CASE3 鏡の中
都市伝説
実際にあったか真偽不明なものが多い。噂話や怪談話など人から人へ伝播する。SNSの普及などにより爆発的に広がりやすくなった。学校の怪談などもコレにあたる。
「私、キレイ?」
夜道を歩いていると街頭下に一人の女がいた。
冬場のコートを見に纏い、口元はマスクで隠れてわからない。
大きい二重で吸い込まれそうなほど黒い瞳。
綺麗かと問われればもちろん綺麗だ。
「はい。キレイですよ?」
「ふふふ…」
女は少しだけ笑うとマスクに手をかける
「これでも?キレイ?」
マスクを外して露わになった口元は、耳元まで大きく裂けており歯は鋭利に尖っていた。
「うわぁぁ!」
思わず走り出すと女が笑いながら追ってくる。
「嘘をついたのね!ひどい!キレイだと言ってよ!」
女の手には裁ち鋏らしきものが光っている
「キレイなんでしょ!?同じにしてあげる!」
冗談じゃない!殺される!
「きゃーっはははははは!」
笑いながら追いかけてくる女はとんでもない速さだ。陸上部で鍛えていたはずなのに難なく追いつかれてしまった。
「これが、都市伝説で有名だった口裂け女ですね」
スタジオに場面が転換するとMCの人気芸人やゲストたちが口々に意見を述べる。
「社会現象にもなり、一時期は小学生の登下校などにも影響があったそうですよ」
「一説によれば、インターネットなどのなかった時代に伝聞でどこまで噂が広がるかという実験だったという話もあります」
夏の夜の怪談番組。都市伝説や怪談などをお披露目し涼しくなってもらう算段だろう。
最近ではAIなどが普及し、フェイク動画や合成画像など気軽に作れるようになった。
視聴者投稿と言われている動画などもどうみても胡散臭い。
「昔の番組はもう少し怖かったのよ?」
一緒にテレビを見ていたお母さんが横から入ってくる。
「そうなの?こんなの子供騙しじゃん」
「スタジオに置いてあった呪いの人形が動いたりとか、掛け軸が瞬きしたりとか、本当に何か起きたりしてたんだから」
「編集でいくらでも作れるんじゃない?」
「当時はそんなこと考えなかったなぁ。もっと素直に受け取って面白がった方が得よ?」
お母さんは昔からオカルトやホラーなどが好きでこう言った番組は録画してでも見るほどだ。
「続いてはアメリカで発見されたUFOに関する説です」
「あ、もういいわ」
番組を見るのをやめて夕飯の片付けに戻って行った。UFOはいいのか…
「ほら、あんたもそろそろ宿題とか色々やっちゃいなさいよ?」
「はーい」
勉強のためテレビを消して自室に戻る。
今年は高校受験の年だ。あまり遊んでばかりもいられない。学校からの宿題は特に出ていないが、塾の宿題に手をかける。
お世辞にも頭がいいわけでもないし、飛び抜けた特技もない。将来は美容系の専門学校進んで、美容師やネイルアーティストなどになろうとただ漠然と将来を考えている。
もし、気が変わった時に大変だから高校はそれなりの普通科に進んでもう三年間は考える時間を作りなさいと両親は言った。
確固たる決意で決めた将来ではないので、ひとまずそれには賛成だった。
塾に通うようになるまでは。
学校が終わっても勉強勉強で正直なところ嫌になってきてる。それでも自分のためにと頑張っている両親には応えなければならない。長い人生で頑張るのなんて一瞬だ。自分に言い聞かせて今日も机に向かう。
かち かち かち かち
時計の秒針が一定のリズムを刻む。
あれからどれほど時間が経っただろうか。一人机に向かい、かなり集中していたようだ。
紙をつかむ手から油分がなくなったことに気がつきハンドクリームを塗る。乾燥がひどいなぁ
隣の部屋でゲームをしていたのであろう弟の絶叫がいつの間にか聞こえなくなった。
オンラインゲームが普及して小学生の弟も例に漏れず楽しんでいる。悪意あるユーザーに心無い言葉をかけられて悔しがったりするとコントローラを投げつけたりと癇癪を起こしてしまうのだ。楽しむためにやってるはずが…もったいないなと思う。
ここしばらく私は、楽しむことをしていない。
もっと美容関係の勉強もしたいし、オシャレな友達とインスタ映えするようなスイーツも食べに行きたい。少し休憩しよう。
寝静まったであろう家族を起こさぬようにドアを開け、静まり返った廊下に出る。キッチンへ行き何か食べ物はないかと冷蔵庫を探す。
