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不当防衛  作者: 西季幽司
第一章「誘拐殺人事件」
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落としもの③

「何が悪かったのか、私たちにも分かりませんでした。多分、本人も分かっていなかったと思います。三歩進んで二歩下がるといった具合に、良くなったり、悪くなったりしました」

 両親も由貴菜もため息をついた。

 大祐なりに、事件を、そして祐樹を忘れようと努力していたのだろう。だが、時に思い出に押し潰されて、慙愧(ざんき)の泥沼に引きずり込まれてしまうのだ。突如、姿を消して、また由貴菜が兄の姿を探し歩いたりした。

 一進一退を繰り返す状態が何年も続いた。

「そして、あの日が来ました」と由貴菜が晴れやかに言う。

 ある日、大祐は近所のバス停でバスを待っていた。何故、バスを待っていたのか、何処に行こうとしていたのか、深い霧の中を彷徨っていた大祐には記憶がない。祐樹の亡霊を追いかけようとしていたのかもしれない。

 バス停でぼんやりバスを待っていると、反対車線を自転車に乗ってやって来た男の子が急に立ち止まった。小学生くらいだ。何をするのかと思って見ていたら、男の子は自転車を降りると、大祐に向かって、「こんにちは」と元気よく挨拶をして、ぺこりと頭を下げた。

 何て行儀の良い子だろうと大祐は釣られて頭を下げた。すると、地面の上に消しゴムが落ちているのが目に入った。

 数年前に流行ったアニメのヒーローの形をした消しゴムだ。祐樹が好きだった。いくつもコレクションして、飽きずに遊んでいた。

 祐樹が好きだった消しゴムだと、大祐はかがみ込んで消しゴムを拾った。バスを待っていた子供が落して行ったものだろう。

 顔を上げると、反対車線に自転車を停めて挨拶をしてくれた子供がいなかった。辺りを見回したが、男の子の姿はなかった。

――祐樹!

 大祐は声を上げた。

 大祐は、天国の祐樹が大祐のことを心配して姿を現してくれたのだと思った。そう言えば、男の子の顔は祐樹に似ていた気がした。

「祐樹! 祐樹」大祐は男の子の姿を求めて走り回った。だが、男の子を見つけることはできなかった。

 田んぼだらけの土地だ。遮二無二駆け回っている内に、雑草に足を取られ、田んぼに転げ落ちた。

(御免な祐樹、こんな情けないお父さんで・・・)

 泥まみれになりながら、大祐は天国の祐樹に謝った。

「分かったよ、祐樹。お前を悲しませるようなことは、もうしない。お前が誇ることができるようなお父さんになるから――!」大祐は天に向かって叫んだ。

「結局、祐樹君に助けてもらったようなものです」と由貴菜がまた涙ながらに言う。

 大祐は復活した。事件から、いつしか五年の月日が経っていた。

 離婚され、家から放り出された大祐だったが、流石に気がとがめたのか、藤田家では藤田不動産の社長を勤めていた時に得た報酬や退職金など、手付かずで全て残してくれていた。藤田家から追い出したことへの慰謝料のつもりだったのかもしれない。無論、離婚による慰謝料の支払いはなかった。

 大祐はこの資金を元手に、千葉市で「北城エステート」と言う不動産会社を興した。藤田不動産で不動産管理の勉強をしてきた。潤沢な資金さえあれば、不動産事業を軌道に乗せることは容易かった。

 事件を忘れるために遮二無二働いた。「北城エステート」は小なりといえども安定した基盤を持つ不動産会社となった。

 既に次の飛躍を考える段階にいた。

「最近では、新しいビジネスを思い付いたと言って走り回っていました」

 田川に語った空き家をリフォームし、コテージや別荘として貸し出すことだろう。上手く行けば過疎地の再興につながる。だが、アクセスを考えると、道路の整備など、中小企業には負担が大きかった。地方自治体の支援を得る必要があったし、何より資金が不足していた。

 金策に走り回る過程で耳にしたのが、田川だったのだ。

「やっと立ち直ってくれたのに・・・」と由貴菜はまた、さめざめと泣いた。

 傍若無人な祓川だが、女性の涙には逆らえないようだ。ただ、黙って由貴菜が泣き止むのを待っていた。

「田川敦也という人物について心当たりは?」

 ようよう泣き止んだ由貴菜について尋ねると、「田川さん? さあ、存じ上げません」と答えた。

「お兄さんは、かっとなる性格でしたか?」

「いいえ~兄は鷹揚な性格でした。何時も穏やかで、怒ったところなど、見たことがありません。でなければ、あんな奥さん――」と言って、口を噤んだ。

 あんな奥さんとは一緒にいれなかったと言いたかったのだろう。

「お兄さんの交友関係について教えてください」

「兄の・・・」と由貴菜は考え込んでしまった。そして、「あの事件以来、人と係わり合いになるのを恐れていたみたいです。親しくなると、また嫌なことが起こった時に耐えられないと考えていたのだと思います。家族だけは仕方がないみたいなことを言っていましたから」

 仕事上のつきあいはあっただろうが、親しい人間はいなかっただろうと言うことだった。

「離婚されてから随分、立ちますが?」

「そうですね~私どもも良い人がいたら、再婚した方が良いって、言っていました。まだ若かったし、兄は私と違ってイケメンでしたからね」と言った後、「そうでしょう? 刑事さん」と祓川に同意を求めた。

 何と答えるか見ものだった。

「人の美醜を気にしたことなど、ありません」と無難に切り抜けた。

「やだあ~刑事さん。美醜だなんて、難しい言葉で誤魔化して~」と言い、「あはは」と大笑いしながら手を伸ばして祓川の腕をバンバン叩いた。

 祓川は表情を変えずに叩かれていた。泣いたり笑ったり、忙しい。祓川は由貴菜のような人物が苦手なのかもしれない。

 質問が尽きた。北城家、いや現在は石井家なのかもしれない。由貴菜に別れを告げた。「ごめんなさい。刑事さん。何だかたっぷり愚痴を聞いてもらって、すっきりしました。刑事さんのお役には立てなかったかもしれませんね」と由貴菜が言うと、「いえ。参考になりました」と祓川が答えたものだから驚いた。

 祓川にも人並みの感情があるのだ。

 車中、「何だか悲しい人生ですね」と呟やくと、「同情は禁物だ。被害者への思い入れが強くなると、事件を見誤ってしまう。事実だけ追い求めていれば良い」と祓川が言った。

 自分自身に向けた言葉だったかもしれない。

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