辛い恋愛②
もう少し、周辺の聞き込みを続けるのかと思ったが、祓川は「行くぞ」と言って車に戻ると、奔り始めた。何処かに向かうようだ。
無駄だと思ったが、「何処に行くのですか?」と尋ねてみた。すると、「永井真奈美に会いに行く」と答えた。
永井真奈美? 誰だ? それ。初耳だ。
「六年前、田川敦也に暴行を受けたと通報した女性だ」と祓川が教えてくれた。
一体、何時の間に、そんなことまで調べたのだろう。協調性は皆無だが、誰よりも地道に捜査を行い、抜群の推理力を持つ優秀な刑事、それが祓川の素顔なのかもしれない。
服部に解説してくれるということは、少しは祓川に認められて来たのかもしれない。
三鷹の下連雀にあるマンションにやって来た。
多少、年季は入っているが、十三階建ての頑丈そうなマンションだ。入り口のインターホンを鳴らすと、「誰?」と女性の声で返事があった。
「調布署の祓川です」と祓川が名乗ると、「ああ、電話の――」と答えがあった。
電話をかけてアポまで取っていた。
「最近は何かと物騒ですから、警察手帳を見せてください」と言う。
二人で警察バッジを見せると、「どうぞ~」とドアが開いた。
十階に永井の部屋があった。
アラフォーだろう、昭和の歌手を思わせる毛量が豊富でしっかりパーマのかかった髪型の頬のこけた痩せた女性が二人を迎えてくれた。
開口一番、「最近、大病をしちゃって――」と聞かれもしないのに言った。そして、祓川に向かって、「私があと十歳、若かったら、あなたなんて、もうメロメロだったわよ」と言った。
なんか言っていることが昭和だ。
祓川が「今でも十分、お綺麗ですよ」と言ったのには、腰が抜けるほど驚いた。
「嫌ねえ~刑事さん」と永井が嬉しそうにしなをつくる。
祓川に人並みの世辞が言えるなんて・・・
意外に片付いたリビングに通され、「要りません」と祓川が無下に断ったのに、コーヒーを振舞ってくれた。
「田川敦也さんについて、お聞かせください」
「田川の何が知りたいの?」
「知り合ってから、全てのことです」
「あら、そう。長くなるわよ」永井は嬉しそうだった。
見たところひとり暮らしのようだ。話し相手に飢えていたのかもしれない。
「最初は単なる客だった」と言うから、水商売の女だったのだろう。田川が東京に進出して来て、間もなくの頃に知り合ったようだ。江川事件の後になる。東京に事務所を開いて、坂本に任せていた時期だ。
「金回りが良くって、しかも、恋愛に奥手でね~何とかしてあげたいって思っちゃった。田川はね。随分と辛い恋愛をしたことがあるらしいのよ。それで、恋愛に対して前向きになれなくなっちゃったみたいなの。全く、馬鹿な話ね。そんな話にほだされて、あんな男の為に、私の青春を無駄にしちゃったんだから」永井はそう言って、自嘲気味に笑った。
「辛い恋愛ですか」
「若い頃はね。大手スーパーチェーンの跡取り息子でしたからね。金がある。学生時代は、女の子が放っておかなかったみたい。悪いやつだから、二股も三股もかけて、女の子と付き合っていたって自慢していた。真剣に交際した相手なんて居なかったようなの。あいつ、今でも独身でしょう。若い頃に遊び過ぎたせいよ、きっと」
「それで、辛い恋愛とは?」
「高松に隠れ家のようにして使っている居酒屋があったみたいなの。一度、連れて行ってよと、頼んだことがあるんだけど、お前が行くような店じゃない。鄙びた居酒屋だよと、連れて行ってくれなかった。確か・・・そう、『大吉兆』と言う名前の居酒屋で、カウンターしかないような小さな店だそう。派手好きな田川には似合わない、路地裏の寂れた居酒屋で、痩せて無口なマスターが一人で切り盛りしているお店だって言っていた」
「それで、辛い恋愛とは?」
同じ質問を重ねた。なかなか本題に入らない。祓川は辛抱強く、永井に話の先を促した。
「田川は何時も一人で店に行っては、一番奥のカウンターに陣取り、オムライスを注文するんだって。マスターと一言、二言、世間話をする以外は、黙々とオムライスを平らげ、あとは熱燗をちびちびと傾けるって言うの。田川にも一人になりたい時があるんでしょうね。あれだけ、虚勢を張って生きている人間ですもの」
「そのお店が何か?」
「そこにはね。たった一人だけ、女性を連れて行ったことがあるそうなの。初めて夢中になった女、心底、惚れぬいた女性だって。そんなこと、私に言うなんて、嫌なやつよね。彼女だけ、例外だった。俺の全てを知ってもらいたかったって、ぬけぬけと言いやがった」
「辛い恋愛だと言うことは、その女性とはうまく行かなかったってことですね?」と祓川が言葉を挟むと、「あら、刑事さん。不調法ね~人の話はちゃんと最後まで聞かなきゃダメよ」と叱られてしまった。祓川が「これは失礼」と謝った。妙に永井に優しい。