プリンを見つけた。こんな時には甘いものがあると助かる。迷わず手に取り口いっぱいに頬張った。空腹と背徳感はいつも以上にプリンの味を引き上げる。
「美味し!」
思わず声が出てしまった。危ない危ない。こんな時間に夜食をしていると見つかったら面倒だ。
せっかくのプリンだったがゆっくりもしていられない。名残惜しいが早めに食べ終えてゴミは自室へ持ち帰る。
もう少しだけ頑張ろう。再度机に向かい作業を再開した。
「行ってきまーす」
「行ってらっしゃい。車と変な人に気をつけてね」
いつものように学校に向かう。
40歳を超えて自分磨きに余念がないお母さんは自慢の存在だ。美容関係の仕事を目指しているのはお母さんの影響によるところが大きい。綺麗なメイクにヘアセット、目を引くネイルも素敵だ。
お父さんはそんなお母さんをどう思っているのだろうか。
たまに私たち姉弟を置いて二人で出かけるくらいだし、少なくとも私から見る限りでは円満に見える。
「げっ!」
校門前に生活指導の体育教師が立っている。いつもスカートが短いだの、髪色が明るすぎるだの言われお説教をされてしまう。
空手か柔道かの有段者でガッチリとした体格。キッチリとオールバックに決めた髪型。ゴリと生徒に呼ばれる典型的な体育教師だ。
少し手前の路地に入り込み、折り込んで短くしていたスカートの丈を戻す。髪色はこの際仕方ないそのまま行くしか無い。
「「おはよーございまーす」」
複数人の生徒がその横を通り過ぎている。
「おう、おはよー」
体育教師が返す。このまま何事もなく自分も通り過ぎられればよいが…
「はよーざいまーす」
何食わぬ顔で横を通り過ぎようと試みた。が、ダメ。
「む?まだ髪色戻してなかったのか?」
捕まった。めんどくさいなぁ。
「さーせーん」
心のこもらない言葉だけの謝罪。
「んむぅ…まぁいい。最近不審者の情報が多いからな、あまり派手なことをするなよ?」
不審者?なんのことだろう。そう言えば朝お母さんもそんなこと言ってたような。あとで友達に聞いて探りを入れてみよう。
「スカートは戻ってるようだな。これからもその調子で頼むぞ?」
「うっせ!足ばっか見てんなよ!ロリコン教師!」
笑いながら横を抜けていく。指導される機会も多かったため軽口を叩くくらいは日常茶飯事になっていた。
「あのなぁ…」
体育教師はゲンナリするとシッシと左手を振る。べーっと舌を出し教室へ向かう。
「3組の子が見たらしいよ?例の…」
「え?じゃぁ何かされたのかな」
階段を登っていくと噂話が聞こえてくる。どうやら先ほど聞いた不審者のことを話しているようだ。
面識のない下級生にずけずけと聞くわけにもいかずひとまず教室に行くことにした。
「はよー」
「あ、おはよー。お?スカート戻してんだ?」
「ゴリが校門にいたからさー」
教室に着くなりスカートの丈を短く戻していく
「なにー?なんか不審者でてんの?」
それとなく聞いてみる
「らしーよ。なんか、私きれい?とか聞いてくんだって」
「やば!昨日テレビで見た!口裂け女じゃん」
「なにそれ?」
「きれいって答えると同じ顔にしてやるーって鋏もって追っかけてくるんだって」
「えー?じゃあきれいじゃないって答えたら?」
「さぁ?普通にやられんじゃね?」
「逃げようないじゃん」
「なんかポマードが苦手らしいよ」
「は?つかわねーし」
「それな。持ち歩かねーっつの」
げらげら笑いながら話題の不審者について議論を交わす。
「でも、実際に見たって子いるみたいだよ??さっき階段でちょろっと聞いたわ」
「マジで?どうなったんだろ?」
「凸ってみる?」
「いいね!」
友人はにやりと笑う。
チャイムが鳴り、ホームルームが始まる。
「えー、皆さんの中でも噂になっていると思いますが、最近不審者の目撃が相次いでいます。怪しいと思ったら決して近づかず、逃げるなど自身を守る行動をとってください」
ここでもその話か。
「1年生の男子生徒が目撃したと証言しています。警察と連携し、パトロール強化を行っていますが未だ発見逮捕などには至っていません。くれぐれも慎重に行動するように」
「せんせー。その目撃者って何組ですか?」
「そんなこと聞いてどうするつもりだ?聞いたところで今は事情聴取とかで学校来てないぞ」
警察が動くほどの事態なのか。テレビ番組なんかじゃないリアルな世界に訪れた異変にソワソワする。昨日見たテレビを思い出しているとその日の授業に身が入るわけがなかった。
