恋の代償③
「奈々さんに聞いてみました。江川さんが生前、煙草を吸っていたかどうか。江川さん、かつてはヘビースモーカーで一日、一箱以上、煙草を吸っていたそうです。ところが、ある時、会社の経営陣で、三泊四日の泊りがけの研修会を開いた時に、研修期間中、お酒は禁止だったそうです。江川さん、お酒はダメだったので、『皆が酒を断つなら、俺は煙草を断とう』と言って、煙草を止めたそうです。研修が終わってからも、『折角、禁煙したのだから』と禁煙を続けました。意志の強い人でしたから、結局、そのまま煙草を止めてしまったそうです。事件があった時には、煙草を止めてから、一年以上、経っていました」
「へえ~そんなこと、知りませんでしたね」
「いえ、当然、知っていたはずです。江川さんは他人に厳しい人でしたから、煙草を止めてからは、煙草を吸う人間のモラルについて口うるさくなったそうです。周りで煙草の臭いをさせただけで、会社をクビになった人間がいたという話があります」
「と言われても、知らなかったものは知らなかったのだから、仕方ないでしょう」
「あなたも当時、煙草は吸わないそうですね。奈々さんが、そう言っていました」
「そうですか・・・彼女がそう言っていましたか・・・」田川は苦しそうに呻いただけだった。
「あなたは江川さんを殺害して奈々さんを解放し、経営不振だったスーパーを売り払うことが出来た。一石二鳥、いや、江川さん殺害に関しては正当防衛が認められていますので、一石三鳥だった訳です。
ですが、あなたの払った代償は大きかった。あなたは加害者に、そして奈々さんは被害者遺族となってしまった。敵対する関係になってしまった。二人は永遠に交わることがない平行線になった」
真鍋は反応を待ったが、田川は腕組みをして押し黙ったまま、何も言わなかった。日頃の饒舌さが嘘のようだった。
「何も答えてはくれませんか。では、もう少し、僕の話を聞いて頂きましょう。あなたは奈々さんの為に江川さんを殺害した。奈々さんを地獄から救い出す為に、江川さんを殺した。奈々さんと会えなくなることも覚悟の上だった。それで奈々さんが救われるなら、それで良いと思った。本当にそうだったのでしょうか?」田川が顔を上げて、不審そうな目で真鍋を見る。言葉の意味を懸命に探ろうとしていた。
「こう考えてみたことはありませんか。あなたの知らないことがあったのではないかと――
奈々さんは地獄から救い出してくれる人を待っていた。父親のモラハラから解放してくれる人を待っていた。そして、あなたと知り合った。奈々さんはあなたに父親の横暴を訴える。そして、助けを求める。あなたは彼女を救う為に、殺人と言う、もっとも安直で傲慢なやり方を選択した。
あなたが江川さんを殺害し、奈々さんを地獄から解放する。そして、二人は永遠に仇同士として生きて行かなければならない。そのヒロイズムにあなたは酔った。あなたは奈々さんの掌の上で踊っていただけだ」
「ば、馬鹿な! あれが全部、奈々の計画だったと言うのか!!」田川が物凄い勢いで立ち上がった。
真鍋は座ったまま、目力を込めて答えた。「そう考えたことはなかったのですか!? あなたは奈々さんに利用されただけだ。単なる将棋の駒に過ぎなかった」
「奈々さん、言っていました。あなたに父親の殺害を依頼していない。彼女の話を聞いて、『分かった。僕が何とかしてあげよう』とあなたが勝手にやったことだと。あなたに思いとどまってもらいたくて説得した。ですが、『これは君のためだけじゃなくて、僕のためでもある』って言って、彼女の話に耳を傾けなかった。全てはあなたが計画し、実行した」
「・・・」田川がうなだれる。
「いえ、ひとつだけ、ひとつだけで良いので協力してくれないかと、頼まれたことがある。江川さんに、『スーパーマルタは、仕入先からのリベートを架空計上して、利益をごまかしている』と伝えて欲しいと。彼女には何のことか分かりませんでしたが、うまく江川さんに吹き込んでもらいたいと言われて、そうしたと言っていました」
スーパーマルタの不正会計に関する内部情報を漏らしたのは、他ならぬ田川自信だった。
田川は奈々経由で江川にスーパーマルタの不正会計の情報を与え、会社に怒鳴り込んで来るように仕向けた。後は怒鳴り込んできた江川を、正当防衛を装って殺害すれば終わりだ。「全てが計画的だった訳ですね?」
真鍋の質問に田川は俯いたまま答えなかった。
「奈々さんから直接、聞いた話です。結局、あなたは加害者、奈々さんは被害者遺族となり、顔を合わすことはなくなりました。あたなは奈々さんを地獄から救ったつもりでいたのだと思いますが、あんな父親でしたけど、死んで良かったなんて、とても思えなかったと。
あなた、『辛い恋愛をした』と周囲に漏らしていたそうですね。奈々さんは、そのことを聞くと、『辛い恋愛?わたくしは田川のことを好きだなんて、思ったことは一度もありませんでした。田川が勝手にそう思い込んでいただけです』と答えました。
そして、『正直、今でも田川のことを恨んでいます。田川に言われて、余計なことを父に伝えなければ良かったと後悔しております。彼はわたくしの思いを利用して、都合良く、父を葬っただけです。違いますか? 刑事さん』、そう奈々さんが言っていました」
「奈々・・・」田川は両手で顔を覆うと、「うっ、うっ、うっ・・・」と嗚咽を始めた。
泣いているのかと思ったが、次の瞬間、田川は両手をテーブルに開くと、天井を向いて、「あ、ははははは――!」と高らかに笑った。
真鍋が呆気にとられる。
「あ、は。刑事さん。もう、そんなこと、どうでも良いよ。奈々が自由になって、幸せに暮らしているのなら、俺に後悔はない」
「田川さん。江川信二さんの殺害を認めるのですね?」
「好きにしてくれ。俺があいつを殺したことに間違いはない。それが計画的なものであったとしても、奈々には一切、関係はない。全ては俺が一人で、考え、準備し、実行したことだ。それだけは、それだけは刑事さん。分かってくれ」言葉の最後は哀願口調だった。




