恋の代償②
「ふん。信用のおけない男だとは思っていたが、べらべらと余計なことをしゃべりやがって。退職金を奮発してやったのに、恩を仇で返しやがった」
「口止め料だったのですか?」
「いや、まあ、そう言う訳じゃないけどね。あいつは色々、よくやってくれたしな」
「ところで、江川さんはどうやってリベートの不正計上を知ったのでしょうか?」
「知るか! そりゃあ、山地の野郎が江川さんに告げ口をしたからじゃないのか!?」
「山地さんは江川さんにリベートの件は教えていないそうです」
「あんな男の言うことを信じるのかい? 刑事さん」
それには答えず、真鍋が言う。「山地さんでないとすると、他にリベートの件を知っていたのはあなただけです」
「ば、馬鹿な。俺が江川さんに教える訳ないじゃないか!」
「そうでしょうか? あなたと奈々さんが知り合いだったとすると、状況はまるで違って見えて来るのです」
田川は真鍋を睨みつけた。それ以上、喋るなと、無言で抗議をしているのだ。
真鍋はひるまない。「守口奈々さんから話を聞いて来ました。彼女と母親は父、江川信二から虐待を受けていたのです。虐待と言っても、暴力ではありません。いえ、折檻を受けたこともあったそうですが、精神的な、そう、モラル・ハラスメントというやつです。
江川信二には女はこうでなくてはダメだというのがあって、ちょっとでもそれに背くと、延々と説教をするのです。奈々さんが変なことをすると、母親も同罪で、二人並んで正座をさせられ、延々と説教を聞かされたそうです。テレビを見ている傍で、二人で立たされ続けたこともあったと言っていました。それだけなら、まだ良かった。奈々さんが何か気の障るようなことをすると、『お前の躾が悪いからだ!』と母親が奈々さんの代わりに犠牲になりました。
真冬に素っ裸で庭に放り出し、ホースで水をかけ続けたそうです。奈々さんは泣きながら、『お母さんが死んじゃう。もう、しません。奈々はいい子にしますから、お母さんを許してください』とお願いしたそうです。幼い頃から、父親が怖くて仕方なかった。そう言っていました」
壮絶な話だ。田川は苦しそうに顔を歪めている。今回の事情聴取で、こんなに苦しそうな表情をしている田川を見たのは初めてだった。
真鍋は追及の手を緩めない。「奈々さんは父親の江川信二さんから虐待を受けていた。それは度を越したものだった。奈々さんが言っていました。『自分が折檻を受けるのは構わない。でも、自分の代わりに、母が犠牲になるのは耐えられなかった』と。このままでは、母親はいつか殺されてしまう。そう思ったようです」
「ふっ!」田川は小さく息を吐くと、椅子の背もたれによりかかって、上体をそらすと、顔をそむけた。真鍋の話は聞きたくないと態度で表しているのだ。
「奈々さんからモラハラの話を聞いたあなたは、彼女の為に何とかしたいと思った。彼女を救いたい、そう思ったのではありませんか? そして、あなたは江川さんの殺害を計画した。
奈々さん経由で不正会計の情報を流す。江川さんの性格なら、会社に怒鳴り込んで来るであろうことは容易に想像がついた。ああ、そうだ。灰皿の問題があります」
「灰皿?」
「ええ。あなたも江川さんも煙草を吸わなかった。なのに、あの日、応接室には凶器として手ごろな大きさのガラス製の灰皿が置いてあった」
「応接室だ。来客用に灰皿が置いてあったとしても不思議ではないだろう」
「勿論です。先ほど、名前の出た山地さんや、かつての従業員の方に話を聞いてみたのです。応接室にどんな灰皿が置いてあったのかを。妙なものですね。そんなこと覚えている人間なんて、いないだろうと思っていたのですが、意外に皆さん、よく覚えていました。来客用の灰皿は給湯室に置いてあって、煙草を吸うお客様の時は、お茶と一緒に灰皿をお出ししていたそうです。灰皿を出し忘れて、あなたに叱られたことがあると言う人が結構、いました。人間、悪いことは出来ないものですね。
江川さんの殺害に使用された灰皿の写真を見せて確かめたところ、皆さん、口を揃えて、『こんな立派な灰皿じゃなかった』とおっしゃいました。もっと小さな、金属製の灰皿で、凶器となった灰皿は『店で売っていたものだ』と教えてくれました。
実際、事件直後に現場で撮影した写真をくまなく見ました。給湯室に金属製の灰皿がちゃんと写っていました」真鍋は、まるで将棋で王手をかけるかのように、ゆっくりとした動作でファイルから取り出した紙片を机の上に置いた。現場で撮影された証拠写真を引き伸ばしたもので、給湯室のテーブルの片隅に小ぶりな灰皿が写っていた。
田川はちらりと写真に視線を送ると、直ぐに顔をそむけた。
「あなたは事前にスーパーの売り場から江川さんを殺害するのに手ごろな大きさと重さの灰皿を物色すると、応接室に置いておいた。どうです? あなたに江川さんを殺害する意図があったことが、これで分かります」
「ふん。大事なお客さんだったんだ。立派な灰皿を置いておいて、何が悪い」




