インポッシブル ゼロ 1
「ここから飛び降りたらどうなるんだろう」
僕はビルの屋上の手すりに掴まって下を眺める。地上二十階。市内で屋上に登れるビルはここだけだ。とは言っても撤去間近の廃ビルに勝手に入ってるだけだけど。
ここから飛び降りようと思っていた。
僕は運が悪い。両親はいないし、学校ではいつも虐められてる。
死のう。そう思って来たんだけど、これは無理だ。僕には死ぬ度胸すら無い。
「あんた何やってんの?」
誰も居ないのに声がする。下? 見ると黒猫がこっちを見上げている。まさかな。猫が喋る訳ないし。けど、珍しい。僕には基本的に動物は寄ってこない。例外はカラスだろう。何もしてないのにつかず離れずで威嚇してくる。
猫ちゃんがニャーンと言ったのが僕には言葉に聞こえたんだろう。重症だな。手を伸ばして頭を撫でてみる。モフモフだ。
「さわんなよカスヤロー」
「えっ」
僕は幻聴で猫にまで罵倒されるのか……
「しゃべった……」
「喋るわよ。そりゃ用があって来たんだから。ってうわ。ヤバいわねー。625ポイント。よくそこまで溜めたわねー。普通なら運が悪くて死んでるわ」
なんか猫が喋ってる。夢なのか? もしかして、ビルの屋上で気絶してるのか?
声は、まるでアニメの声優のようによく通り高い。僕の好みを投影してるのかな?
「なんの用事?」
「あんたの力になってやろうっていうのよ。とりあえず私と契約なさい。私が決めた『インポータント・インポッシブル』って言葉を心を込めて叫べば契約終了と同時に力が解放されるわ」
「力を解放? 何言ってんの? そもそもきみは誰? なんで喋れるの?」
「あんたは選ばれたのよ。猫なのは仮の姿。あたしは女神。幸運の女神、サラスバティーよ」
「サラスパ?」
「サラスバティー」
「スパサラ」
「サラスバティーっつってんだろ」
「だから、スパサラだろ?」
「もういいわ。スパサラで」
猫のスパサラ。多分昨日食べたのがスパサラだからだろう。けど、悲しいもんだ。自殺しようとして、心が折れて、猫がイマジナリーフレンドになってる。相変わらず終わってる。
「もしかして、君って僕にしか見えないのかなー」
「よくわかったわね。あたしはあなたの守護女神だから、あなたにしか見えないわ」
「そっか。やっぱり僕のイマジナリーフレンドなのか」
「なにそれ! イマジナリーフレンドちゃうわ。あたしは女神なんだって」
パタン。
下への扉が開いた。入ってきたのは女の子。とっても可愛い。ていうか、なんか見た事があるような? けど、目の焦点が合ってない。
少女は僕を見る事なくスタスタと屋上の端のフェンスに向かう。手に持っている何かを投げた。仮面? ベネチアの祭りで被ってるやつだ。昔ニュースか何かで見た事がある。けど、他にもどっかで見たような?
彼女はぎこちなくフェンスを上りその上に立つ。軽く手を広げ、スカートが風に踊りまるで映画のワンシーンみたいだ。船の先でこんな事してるの見た事あるな。けど、この人、何してるんだろう?
え、もしかして自殺? 僕は駆け出していた。女の子はスローモーションのように前に倒れていく。僕は手を伸ばし足首を掴む。間に合った。お、重い。彼女の体が倒れていく。女の子一人くらいなんとかなるだろう。足が浮いてる。放すか? いや、助けないと。
その迷いがいけなかった。僕は引きずられる。足を金網に引っかけようとするが遅かった。くそっ。もっと僕が太ってたなら。僕は少女の足首を掴んだまま虚空に投げ出された。
ダメだ。助からない。宙に投げ出され、落ちていく。どんどん加速していく。背筋が寒くなり、身が竦む。終わった。もう駄目だ。
【インポッシブル・ゼロ! 高層ビルから落下して生き延びよ!!】
ん、なんだこりゃ? 急に遅くなった。僕はゆっくり落ちていく。これってもしかしてゾーンってやつなのか?
「もう、契約するしか無いわよね」
え、横に猫が浮いている。僕は手足をばたつかせながら、ゆっくり落ちている。隣には目を瞑って逆さに落下してる少女。
「今は、あたしの力で、あんたの感覚を引き伸ばしてるの。三十秒くらいが限界ね。決めなさい。落ちて死ぬか、契約して奇跡を起こすか」
「そっか。死ぬんだね」
僕と少女の体はビルから離れている。ビルの窓とかに取り付いて助かるすべはない。
「ちょっと、あんた今死んだら、あんただけじゃなく、家族もみんな苦しむわ。あの女、アイドルとか言うやつよ。あんたはアイドルと無理心中した男になるわよ。ファンからの恨みとかハンパないわよ」
まじか、見た事あると思ったら、アイドルだったのか……可愛いと思った。そう言えば投げ捨ててた仮面、なんかの配信で見た事がある。
「けど、そう言われても、僕には何もできないよ」
「なんでもできるわよ! だから、契約しなさい!」
「あと少しで、この感覚も戻るんでしょ? どんな奇跡が起きてもビルから落ちたら死ぬよ。ほら、下にも柔らかそうなものは無いし」
「わかったわ。あんたは死ねばいいわ。けど、あんたが死んだら、そこの女の子も死ぬわ。あんたなら助けられるのよ。あたしとあんたを信じなさい! あ、もう時間! 言いなさい『インポータント・インポッシブル』って」
ガクンと体が揺れる。そして徐々に落下が早くなる。猫の姿が薄くなる。三十秒まだ経ってないよね? 視界の隅に何かがキラリと光る。女の子の眼の端から光る筋、涙だ。綺麗だ。
泣いてる女の子がいる……
そうだ助けないと。こんな綺麗な女の子を、死なせたくない!
「インポータント! インポッシブル!」
何も起こらない。やっぱり所詮イマジナリーフレンドか。ん、視界の右に数字が受かんでる。六百幾つから五百幾つ。どんどん数字が減っていく。なんなんだ?
なんか体が熱くなる。気分が高揚する。ははっ、最高の気分だ。今ならなんでもやれる気がする。そう、俺は無敵だ。気持ちひいーっ。両手両足を広げ、落下を楽しむ。そう、俺は今飛んでいる。
ブワッ!
ん、服が捲れる。なんだ? 風? あり得ないほど強い風が下から吹いてくる。いい風だ。乗りこなしてやるぜっ!
新作です。よろしくお願いします。
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