下校のチャイムが鳴る。下級生は部活に向かっていくが、引退試合を終えた私たちは勉強のためそれぞれ塾や家に向かう。
帰る前に汗で落ちたメイクを直そうとトイレの鏡に向かう。
映し出される自分は理想通り可愛い。願わくばもう少し目力が欲しいがカラコンやメイクでどうとでもなる。流石に学校にはつけてこられないが…お母さんだったら気にせず着けそうな気もする。少しおかしくて笑ってしまう。
下校時間でもまだまだ明るく、じめっとした暑さがまとわりつく。夕飯に備えているのであろう美味しそうな匂いが漂っている。
今日は塾の日である、苦手な理数系の授業の日だが、不審者に対する好奇心でちょっと夜に出歩けることが嬉しい。
一度家に帰り塾用のカバンを持ち制服のまますぐに出かけた。弟は今日もゲームに興じているようで部屋の前を通ると絶叫が聞こえてきた。楽しそうでなによりだ。
行ってきます。と念のため声に出してみるが返答はなかった。よほど熱狂しているのだろう。
早めに塾に着いたので、自習しながら授業を待つ。
授業前にトイレを済ませてしまおうと席をたった。
最近鏡を見る回数が増えてきた。
理想の自分になりたい。もっと綺麗になりたい。そう思うのに、鏡に映る自分の欠点ばかりが気になる。
目元がくすんで見える。いつもと違う照明のせいかな?いや、このままじゃいけない。もっと美容に力を入れなきゃ!夜中にプリンなんて食べてる場合じゃない。最近運動もできていないし、食生活も見直さないとね。そう自分に言い聞かせ鏡を後にした。
授業が終盤に差し掛かり質疑応答の時間が設けられる。分からないことがあるのは分かっているけど、何が分からないのか分からない。困ったものだ。質問の仕方さえ分からない。
このまま課題を持ち帰ったところで進まないことは目に見えている。意を決してそのまま聞いてみた。
「せんせー。どこから質問していいか正直わかんないんだけどさー」
懇切丁寧に教えてくれた。分かってみれば至極簡単なことだった。なるほど、勉強って楽しいのかもしれない。
先生は、根気よく質問に付き合ってくれて、あっという間に時間が過ぎてしまった。
時計の針は11時を指そうとしている。
「もうこれで完璧だわ!せんせーありがと!」
「よし!あとは家に帰って課題をやれば確実に身につくはずだ!努力は絶対に裏切らないからな!」
劣等生だと思っていた生徒がキチンと質問をしてきて嬉しかったのか先生が暑苦しい感じになってる。一瞬ゴリの顔が頭に浮かんだ。なんで?
「じゃぁもう今日は遅いからな、送って行こうか?」
「えー?いいよ、家すぐそこだし」
「最近この辺り不審者出るんだろ?危なくないか?」
「だーいじょーぶ!ありがとね!」
「気をつけて帰るんだぞー?」
「はーーい」
塾を後にした私は、わざと遠回りして不審者を探してやろうと思っていた。あわよくば見つけて学校で話せば一躍人気者になれるだろうという浅はかな考えだった。
いつもの道とは違う、人通りの少ない道をわざと選んで帰る。昼間はまばらなりとも人通りがあるが、この時間になると住宅街は人気がない。
警察が手を焼いているような不審者を簡単に見つけられるわけもなくただただ時間だけが過ぎていく。遠回りにも限界がありそろそろ家に向かって歩き出さなきゃいけなくなってきた。
帰って課題を片付けよう。せっかく教わったのに忘れてしまっては元も子もない。
仕方なく家に向かって歩き始める。途中通りがかった公園にある時計を見るともう12時近い、1時間近くも歩き回っていたようだ。
「うー。調子乗ったなー。家帰るのだるい・・・」
意気揚々と歩いていた時とは違い足取りが重い、帰ったら課題もやらなきゃいけないし、あまりにも遅くなりすぎて両親に何と言われるか。
とぼとぼと歩いていると少し先の街灯の下に白く細長い人影のようなものが見えた。
「え?」
20-30メートルほどは離れているだろうか、視力には自信がある。人間であることは間違いなさそうだ。ふいに足が止まる。探してやろうと思っていた自分はどこへやら、実際に人影を見ると全身の毛穴が開いたように寒気が襲ってくる。
人影はゆらゆらと揺れていて、街灯にぶつかるような素振りも見て取れる。腕時計だろうか、時折手元あたりからキラキラと光が反射している。
あ、携帯で撮影を…スマホを取り出し最大限ズームをする。後ろ姿?
