写真③
「北城エステート」の二階は居住スペースとなっていた。
社宅として使っていたようで、従業員の奥寺は独身時代、ここに住んでいた。職場に近くて便利な反面、仕事とプライベートの区別がつきにくいことから、結婚を機に、「二十四時間、働けませんから」と言って、アパートを借りて引っ越して行った。
以降、仕事で遅くなった時に、大祐が寝泊りするようになった。最近ではもっぱら、大祐の別宅状態だったと言う。
「ほう」と祓川が興味を持つ。
「社長、いっそあのおんぼろアパートを引き払って、ここに越して来れば良いじゃないですか」と奥寺は何時も大祐に言っていたが、その度に、「いやあ、あのアパートはこの会社を始める時に借りたアパートなんだ。初心忘れずって言うか、アパートに戻ると、あの頃の燃えるような気持ちを思い出すことができる。それに、二階は社宅として残しておきたいしね。家賃が安いから、アパートを引き払う気はないよ」と大祐は笑って答えていたそうだ。
だが、佐藤はアパートに住み続ける本当の理由を知っていた。
いつか北城がしみじみとした口調で、「あのアパートには息子との思い出があるんだ」と漏らしたことがあった。
誘拐事件の後、北城は藤田家を追い出された。愛する息子を失い、職さえも奪われて、北城は自暴自棄な生活を続けた。やっと自分を取り戻し、アパートを借りて不動産事業に乗り出したのは、事件から五年も経ってからだ。今のアパートに祐樹との思い出など、あろうはずはない。
事務所の二階で寝起きすることが増えてから、北城はアパートの家具を次々、持ち込んできた。「なあに、僕は使わないから、社宅として貸し出す時に、そのまま使ってもらえば良い」と北城は言っていた。
アパートはモデルルームのように空虚な生活空間となってしまったが、あるものは持ってくることができなかった。
祐樹の写真だ。
テレビ台の上に飾られていた祐樹の写真だけは、人に渡す訳には行かない。祐樹の写真を飾るためだけに、北城はアパートを借り続けていたようだ。
写真なのだから、簡単に持ち運びが出来るのに――と佐藤は思っていたが、北城なりのこだわりがあったのだろう。アパートのあの部屋に飾っておきたかったようだ。
北城が二階に寝泊りしていたと聞いて、祓川と服部は二階を見せてもらうことにした。
一旦、事務所を出て、入り口とは別になった階段を上がると、二階の居住空間がある。階段の入り口には郵便受けもあって、そのまま賃貸物件として貸し出すことが出来た。
合鍵を借りて二階に上がった。
二階の間取りは1LDKで、バス・トイレが別になっており、北城が借りていたアパートよりやや広かった。こちらは生活臭で溢れていた。
「なんだか、安心しますね。北城大祐も普通の人間だったって――」部屋を一目見て、服部が言うと、祓川は「うむ」と気のない返事をした。
部屋には普通にゴミ箱があって、テーブルの上には使いかけのティッシュ・ボックスがあったりした。人が生活していたことを感じさせてくれた。几帳面な性格だったようで、男の一人暮らしにしては、部屋は片付いていた。
「タブレット端末があるはずだ」
事務所になければ二階にあるかもしれないと佐藤が言うので、先ずはタブレット端末を探した。リビングに机があり、机の上にタブレット端末と携帯電話の充電に使っていたのだろう。充電器がコンセントに繋がったままになっていたが、タブレット端末はなかった。
リビングから寝室まで見て回ったが、タブレット端末は見つからなかった。
「ありませんね。アパートになくて、事務所にも、ここにもないとなると、タブレット端末はどこにいったのでしょう」
「北城は融資を募るために田川のマンションを訪ねた。説明用に資料くらい作っただろう。それをタブレット端末に保存しておいた」
「きっとそうですよ。タブレット端末は田川のマンションにあるのではないでしょうか」
「やつは何か言っていたか?」
「いえ、タブレット端末のことは何も言っていませんでした」
「あいつにタブレット端末のことを聞くように言っておけ」と祓川が言う。駆け出しの服部が誰かに命令など出来るはずがない。
「現場を調べた時に、タブレット端末があったかどうか、後で鑑識に確認してみます」と答えておいた。
「何か手掛かりになりそうなものはないか?」
田川との関連を示すものはないか探した。
こちらはアパートと違って食器や家具、食材まで一通り揃っていたが、仕事に関するものは何もなかった。事務所の二階だ。仕事を持ち帰る必要はなかったからだろう。
寝泊りしていたと言っても、家具は多くない。部屋中見て回るのに時間はかからなかった。
「何か見つかりましたか?」と服部が尋ねた。
「何もない」と返事が返ってくるかと思ったが、祓川が「これだ」と言って一枚のチラシを服部に渡した。北城が経営する「北城エステート」の新聞チラシだ。部屋にあったとしても不自然ではない。
「これがどうかしましたか?」
「よく見ろ、余白に書き込みがある」
確かにチラシの余白に数字が書かれてあった。「桁数から見て、電話番号だ。誰かに番号を教えられて、メモしたものだろう」
「どこにあったのですか?」
「テーブルの下に落ちていた」
床に落ちていたチラシの余白に数字が書かれていることまで、よく気がついたものだ。祓川は仲間内で「伝説の刑事」と呼ばれている。冷やかしで言っているのかと思ったが、本当に優秀な刑事のようだ。
祓川が部屋を出て行こうとする。服部は慌てて後を追った。