレートで夫人に仕えていた人たちの部屋を割り振ってたのかも」
そう言いながら、僕は一つの扉を開けた。
中の方も一階とほぼ同じ構造で、埃の積もり具合も似たようなものだ。
だが床板はそれほど腐っておらず、カビ臭さも弱い。
――これなら奥まで調べられそうだ。
張り巡らされた蜘蛛の巣に気をつけながら、僕は夫人の手掛かりを探す。
ベッドの下や隙間。窓際のタンスの中も探した。
「……あっ、これ!!」
すると、とある部屋で、一冊の書物を見つけた。
タンスの奥に押し込まれていたそれは、おそらく誰かの日記と思われた。
色褪せて読めない箇所も多いが、判別できる部分を拾い読みしてみる。
◆
『 ○月×日
快晴。
夫人の機嫌はいつも通りすこぶる悪い。
だから、いつも通り焼き菓子を食堂に用意する。
反吐が出るほど甘くしなきゃいけないから、本当に苦労する』
『 △月□日
雨。
夫人の機嫌は良いらしい。
こういう日は焼き菓子を用意し忘れても怒られないし、置物をずらしてしまっても叱られないから助かる。
でも、夜の外出だけは絶対に許さないって、相変わらず口うるさい。
もううんざり』
◆
そこにはエーデルヴァイス夫人のことが書かれていた。
これで、彼女がどんな人物だったのか分かるかもしれない――そんな期待と、言いようのない不安が胸を騒がせる。
「……でも、この書き方だと、夫人ってわがままな人だったのかな……」
……いや。書いた人が、そう感じていただけかもしれない。
僕は更にページをめくる。
読み進めるうちに、これは日記というより、夫人への愚痴の書き溜めに近いものだと分かった。
◆
『 □月〇日
晴れのち曇り。
夫人の機嫌は悪い。
いい年のせいか、最近は可笑しなことばかりする。
いつものように部屋にこもって絵を描いたと思えば、カーテンは開けるなと子どものように暴れ出す。
水は飲みたくないからホットココアを淹れろとも、怒鳴っていた。
年寄りってあんな感じなのかしら』
『 ×月△日
雨。
夫人は今日も可笑しい。
今日はいつも以上に変だった。
お菓子もココアもいらないと、何も口にしない。
かと思いきや、あんなに高そうなアクセサリーや宝石を突然、窓から全部投げ捨てた。
そのせいで下にいた庭師が怪我をして、病院に行ったと聞いた。
しかも自分で捨てたくせに“ちゃんと後始末しなさい”と怒鳴る。
本当に、何も考えない気まぐれ老婆はこれだから困る。
ああ酷い。酷い。
また一人、夜逃げ確定だ』
『 △月〇日
雨。
夫人は……突然息を引き取った。
事故でも病気でもない。とても健康だったはずなのに。
最期に、夫人はまた可笑しなことを言っていた。
“貴方たちは早く私から逃げなさい”と。
それも鬼気迫る顔で。
世迷い言にしては、あまりにも不気味だった』
◆
日記はそこで途切れていた。
以降のページは、すべて白紙だ。
「……夫人に、何があったんだろう……?」
俯いていたアンのランプが、わずかに揺れる。
一瞬、何か言いかけたようだった。
だが彼女はすぐ口を閉ざし、それ以上は何も語らなかった。