思った刹那、人影は私とは逆方向へ弾かれたように消えてしまった。シャッターを切る隙すら与えてくれなかった。異形のものを目にした寒気は消え、代わりに好奇心が湧き上がってくる。
「なにいまの!」
追いかけなきゃ!でも、足が震えてその場から動けない。体がそちらの方向へ進むことを拒否しているようだ。
「きみ!こんな時間になにしてるんだ?」
背後から声を掛けられる。振り向くと制服姿の警察官が立っていた。
「やば…」
制服姿、深夜零時これは確実に補導されるやつだ。
「あー、塾からの帰りでして…」
「こんな時間まで?どこの塾だ」
「○○町の進学塾で」
「随分遠いところまで通ってるみたいだね。1時間はかかるぞ?」
「えぇまぁ・・・あはは」
乾いた笑いでごまかすしかない。
「この付近には最近不審者が出るんだ。学校でも注意されていないかい?」
「なんかホームルームで話してたと思います」
「じゃぁなおさら、こんな時間まで外出していたら危ないってわかるよね?今日は厳重注意で済ませるから、家まで送るよ」
よかった。補導なんてされたら受験に響きかねない、深夜の冒険は今日限りでおしまいにしないといけないな。
「家はどこ?」
「○○町」
「ええ?塾も○○町だったよね?全然方向が違うじゃないか!家出か?」
まずった。簡単に帰してもらえないかもしれない。
「違います!遅くなったのは先生にいろいろ質問していたからで、ちょっと散歩がてら歩いていたらなんとなくそこの公園が気になって!静かそうで、少し考え事しようかと」
「とりあえず、親御さんに連絡するから、近くの交番まで来てくれるか?」
「あ、親に連絡は…」
どうしよう、このままでは親に連絡されてめちゃくそ怒られる。
ピピーガガッ
「本部より警らへ、△町にて、男性の悲鳴と通報、現場付近の警察官は臨場されたし」
警察の胸についている無線機から声が聞こえる。△町、ここだ。
「すぐ近くだ!本官は臨場に向かう、△町公園付近にて、非行少女対応中、応援を求む」
非行少女・・・言葉にされると罪悪感がすごい。
「応援到着まで少女の対応を願う。到着次第現場へ急行せよ」
あわただしい無線のやり取りが続く、ほどなくして婦警さんが応援に来た。
「対応変わります。貴官は現場へ向かってください」
先ほどまで話をしていた男性警官はあの人影が向かったほうへ走り出す。
「あ…そっちは」
伝えようとしたが、さすが警察官あっという間に声の届かないところまで走って行ってしまった。
「さて、私たちは交番へ行きましょう」
警察官が変わったところで状況は全く改善していない。どうしよう。先のことを考えると不安で押しつぶされそうだった。パトカーの赤色灯が住宅街を照らす。深夜ということもありサイレンは鳴らさず次々とパトカーが増えていく。そのうちの一台が私たちの近くに停まった。
「玲子ちゃんお疲れー。何?その子が非行少女?」
チャラい感じでパトカーから一人の男が婦警さんに声をかける。
「あのねぇ。この状況でそんな声のかけ方しないでくれる?さっさと現場に行きなさい」
「それがさーめっちゃ応援来たみたいで俺いらなそうなんだよねー」
「計画性のない集合だわ…そしたら、ちょうどいい。この子家まで送ってあげなさい。どうせ暇なんでしょ?」
「暇ってのはひどいな。署員だっていろいろやることあんだよ?」
なんか話がトントン拍子に進んでいく。そして私はパトカーに乗ることになった。家まで
パトカーに乗ることなんて滅多にないことだ。これはこれで話のネタになるので良しとしよう。
問題はこの後すぐにやってくる。両親にどう話したものか。娘がパトカーに乗って深夜に帰ってくる。
これはもう絶対怒られるやつだ。どうしよう。
家の前についてパトカーから降ろされる。道中無線でのやり取りがいくつか聞こえたが、一般人に聞かせまいと途中で切られてしまった。事件の詳細はわからない。
「こんな時間まで塾で勉強?最近の受験生は大変だね」
「私はあまり頭がよくないので…いろいろ質問してたらすっかり遅くなってしまいました」
「ははは!まじめに勉強してるだけ偉い偉い!僕だって決して学校の成績はよくなかったよ」
「そうなんですか?」
「僕たちのころは勉強ができないなら警察官か自衛官って時代でね、体力には自信があったからそのまま警察学校に入学したんだ。その警察学校がつらいのなんのって」
随分とフランクに話す警察官だ。おかげでこちらの緊張も解けてくる。
「あ!そうだ!さっきの場所に変な人影が見えたんです」
緊張がほぐれたことで大事なことを思い出した。目撃情報は大事だろうと思い切って話を振る。
「人影?あんな時間に?」
「そうです。少し遠かったのではっきりとは見えませんでしたが、白っぽくて長身の人影でした。くねくねと動いていて…写真を撮ろうとしたらいつの間にか向こうのほうへ消えてしまっていて…」
