落としもの②
「さて、行くぞ」と祓川が言う。
「どちらに?」と聞くが、返事がない。黙ってついて来れば良いということだろう。置いて行かれないだけましだ。
ほぼ一時間、祓川は無言で運転していたが、突然、「実家だ」と短く言った。
「実家? 誰の実家なのです?」と聞くと、祓川は顔を動かさずに、ちらと視線を向けた。
そんなことも分からないのかとでも言いたいのだろう。
「北城さんですか?」とあてずっぽうで言ってみると、「事件後、暫く足取りがつかめていない。浮浪者のような生活を送っていたらしい」と答えた。
当たっていたようだ。
事件後、大祐は自暴自棄になり、路上生活を送っていた。しかし、何時の間に北城大祐の素性について調べたのだろう。
「千葉に実家がある」とやっと目的地を答えた。
住宅街を抜け、農道だろう。田畑が広がる中を走っていた。やがて、民家が集まった場所があり、その内の一軒が北城家だった。
千葉県と言えば落花生の生産で有名だが、カブの生産量も日本一だ。北城の実家もカブを栽培していた。
北城家を訪ねると、恰幅の良い女性が出て来た。
石井由貴菜と名乗った。
大祐の妹だ。結婚して石井姓となり、兄に代わって実家を継いだ形になっているようだ。すっかり貫禄がついてしまっているが、事件当時は二十代、「想像できないでしょうが、針金みたいに痩せていたのですよ~」と言って「あはは」と笑った。
明るい女性のようだ。
兄は両親の良いところばかりを受け継いで、細面で目鼻立ちの通った男前だが、残念ながら由貴菜は父親の遺伝子の影響が濃いようだ。丸顔で目が小さく、鼻ばかり目立つ。由貴菜は女の子なので、親戚や知人から、「兄妹、逆なら良かったのに・・・」と言う戯言を散々、聞かされて育ったと言う。
「そうですね」とも言えずに返事に困った。
「立ち話も何ですから」と応接間に招かれた。
床の間があって違い棚があり、畳にテーブル、座椅子という典型的な和室だった。由貴菜が熱々のお茶を振舞ってくれ、事情聴取が始まった。
「お兄さんのことを教えてください。藤田家を放り出された後のことを知りたいのです」と祓川が言うと、「お兄ちゃん・・・」と呟いた後、由貴菜はわんわん泣き始めた。
泣いたり笑ったり、感受性豊な女性だ。流石の祓川も持て余している。優しい言葉をかける訳でもなく、ただ黙って由貴菜が泣き止むのを待っていた。
「ごめんなさい。まだ兄が亡くなったことが信じられなくて・・・」とようよう、泣き止んだ由貴菜は前掛けで涙を拭いながら、「兄のことですね。藤田家を放り出された後、行方が分からなくなりました」と語り始めた。
行方が分からなくなった兄を心配して、由貴菜は探し回った。と言っても素人の由貴菜が出来ることと言えば、大祐の知人を訪ね歩いて、行方を聞くくらいのことしか出来なかった。
「大祐? そう言えば最近、連絡ないな」
「北城さんですか。あの事件の後、全然、連絡が取れないんですよね」
といった塩梅で、消息はつかめなかった。
誘拐事件から一年が経ち、由貴菜も本気で不安になり始めた。警察に捜索願を出し、探偵事務所に依頼をして大祐の行方を調べてもらおうとした。
丁度、その時、大祐の大学時代の友人から連絡があった。
――多摩川の河川敷で大祐に良く似た浮浪者をみかけた。
と言うのである。多摩川の河川敷で草野球の試合があり、その時、大祐に良く似た浮浪者をみかけたと言うのだ。(ひょっとして大祐ではないか!?)とジロジロ見ていると、視線に気がついたのか姿が見えなくなったと言うことだった。
「見間違いだったかもしれないよ」大祐の友人は申し訳なさそうに言った。
「正直、人違いだと思いました。綺麗好きだった兄が、浮浪者に身を落としているなんて――と、最初は信じられなかったのです。ですが、あんなことがあった後です。生きる気力を失って、浮浪者になっていたとしても不思議ではありません。確かめに行ってみました」
由貴菜は多摩川に足を運んだ。
若い女性だ。浮浪者を訪ね歩くには勇気がいった。最初は父親に付き添ってもらった。だが、大祐は見つからなかった。そんなに上手く行くはずない。二度、三度と尋ね歩く内に、度胸が据わってきた。由貴菜は一人で、多摩川に通い、大祐の姿を捜し求めた。
「そして、お兄さんを見つけた」
「はい。姿かたちは変わっても、私には直ぐに兄だと分かりました」
そしてついに大祐を見つけた。
草むらに潜むように、ビニール・シートで作られたテントのような住まいをのぞくと、そこに大祐が横になっていた。寝ていたようで、穏やかな寝息を立てていた。髪も髭も伸び放題で、大学時代の友人が自信を持てなかったのが頷けた。恐らく由貴菜でなければ、一見して大祐だと分からなかっただろう。
「お兄ちゃん――!」由貴菜は悲鳴を上げると、その場で顔を覆って座り込んだ。
「何故・・・こんな・・・」情けなさや悔しさ、そして安堵の入り混じった複雑な感情が押し寄せて来て、感情をコントロールすることが出来なかった。
ただ、おんおんと泣くことしか出来なかった。
「兄は目を覚ますと、ビニールテントの入り口で座り込んで泣き続ける私の姿を呆然と見つめているだけでした。暫くして、私だと分かったようで、うつろに濁った目に、涙が溢れて来ました。そして、二人で泣きました」
「それで、実家に連れ戻ったのですか?」
「はい。連れて戻ったのですが――」
実家に戻った大祐だったが、暫くは魂が抜けたような状態だったそうだ。極端に無口で、感情の起伏を表に表さなくなっていた。由貴菜と大泣きしたことが、嘘のようだった。
部屋に閉じこもって出てこない毎日が続いた。
「心配した両親が、カブつくりを手伝ってくれないかと聞くと、うんと素直に頷いたのです」
一日、一時間程度から始めて、徐々にだが作業時間が長くなっていた。相変わらず口数は少なかったが、無心で働いている姿を見ていると、立ち直る日が近いように思えた。ところが、半年も経った頃に、突然、手伝いに出て来なくなった。