十七年前の事件③
捜査員が会議室に集められた。
――捜査を進めるにおいて、共用すべき重要な情報がある。
ということだった。
野上が椅子から立ち上がった。捜査員の前に進み出ると、「田川敦也がテレビに出ているのを見て、香川県警より情報提供があった」と声を張り上げた。
野上の説明が始まった。
十七年前に高松で、江川信二という人物が殺害された。死因は頭部を殴打されたことによる脳挫傷。容疑者として田川敦也の名前が挙がった。
江川が殺害されたのが、当時、田川が経営していたスーパーマルタの社長室であり、殺害当時、部屋には被害者と田川の二人しかいなかった。
「田川は江川を殺害したことを認めた」と言った時には、「おおっ!」と捜査員がどよめいた。「殺害時の状況から正当防衛が認められ、事件は不起訴となった」と野上が続けると、会議室のどよめきは最高潮に達した。
――正当防衛!
北城大祐の転落死に於いても、田川は正当防衛を主張している。台所にあった包丁を持って追い回され、ベランダに逃げたところを襲われた。身をかわした弾みで、北城は転落したと田川は証言していた。
目撃者のいない密室だ。死人に口なし、田川の主張が認められると正当防衛が適用されることになる。高松の事件と同じだ。
「静かにしろ! 今から事件の概要を説明する」野上は捜査員を怒鳴りつけた。
「被害者の名前は江川信二――」
百十九番に通報があり、駆けつけた救急隊員により、スーパーマルタ本店の社長室で江川の遺体が発見された。遺体の頭部には、頭蓋骨が陥没するほどの裂傷があり、死因は頭部を殴打されたことだと言うことは明らかだった。犯人は直ぐに確保された。田川敦也だ。田川本人が百十九番に通報していた。
「社長室で会談中に口論となり、江川さんに首を絞められた。苦し紛れにテーブルの上にあった灰皿で頭を殴りつけた。田川はそう供述している」
田川の供述を裏付けるように、首には手で強くしめられたことによる扼痕と呼ばれる赤い線がはっきりと残っていた。田川が抵抗したと証言している通り、江川の腕には爪で引っ掛かれた痕が残っており、皮膚片が田川の爪から見つかっている。
後にDNA鑑定が行われ、江川のものであることが証明された。
田川の証言を疑う根拠は何も無かった。
当時、田川敦也は父の田川喜一郎から受け継いだスーパーマルタを経営していた。戦後の混乱期に、田川喜一郎は株の登記で財を成し、政府から払い下げられた土地の売買で身代を膨らませた。そして、「これからは大量消費の時代だ」と言って、マルタ商店を立ち上げた。喜一郎が見込んだ通り、マルタ商店は拡大を続け、スーパーマルタと名を変え、香川県と岡山県で六十店舗を展開するチェーンストアに発展した。
ところが日本の小売消費は一九九七年をピークに減少を始める。コンビニの台頭に、郊外型、駐車場完備の大型複合商業施設の登場により、経営者が敦也に変わってから、スーパーマルタの経営状態は徐々に悪化して行った。
もともとスーパーの経営に乗り気ではなかった敦也は、スーパーマルタの売却を考える。内実はぼろぼろだったが、傍目にはスーパーマルタの経営は順風満帆に見えているはずだ。スーパーマルタは庶民にとって、まだまだ大事な台所だった。
敦也はスーパーマルタの売却を画策した。
極秘に伝を辿って買い手を捜したところ、江川信二という人物が浮上した。イタリアン・パスタという洋食屋を経営するオーナーで、スーパーの経営に興味津々だと言う。イタリアン・パスタは安価で、肩肘張らずに食べることが出来る洋食屋として、家族連れから学生まで幅広く人気があった。
買収の打診があった時、「わしなら、スーパーマルタの経営を立て直すことができる」と豪語したそうで、その話を聞いた時、田川は正直、癇に障ったが、背に腹は変えられなかった。
田川は江川と接触した。
話はとんとん拍子に進み、経営譲渡に関する覚書が取り交わされた。ところが、ほどなくして突然、江川が訪ねて来て、「仕入れで穴を開けてしまったので金がない。譲渡金の支払いを暫く待ってくれないか? いや、出来れば少しまけてもらいたい」と言ってきた。
「それは困ります。一旦、お約束して、こうして覚書まで取り交わしているのですから、何とか工面をして支払ってもらえませんか?」
「そう言われても無い袖は振れない。まけるのが嫌なら、待ってくれ。半年、いや、一年あれば、何とかなると思う」
「そんなに待てません。何とかなりませんか?」
「じゃあ、この話はなかったことにしれくれ」
「江川さん、経営譲渡の件をご破算にしたいのでしたら、こちらとしても覚書のキャンセル条項に則って、違約金の請求をさせて頂きますよ」
「な、何だと!ふざけるな」
こうしたやり取りがあって、二人は口論となった。田川はいきなり掴みかかってきた江川に首を絞められた。苦し紛れにテーブルの上にあった灰皿を掴み、反撃したところ、ものの見事に後頭部を直撃し、一撃で江川は絶命した。