「!?その話本当かい?」
「え?はい」
「不審者の目撃情報は君の見た人影と同じなんだ、みんな白い人影、長身、痩躯、ふらふらとたたずんでいて、すごい速さで消える。ほかに何か特徴はなかった?どんな小さなことでもいいんだ」
「えっと、多分後ろ姿だったので顔までは見えませんでした。それと…手元にキラキラ光るなにかがありました」
「そうか…ありがとう」
それだけ言うとあれほど気さくに話してくれた警官は押し黙ってしまった。
「ここが家で間違いないかな?」
「はい、そうです」
「不審者の情報はちゃんと学校から聞いているね?」
「はい」
「よかった。もし周知されていないならまたいろんな学校に指導するように連絡して回らなきゃだからね。でも、僕たちの仕事はなるべく増やさないようにしてくれるかな?」
「はい、ごめんなさい」
「最後にもう一度確認するけど、本当に家出とかじゃないのかい?家に帰りたくないとか、その…虐待があるとか相談しにくいこととか」
「全然そんなんじゃないです!ほんとに!」
家族をかばうあまり少々語気が強くなってしまった。これでは逆に怪しいだろうか。
「んー。。嘘をついているようには見えないんだよな」
警官は独り言をつぶやきながら何やら考え込んでいるようだ。
「僕はあんまり人の嘘を見抜いたりとか、何かを察したりっていうことが得意じゃないんだ。警官としては致命的なんだけど…もし本当に助けが必要だったら迷わず相談してほしい」
本当に心配してくれているのだろう。寂しいような、悲しいような目で語りかけてくる。
「余計な仕事が増えるのは御免だけど、助けを求める人を救うために僕は警察官になったんだ。だから、本当になにかあったらすぐに連絡してね」
「はい、ありがとうございます。今日は申し訳ありませんでした」
「うん、被害にあってからでは遅いからね。勉強も大切だけど自分の身は自分で守らないといけないからね、被害にあわないための防犯ってとっても大事なんだ」
キキーっと背後から音が聞こえた。
「あら?どうしたの?パトカー?」
振り向くとそこには自転車に乗った母がいた。ちょうど帰宅したところらしい。
「あんた…なんか悪さしてお世話になったの?」
母の口調が冷たい。やばい。これはやばい。
「お母さまですか?」
警官が割って入る。
「はい、そうです。娘が何か…」
「いえ、こんな時間まで塾でお勉強をしていたらしく、パトロール中の制服姿の女性が見えましたので家まで送り届けたんですよ」
「あら、そうなんですか?ご迷惑おかけして申し訳ありません」
「いえいえ、犯罪を未然に防ぐのも警察官の務めですから。お勉強もほどほどにね?」
パトカーの中での沈黙が嘘のように警官はよくしゃべる。
「しかし、お母さま、娘さんとそっくりですね?親子というより姉妹のようだ」
「あらやだ、お世辞なんか言っても何にも出ませんよ?」
「ははは、お世辞じゃないですよ。それでは、僕はこれで失礼します。くれぐれもご注意くださいね」
言い終えると警官はパトカーで去っていった。
「ごめんなさい」
怒られる前にとりあえず謝った。
「本当にお勉強していたの?」
「うん。わからないところがあって、でもそこがわかるようになって楽しくて…遅くなっちゃった」
「そう、それならいいわ。でも、今度から遅くなりすぎないようにね」
嘘は言っていないし、お母さんにも怒られなかったし、貴重な体験もできた。今日は上々の出来だ。
「ほら、ご近所迷惑になるから早く入るわよ」
玄関を開けお母さんが先導する。玄関には父が仁王立ちしていた。
「おかえり」
圧を感じる。父は滅多なことでは怒らない。でも今回は…かなりお冠のようだ。
「あら、ただいまあなた。そんなところでお出迎えなんてどうしたの?」
「どうしたのじゃないよ!こんな時間まで!心配してたんだぞ?」
お母さんはあっけらかんと答えるし、何なら笑ってる。一方お父さんは半ば涙目だ。
これ怒ってるんじゃなくてほんとに心配してたんだな。ほんとに仲のおよろしいことで…
「お風呂とか、準備してるから入っちゃいなさい。こんな時間だけど…晩御飯はどうする?」
お父さんは家事もできる。なんてよいお父さんなんだ。そういえば学校から帰って、何も食べてない空腹を思い出すと腹の虫がぐぅっと鳴いた。
「腹ペコそうじゃないか。今温めるから早く食べちゃいなさい」
「じゃぁお母さんは先にお風呂いただこうかしら」
そういうとお母さんは部屋に戻り入浴の準備に取り掛かったようだ、よっぽどお風呂に入りたかったのだろうすぐに出てきて浴室へ勢いよく入っていった。
「温めてる間に着替えちゃいなさい?制服汚すと洗濯大変だからね」
晩御飯の準備はおろか制服の洗濯の心配までしてくれる。もはや主夫だ。今日の出来事を両親に話すべきだろうか。余計な心配をかけたくはないし…なんとなく怒られる気がしたので黙っていた。
