正当防衛②
「なるほどな。ご苦労さん。防犯カメラの映像を借りておけば良いんだな。後は、俺たちでやっておくから、モアイ、お前は家に帰って少し休め」と上田が言った。
上田は四十代、刑事課での経歴が長いベテランの刑事だ。上背があって、体が大きいのだが、顔が不釣合いなほど小さい。係長の野上から、「ハルク」とあだ名で呼ばれている。服部に「モアイ」というあだ名をつけたのも野上だ。野上自身、背が高いからか、上田や服部といった大柄な部下に、あだ名をつけたがる。親近感を抱いているようだ。
最も上田に言わせれば、「係長にあだ名をつけてもらえると言うことは、認められている証拠だ。光栄と思え」となる。
相棒の今村は、中肉中背、整った顔立ちだが、無口で目立たない。控えめで、自分の意見を押し通すような性格ではない。あだ名は無かった。
「いえ、自分は大丈夫です!」と服部が答える。
「張り切るのは良いが、先は長くなるぞ。いいから、俺の言うことを聞いて、休める時に休んでおけ」
「は、はい」自分を思っての言葉だ。忠告は素直に聞くべきだ。
一礼して立ち去ろうとする服部に、「あの男はどうした?」と上田が声をかけた。
「あっ、はい。祓川さんなら・・・」服部が口ごもる。
「ああ、分かった。あの人は特別だからな。少しはお前のことも考えてもらいたいものだが・・・全く・・・」上田がため息をつくと、それを見て、平素、無口な今村が口を開いた。「祓川さんは、みなの健康のために役立っているようですね」
「あん!?」上田が怖い顔を向ける。
健康のため? 意味が分からない。
「ほら、ため息をつくと、幸せが逃げるって言うじゃないですか。でも、実際は、ため息は体に良いそうです。自律神経のバランスを保つ働きがあるそうです」
「はは、それで、みなの健康の役に立っていると言うことか」苦笑するしかなかった。
今村は一服の清涼剤のようなところがある。上田と今村は防犯カメラの映像を持ち帰り、被害者を探すことにした。
服部は調布署に戻って仮眠を取った。もともと寝つきは良い方ではなったが、刑事になってから何時でも何処でも寝ることができるようになってきた。
昼近くになって起きて、一課に顔を出すと、上田と今村が防犯カメラの映像を確認していた。
「どうです? 何かありましたか?」と聞くと、「あった。ばっちりだ」と上田が笑顔を向けた。
延々と防犯カメラの映像を見続けることになると覚悟していたのだが、あっさり見つかったと言う。
今朝から逆再生で時間をさかのぼって行くと、夜中にマンションに出入りした人間は皆無で、午前零時を回ってから、映像に残っていた人物はただ一人だった。北城大祐だ。
目撃者の証言から、北城大祐がマンションのベランダから転落した時刻が午前零時過ぎだということが分かっている。北城はマンションを訪ねてから、十数分で、ベランダから転落したことになる。
「ガイシャの手元を見ろ! 部屋番号を押している。いくつだか分かるか?」服部がモニターを覗き込む。
防犯カメラは訪問者の顔を映し出すように設置されている。画面の隅に台座のキーパッドが映っているが、生憎、被害者の姿が邪魔になって、はっきりと見えない。何度も再生してみたがダメだった。「分かりません。もうちょっと、こう、カメラをこっちの方に動かすことが出来れば、手元が見えるのですが・・・」
「カメラの位置は動かせないぞ。ううむ・・・ガイシャがどの部屋番号を押したのか分かれば、誰を訪ねたのか分かるのだが・・・もう一度、マンションの管理人を当たってみるか」上田が呟いた時、「ああん!」と係長の野上が大声を上げるのが聞えた。
振り向くと祓川が野上の席の前に立っていた。
野上はたたき上げの刑事だ。凶悪事件において、豊富な経験と鋭い観察眼を持っている。凹凸の少ない顔で、両目がやや離れ、鼻が低い。切れ者の刑事と言うよりも、商家の旦那と言った外見だ。
部下にあだ名をつける癖があるが、実は名前を覚えることが苦手で、優秀な部下だけ、あだ名で覚えているのだ。もっとも、そのあだ名も出てこない時がある。「あの、あれだ」が口癖になっている。
「あの、あれだ、ハルク、ちょっと来てくれ」野上が上田を呼んだ。
「何でしょう?」上田が飛んで行くと、「おい、今朝の変死事件で、あの、あれだ、祓川さんが妙な男を連れて来た。お前、ちょっと行って、話を聞いて来てくれ」と野上が言う。
警視庁で伝説となっている刑事だ。流石の野上も祓川には「さん」付けだ。
「妙な男?」
「今朝、転落死があったマンションの住人で、『彼をベランダから突き落とした』と言っているそうだ」
「えっ!? ガイシャをベランダから突き落とした? 犯人が自首して来たのか?」
「そういうことになる。一号取調室に入れてあるそうだ」
「一体、どうやって・・・」
被害者の転落位置から転落したと思われる部屋の位置と高さを推測した。低層階から転落したのであれば、フェンスを越えて道路に落下しなかっただろう。夜明けを待ってマンションを訪れ、最上階の部屋から聞き込みをかけたところ、最初の部屋の住人が被害者を突き落としたことを認めたということだった。
祓川にしてみれば、無駄を省いて、合理的に捜査を進めただけなのだろう。
「ほえ~」と服部は感心した。無駄に走り回った自分が馬鹿に見えた。
野上が「行って来い」とばかりに右手をぱたぱたと動かした。
「自分が取り調べを担当してよろしいのですか?」祓川を横目で見ながら、上田が野上に聞いた。
当然だろう。捕まえて来たのは祓川だ。祓川が取り調べに当たるのが筋だ。
「気にするな」と祓川が答えた時には、歩き去っていた。
「変わった人だ」と呟いたのは野上だった。
「大丈夫ですかね?」
「大丈夫だろう」
「いや、係長。モアイのことです」
「ああ、そうか。ちと荷が重いかもしれないな。でも、伝説の刑事と一緒に捜査をするなんて、良い勉強になるぞ」
「それはそうですが・・・」
二人共声が大きい。服部の耳には二人の会話が丸聞こえだった。