鄭成功③
祓川のところに戻ると、出かけると言う。
「坂本に事情を聞きに行くのですか?」と尋ねると、「うむ」と頷いた。
祓川の考えていたことが分かった様な気がして、嬉しかった。
何時も通りハンドルを握る祓川に服部が尋ねた。「祓川さん。鄭成功ってご存知ですか?」
「鄭成功? 国姓爺のことか?」
「コクセンヤって何です?」
「国姓爺を知らないのか。近松門左衛門の人形浄瑠璃、『国姓爺合戦』だ。鄭成功と言うと、国姓爺合戦の主人公として有名な武将だ。皇帝から姓を賜ったことから、国姓爺と呼ばれている。台湾をオランダから開放した英雄だ」
「ほえ~知りませんでした」
「何だ。その鄭成功がどうした?」
「田川が、鄭成功の子孫だと言っているそうです」上田から聞いた話だ。
「馬鹿らしい」
「そうですよね。台湾の英雄の子孫が日本にいる訳ないですよね」
「そうじゃない。鄭成功は明の商人だった鄭芝龍と日本人、田川マツとの間に生まれました子供だ。単に、田川という姓が同じだから、鄭成功の子孫だなんて言っているのだろう」
「ハーフだったのですね」
鄭成功は明の豪商だった鄭芝龍と日本人の母、田川マツの間に日本の平戸で生まれた。幼名を福松と言い、七歳まで平戸で過ごし、その後、父の故郷である福建で成人した。
時は明末、国事多難の折、明朝は北虜南倭と呼ばれる北方のモンゴル族、南方の倭寇の外敵に悩まされ続けていた。更に、豊臣秀吉の朝鮮出兵への派兵により国庫が疲弊し、弱り目に祟り目で、モンゴル族に代わって台頭したヌルハチ率いる満洲(女真)族と西から農民反乱軍をまとめた李自成の挟み撃ちを受けてしまう。
磐石に見えた巨大帝国も、既に人心を失っており、明王朝は李自成軍の侵攻を受けて、あっさり滅亡してしまう。明王朝を滅ぼした李自成も北から津波のように押し寄せた後金、改め清と名乗った満洲軍に飲み込まれた。
ここで登場するのが鄭成功だ。
旧明の皇族たちは各地で亡命政権を作った。鄭芝龍は唐王だった朱聿鍵を擁立した。朱聿鍵は福州において即位し、隆武帝と称した。
隆武帝に謁見を賜った鄭成功は「皇女がいれば娶わせるところだが、代わりに国姓の『朱』を賜ろう」と言われるほど気に入られた。
隆武帝は北伐を開始したが、清軍に大敗。隆武帝は捕らえられ、食を断って餓死した。
鄭芝龍は清に降ったが、鄭成功は父と袂を分かち、草莽より皇孫を探し出し、これを担ぎ、清軍への抵抗を続けた。再び、北伐の軍を起こしたが、南京で大敗。勢力を立て直す為に当時オランダが統治していた台湾を目指した。
台湾に渡った鄭成功はオランダ軍を一掃し、ここに鄭氏政権を樹立した。
「鄭成功が台湾に建てた鄭氏政権は孫の鄭克塽の代に清に滅ぼされている。鄭克塽は清の朝廷で寿命を全うし、子孫は北京にいるはずだ。ただ――」
「ただ?」
「鄭成功には弟が一人いて、田川七左衛門と名乗っていた。日本に留まり、貿易を通して鄭成功の覇業を支援したが、鎖国と共に交易の道が閉ざされた。七左衛門の子孫は江戸幕府に重用されたが、鄭氏を名乗り、幕末までその血脈が受け継がれたそうだ。鄭成功の直系で田川姓を名乗っているものはいないはずだ」
「眉唾ですね。まあ、そうだろうと思っていました」
「田川マツの実家の血筋かもしれないが、いずれにしろ直系の子孫ではない」
「はあ・・・」何でも詳しい。ひょっとして田川という姓から、鄭成功についてまで調べたのではないかと勘繰ってしまった。
再び、坂本不動産にやって来た。
祓川が事前に連絡しておいたのだろう。「ああ、刑事さん。遠路はるばる、ご苦労様ですね~」と軽く厭味を言ってから、「まあ、どうぞ。座ってください」と席をすすめられた。
「で、今日は、何でしょう?前回、知っていることは全て、お話しましたけど」と明らかに警戒していた。
「全部――ではなかったようですね」と祓川が言うと、不安そうな顔になった。
「永井真奈美さん。ご存じですよね。北城さんに彼女を紹介したこと、何故、黙っていたのですか?」と祓川が言うと、何故か坂本はほっとした表情をした。
「ああ、そのことですか。北城さんに十年前に田川さんが何処にいたのか、しつこく聞かれましたが、そんなこと、覚えているはずないじゃないですか。あの頃、仕事に使っていた手帳やスケジュール帳など、とうの昔に処分してしまいました。分かるとすれば、本人か、永井さんじゃないかという話をしただけです」
「彼女の連絡先をご存じだった」
「だって、田川と別れてから、田川のマンションに居座ったことは知っていましたから、今でもそこにいるかもしれないと教えてだけです」
「なるほど。一応、筋は通っていますが、何故、北城さんが十年前の田川さんの予定を知りたがっていたのか気にならなかったのですか?」
「それは・・・」とそこで言葉を切ってから、「息子さんの事件があったからでしょう」と抜け抜けと答えた。