とりあえず今はご飯を頂こう。そして、お母さんが上がったらお風呂に入ろう。
トントントントントントントントン
浴室をノックする音がする。随分と多く叩くじゃない?返事をしないでいると脱衣所に誰かが入ってきた。
洗面台があるのでおそらく手を洗ったり歯を磨いたりしているのだろう。それにしては静かだな。水の流れる音も聞こえない。ぽちゃんと天井から水滴が落ちてくる。
湯船につかり、一日の疲れが溶かされていく。今日もよく頑張った。疲れからかむくみが気になる。
暑い時期に熱い湯につかりデトックスする。これも美容には大事なことだ。
お風呂上りにはパックをして保湿して、髪の手入れもしないと。まだまだ私は美しくないといけない。
お風呂を終えて寝室に戻ると今日の出来事がフラッシュバックしてくる。学校での不審者の話、実際に見た不審者、パトカーの中での警官との会話。全てが新鮮で心臓の鼓動が思い出すだけで早くなる。明日みんなに話してみよう。信じてもらえないかもだけど。
眠りにつく頃にはもう3時を回っていた。
「行ってきます」
お父さんが家を出る。昨夜遅くまで食器の片付けなどをしてくれていたのに誰よりも早く家を出て仕事に向かう。寝ぼけ眼で行ってらっしゃいと見送る。まったくもって頭が上がらない。
「昨日はどんなところを勉強したの?」
朝食を食べているとお母さんが笑顔で話しかけてくる。
「数学の問題で、どうしても分からないところがあってね」
「理数系苦手なのね。ほんとあんたはお母さんによく似てるわ」
笑顔で話しかけてくるが何か違和感がある。目の奥が笑っていない?
「いーい?もうあんなに遅くなったらダメよ?せっかくスマホも持たせているんだから、遅くなるならせめて連絡しなさいな」
やはり昨夜のことを怒っているのだろうか…
「はーい。気をつけまーす」
トーストに塗られたジャムがいつもより赤く感じる。思っているより昨晩は怖い思いをしたのだろう。
弟はというと、今日は学校の創立記念日で休みらしくまだ起きてこない。昨晩の騒動の中でも起きてこなかったし惰眠を貪るつもりだろう。羨ましい。
朝食を終え洗面台へ向かう。あれ?ずいぶん散らかってるな。あっちこっちに化粧品が散らばっている。昨日お風呂上がりにメイクを落としてちゃんと片付けたはずなんだけど。
歯を磨きながら洗面台を片付け、顔を洗い、入念な保湿、昨日ゴリには指摘されなかったがメイクは薄めにしよう。頭がプリンになってきているのが少し気になる。また染め直さないとなぁ。髪型を整え鏡を見る。
よし!今日もかわいい!
気になるところは多少あるが、今日できる精一杯をすることが大事だ。今度の週末にでも染め直そう。
「行ってきまーす」
元気良く玄関を開けて学校へ向かう。横断歩道に差し掛かると警官が立っている。手には横断中の黄色い旗、なるほど学童養護員いわゆる緑のおばさんとして立っているのか。
でも、小学校は休校のはずなのにな。
よく見ると昨日玲子と呼ばれていた女性警官だ。
「あら、おはよう」
向こうも気がついたらしく挨拶をしてくれる。
「おはようございます」
「昨日はよく眠れたかしら?」
「えっと…はい。大丈夫です」
「そう。よかった。昨日の今日ですからね。気をつけて」
「はい。お疲れ様です」
なんと返事をしたものか分からず、とりあえずその場をやり過ごした。ずいぶん疲れた顔をしていたな。警察官って大変な仕事なんだな。
警察の手を煩わせてしまった罪悪感が胸にざわつきを広げる。
学校に着くなり教室に入り昨日の出来事を友人に話す。
塾の帰りに不審者らしき人物を見たこと、異様な容姿、速さ、そしてパトカーに乗ったこと。
「あんた…ずいぶん楽しそうに話してるけど、危なかったんじゃないの?」
「あーね。とりま生きてるし?おもれー体験だったわ」
恐怖心を隠すように努めて明るく話す。
「おーい。今日は緊急の全校集会だから体育館集合だ」
担任が顔を出して告げる。体育館かぁめんどくさいなー。暑いし人いっぱいいるから気持ち悪くなるんだよね。教室の生徒が渋々体育館へと向かって行く。
「なんでいきなり…」
「暑いんだよなぁ」
口々に不満を漏らしながらも全生徒が体育館へ集まった。キーーーン!とマイクのハウリングが響く校長がいつのまにか登壇している。
「皆さん。おはようございます」
「…ざーす」
生徒たちも返す。全国の校長先生に言えることだが基本的に話が長いのだ。この暑い中ずーっと立たされて眠くなるような話を延々と聞く方の身にもなってほしい。
「昨晩、また不審者が出たとの情報がありました。△町です」
びくりと体が反応する。やっぱり昨日のアレはそうだったんだ。
「見回りをしていた警察官の方と協力していた我が校の剛田先生が被害に遭われました」
剛田?ゴリが?
