恩返し②
一課に顔を出すと祓川が待っていた。
世間話をするような仲ではない。なんとか会話をと思って、「テレビに田川が出ていましたよ」と言うと、「ああ、見た」と祓川が答えた。
意外だ。祓川がテレビを見ている姿が想像できなかった。
「勝手にテレビに出て、上はカンカンでしょうね」と言うと、それには答えず、「あれは変だ」と祓川が言った。
「変? 変なところがありましたか?」
「台所のテーブルの上に包丁セットがあっただろう」
「はい。ありました」
「ドイツ製の包丁セットで、ナイフブロックという包丁スタンドとシェフナイフ、三徳包丁、ペティナイフと料理バサミがセットになったやつだ。ちらと見ただけだが、包丁セットは全部、揃っていた」
「そうでしたか?」
正直、そんな細かいところまで見ていなかった。
「包丁が全部、揃っていたとしたら、北城さんは、別のナイフを使ったことになる」
北城が振り回したという包丁は落下現場で回収されていた。
「そうなると・・・」
祓川には服部が考えていたことが分かったようで、「そうだ。アパートになかった包丁が気になる」と言った。
服部のアパートにはまな板があるのに包丁が無かった。
「まさか、家から包丁を持って行った訳では・・・」
その言葉には、祓川は答えなかった。
北城が自宅から包丁を持ち出したのだとしたら、田川を殺す為に尋ねた可能性が浮上するからだ。
「行くぞ」と祓川が言う。
連れ歩いてくれる気になったのは嬉しいが、何処に行くのか、相変わらず教えてはくれない。係長の野上も匙を投げているようで、祓川と服部は特に役割を割り振られていない、遊軍のようになっていた。
車に乗って、かなり走ってから、唐突に、
――坂本冬彦。
と尋ねる相手の名前を教えてくれた。
祓川と服部が北城の会社から持ち帰ったチラシのメモにあった電話番号の持ち主だと言う。いつの間にか、そこまで調べていた。服部と別れた後も、一人で黙々と捜査を続けているのだ。
千代田区で坂本不動産と言う会社を営む人物だと言う。
東京駅近くの雑居ビルの一階に坂本不動産は店を構えていた。通りに面し一面、ガラス張りになっているが、住宅案内の広告で埋め尽くされていて、店内が見えない。
ガラス戸を引くと、ピンポンと来客と告げるチャイムが店内に響き、入り口近くのデスクで仕事をしていた若い女性が「いらっしゃいませ」と声をかけてきた。
中堅どころの不動産屋のようだ。
他に社員が二人いて、視線を向けてきた。男二人で不動産屋に来る客は珍しい。いぶかしんでいるようだ。
「社長さんとお約束があります」祓川が警察バッジを見せると、「刑事さんですか!?」と一度、驚いてから、「こちらへどうぞ」と社長室へ案内してくれた。
店舗の奥に社長室があった。四十代だろう、細い顎に尖った鼻が顔を妙に鋭く見せている。頭髪は短く刈り上げているが、白髪が目立つ。
狭い社長室だったが、一応、応接セットがあった。壁際の机から立ち上がった坂本が「まあ、どうぞ。刑事さんが、一体、何のご用時ですか?」と二人に席を勧めた。
祓川が口を切る。「お忙しいところ、すいません。実は北城大祐さんのことについてお伺いしたくて、お邪魔しました。北城さん、ご存知ですよね?」
「ええ、まあ。刑事さんから、北城さんについて話を聞きたいとお聞きしていたので、調べておきました」
「調べておいた? 親しい間柄ではなかったと言うことですか?」
「共通の知人がいる・・・という関係です。北城さんがお住まいのアパートの管理を行っているイーグルホームの鷲尾さんとは旧知の間柄でして、彼に頼まれて、田川さんと言う人物を紹介しました」
「田川! 田川敦也ですか!?」
「田川さんをご存知なのですか?」
「それで、その鷲尾さんから、どういう経緯で田川さんを紹介して欲しいと頼まれたのですか?」
「いえね、儲け話があるので、出資しないかと言う話でした。北城さんが、新しいビジネスを始めようとしている。興味があれば出資してみないかと言う話で、鷲尾さんからは、とにかく話だけでも聞いてくれと。自分で出資するのが嫌なら、他の誰かを紹介しても良いと頼まれました」
北城は出資者を募っていた。先ずは自分が借りているアパートの管理会社であるイーグルホームの鷲尾という人物に話を持ちかけた。鷲尾は興味を持ったが、儲かれば分け前が欲しいという程度で、北城を満足させる金額は出せなかった。
そこで、旧知の坂本を紹介したと言う訳だ。鷲尾と坂本は同業他社として競争相手にあると言えたが、幸い、テリトリーとしている範囲が異なり、時に顧客を紹介したり、されたりと言った付き合いが昔からあると言う。
坂本も北城から話を聞いたが、大金を出資するには危ないと考え、田川を紹介した。
「田川さんとは、どういったご関係なのでしょうか?」
「まあ、腐れ縁って言うやつでして――」