「今は病院で治療を受けていますが、重傷です。皆さんに危険を知って欲しくて敢えてお話しします」
え?え?ちょっと待って?昨日あの街灯の先にゴリがいたの?ってかなんかの有段者とか自慢げに話してたのに?負けちゃったの?
「剛田先生は腹部及び顔面を刃物のようなもので切り付けられました。幸い命に別状はありませんが、入院しています。いいですか?大人の男性でもこのような被害が出ているんです。皆さんは絶対に夜道を出歩かないようにしてください!」
校長の強い口調とは裏腹に声は震えていた。
突然の報告と昨日の記憶、体育館の暑さにやられて目の前がぐるぐると回りだす。
「ちょっ…大丈夫?」
肩を友人に支えられてなんとか立っているが次第に目の前が暗くなる。
気がつくと私は保健室のベッドの上だった。
「あら?気がついた?」
養護教諭がカーテンを開けて様子見に来る。
「気分はどう?」
最悪だ。全部がぐちゃぐちゃで収拾がつかない。頭の中がいっぱいで言葉に詰まる。
「まだ辛そうね。もう少し休む?それともお家の方に連絡してお迎えに来てもらったほうがいい?」
「いえ、大丈夫です。少しだけ休ませてください」
「そう?無理そうなら言ってね?それと、昨晩は夜更かししたかしら?目の下のクマすごいわよ?」
クマ?今朝鏡を見た時には気が付かなかった。確かに少し遅くなったけど…メイクで隠れてないのかな?
「とにかく今はお休みなさい」
「あの!ゴリじゃなかった、剛田先生ってどちらの病院に入院してるんですか?」
「剛田先生?確か大学病院だったと思うけど…」
「そうですか、ちょっとお見舞いに行きたくて…」
「あら、剛田先生も隅に置かないわね。でもいい?あなたはまず自分の体調を整えること!」
「別にそんなんじゃ…わかりました」
「よろしい、じゃお休みなさい」
仕切りのカーテンが閉められて保健室に静寂が戻る。時計が見当たらないがどれくらいの時間眠っていたのだろうか。スマホは教室に置きっぱなしだし…とりあえず言われた通り休もう。
頭が働かないのに無理に考えたって仕方ない。
チャイムが私を叩き起こす。もう昼休みに入るようだ。午前中まるまる寝てしまったらしい。
それでもまだ頭が重く体がだるい。
カーテンが開くと養護教諭が顔を覗かせる。
「だいぶ顔色は良くなったみたいだけど…その様子じゃ午後も難しそうね。家に連絡するからお迎えに来てもらいましょう」
返事を待たずに養護教諭はカーテンの先へ消えてしまった。
でも確かにそうだ。このままでは授業どころではない。家に帰って休んだほうが良さそうだ。
しばらくしてお母さんが迎えに来た。お化粧のノリが良いのかいつにも増して綺麗に見える。お出かけの予定あったのかな…
「お手数おかけして申し訳ありません」
「いえいえ、大事な時期だと思いますが、あまり根を詰めすぎないようにしてくださいね」
「ほら、帰るわよ」
「荷物は教室から持ってきてあるからね。はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
お母さんが運転する車に乗り家路をたどる。歩くと30分くらいかかるのに車なら10分程度。それでもなぜか途方もない時間が過ぎているように感じる。本格的に体調が悪そうだ。
家に着いて部屋着に着替える。洗濯したてのようで柔軟剤のいい匂いがする。
「今日はもうゆっくりしてなさい。たまには休むことも大事なんだから」
お母さんは目を合わせてくれない。迷惑かけちゃったからかな。
「うん。おやすみ」
部屋に戻るとすぐにベッドに入る。夏だというのに蝉の声もなく昼間の住宅街はやけに静かで
、あれほど寝たのにすんなりと眠りにつけた。
どれくらいの時間が経っただろうか。もう自室は真っ暗で何も見えない。かなり寝汗をかいたようでまとわりつく部屋着が気持ち悪い。
着替えのために部屋を出る。時間の確認のために少しテレビをつけよう。
「続いて地域のニュースです」
ニュース番組、多分23時からのやつだ。随分と深く眠ってしまったな。
「◯◯町付近で相次いでいた連続傷害事件の容疑者が逮捕されました」
おや?これは?
「容疑者は近くの塾の講師で28歳男性、警察は容疑の認否を明らかにしていません」
塾講師?28歳ってあの数学の講師と同い年だ…まさか
ぞくりと背筋が凍りつく
「送っていこうか?」
あの声が脳内に響き渡る。もしあの時送ってもらっていたら…
一気に怖くなりテレビを消した。心臓の音が大き過ぎて静かなはずのリビングが気持ち悪い。
水…水道に駆け寄りコップの水を一気に飲み干す。寝汗で失われた水分が沁み渡るのを感じる。
塾講師で年齢が近いだけならあの講師とは断定できない。自分に言い聞かせるがどうにも落ち着かない。
ガタリと自室の方から音がして、心臓が飛び出そうになる。なんなの?さっきから寿命縮めるようなことばかり起きている。
両親の部屋を通り過ぎ、弟の部屋、そして私の部屋。
私の部屋に変わったところはない。
となると、お父さんが帰ってきたのかな?
ノックをして両親の部屋に声をかける
「お母さん?お父さん?」
返事がない。もう寝てしまっているのだろうか。
となると残るのは弟の部屋だけだ。
またゲームで暴れているのだろうか。休校日で一日中遊んでいたのだろうしまだ遊んでるのかもしれない。
「ちょっと、もう遅いんだからあんまり大きな音立てないでよね?」
弟の部屋に声をかける。やはり返事がない。
「開けるよ?」
静かさが不安を倍増させ誰かにそばにいてほしい。ドアを開け弟の部屋に入る。
つきっぱなしのテレビに投げられたコントローラ、キイキイと音を立てながら揺れているゲーミングチェア、そこに弟の姿はない。
画面はエラーを起こしているのだろうか、真っ青になっていて何も映っていない。
「いないの?」
声をかけるが無言。部屋の中をくまなく探すがやはりどこにも見当たらない。
テレビの明かりだけが部屋を照らす。
部屋の片隅にある姿見の前に立った。
そこに写っていたのは紛れもなく私。
でも違う。これは明るさとかのせいじゃない。
目元や口周りに見たことのない線がある。触れてみると確かな溝を感じる、なんで?
鏡を見ながら自分の顔を触りまくる。
嫌だ、こんな姿になりたくない。視線を顔から背けると鏡に人影が写っている。すぐ背後に。
振り返れない、怖い、何かいる。
「あら?起きたの?もう体調はいいの?」
いつのまにか耳元にまで迫っていた人影は囁くように聞いてくる。お母さんの声だ。安堵し振り向くとそこにいたお母さんはとても若かった。いつもの綺麗なメイクじゃなくすっぴん。
肌に潤いがあり、一切のシワを感じない。剥きたてのゆで卵のようなツルツルとした綺麗な白い肌…そう。私だ。いや、確かにお母さんだけど…もはや私の生き写しだった。
「お母さん?」
「そうよ。どうしたの?まだ熱でもあるの?」
「違うの…怖くて…なんかもうよくわかんない!」
「あらあら…成長したと思ったのにまだ子どもなのね、いらっしゃい」
お母さんが私を抱き寄せる。予想とは裏腹に温かみのない冷たい感触。思わず突き放す。
「いや…来ないで…」
「どうしたの?お母さん綺麗になったでしょ?みんなに自慢できるわよね?」
表情の動かない貼り付けられたような笑顔でにじり寄ってくるお母さんのようなモノ
違う、コレはお母さんじゃない、私にはわかる。
「お母さんをどうしたの!どこ!?お母さん!」
「何を言ってるのかしらこの子は…もう夜も遅いのよ。ご近所迷惑になるから大きな声出しちゃダメじゃない」
部屋の隅で逃げ場もない私はあっけなく捕まってしまった。
「ほら、あなたも」
え?お腹に冷たい感触、それはすぐに熱さへ変わり急速に体温を奪う
「いいわぁ…若くて新鮮な血…これでまだまだ私は美しい」
なんで?お母さん?
薄暗い部屋にゲームモニターの青い灯りだけが光を照らす。姿見に飛び散った液体と色が混ざり合い紫色に照らされる。
液体と共に力が抜けていく体の熱も全て抜けていく。寒いな…
今日も私は鏡を見る
脂っ気を失ってしまった手にクリームを塗り
顔に保湿を施す
部屋は最大限明るくしてお肌を明るく見せる
今日も私は美しい
また一段と若返る
紫鏡
この言葉を20歳まで覚えていると死が訪れるとされている言葉。鏡に籠った怨念か、はたまた合わせ鏡のような異世界への入り口なのかもしれない。年齢には地域によって差異があり13歳や18歳などバラバラである。




