【天使の知らせと悪魔の破滅】
嬉しいお知らせと地獄の始まりです。
華々しい結婚式から時が経ち、ルーロライト王国の国王アイトレアは、相変わらず多忙な日々を送っていた。
仕事の合間にローズやシトリーと紅茶を嗜み、休憩するのが唯一の楽しみだった。
そんなある日、ローズが食事中に気分が悪くなり嘔吐した。
アイトレアは血相を変えてローズを抱き抱え、医者を呼ぶよう手配した。
「王妃陛下のお食事を調べましたが、毒物のようなものは見つかりませんでした。」
イオは報告書に目を通して告げる。
知らせを聞いたシトリーも慌ててローズの元へ駆けつけていた。
ローズは今、別部屋で医者の診察を受けている。
しばらくして、スピナがアイトレアたちを部屋に招き入れた。
ベッドに横たわるローズは倒れたときより顔色が戻り、落ち着いた様子だった。
「ローズ、体調はどうだ?気分は悪くないか?」
アイトレアはベッド脇に置かれた椅子に腰掛ける。
「ええ、もうすっかり平気です。ごめんなさい、ご迷惑をお掛けして…」
「迷惑なんてことは無い。体調が一番だからな。」
アイトレアがローズの手を取り、医者に向き直る。
医者は書類に記入する手を止めると、優しく微笑んだ。
「おめでとうございます。王妃陛下はご懐妊されておりますよ。嘔吐されたのはつわりのせいでしょう。」
医者以外の全員がぽかんとしたが、アイトレアがハッとして医者に確認する。
「ほ、本当か?」
「ええ。まだ安定期ではありませんが、間違いないでしょう。しばらく安静が必要になりますね。」
ローズは自身のお腹に手を当て、鼓動を確かめるように撫でた。
その頬は紅く染まっている。
アイトレアも同じ顔になってローズの肩を抱いた。
シトリーは妊娠という概念にいまいちピンと来なかったが、新しい命がローズのお腹に宿っていると知って、驚きと共に心の底から喜びの感情が湧いた。
「安定期に入るまではとにかく安静にしていて下さい。なるべく体を縦にしないで静かに過ごすこと。特に王妃陛下は初産ですから何があるか分かりません。御子と母体の為にも周りの方々にも注意を促して下さい。」
医者は早口で熱心に語ると、一礼して部屋を出ていった。
「王妃陛下、ご懐妊誠におめでとうございます。」
イオが微笑んで祝福の言葉を贈るのにシトリーも倣う。
「ローズ様、おめでとうございます!」
「ありがとう二人とも。何だかまだ実感が湧かないけど、とても嬉しいわ。気分が悪かったことも吹っ飛んじゃいそう。」
ローズは涙目で嬉しそうに話し、アイトレアに頭を預ける。
アイトレアは愛おしそうにローズの頭を撫でた。
「安定期に入るまではご懐妊は公表しないでおきましょう。側仕えのメイドや護衛の者たち以外には箝口令を敷いて厳重に管理していきます。」
ローズの妊娠を身内のみで静かに祝福し数日経った頃、シトリーはローズに"あるもの"を渡す為にローズの部屋を訪れた。
シトリーが扉をノックすると、少ししてからローズほ「どうぞ。」という声が聞こえる。
扉を開けたシトリーはローズの手元を見て突然、悲鳴を上げた。
「ローズ様!いけません!!!」
ローズはちょうどお茶の時間で、スピナの用意したノンカフェインの紅茶を飲もうとカップに口を付ける直前だった。
シトリーの目には、ローズの持つカップからドス黒いモヤが漂い立ち昇るのが見えた。
ローズの手から慌ててカップを引き剥がし机に置く。
幸いにも飲む直前だったのでローズは無事だった。
「何事だ!?」
シトリーの悲鳴を聞いてアイトレアとイオが駆け付けた。
ローズは青ざめた顔で震えている。
シトリーはローズの背中を擦りながら、カップに漂う黒いモヤについてアイトレアたちに報告した。
イオはすぐに紅茶に毒物が仕込まれていないか調べるよう他の使用人を呼び指示する。
そして紅茶を用意したスピナと、それを部屋まで運んだセトを事情聴取する為、二人それぞれ別部屋に待機するよう呼び掛けた。
もう一人の護衛騎士ユアンは、ずっとローズの部屋にローズと共におり、部屋の隅で紅茶が用意されるのを見ていた為、毒物を仕込むタイミングが無かった。
その為、そのまま護衛の任務についている。
シトリーにはスピナの周りに黒いモヤは見えなかった。
しかし、部屋から出ていくセトには黒いモヤが纏わり付き、その顔は血の気が引いて冷や汗が滴っているのが見えた。
シトリーはイオに自分も事情聴取の場に同席させて欲しいとお願いした。
イオはアイトレアに許可を取ると、シトリーを伴ってスピナの待つ部屋へと向かった。
事情聴取の部屋には急遽呼ばれた騎士二人が立っていた。
スピナは落ち着いた様子で紅茶の用意から部屋でローズに紅茶を出すまでを、しっかりと順序良く話した。
「私が茶葉、お湯、ポッド、カップをご用意してティーワゴンに載せました。そして、私が部屋へ先導する形でセト様がワゴンを押して下さいました。」
「何故あなたではなく、セトがワゴンを押したのですか?」
「…実はお湯を沸かしている最中に手を火傷してしまって、すぐ冷やしたのですが腫れてしまって。それを見たセト様が俺が運ぶよと仰って下さったんです。」
袖で見えづらかったが、確かにスピナの左の手の甲に火傷の痕が見えた。
「イオ様、シトリー様、私は誓って毒など入れておりません。どうか信じて下さい。」
そう言うスピナの紫の目が陽の光に反射してキラリと光る。
シトリーの目には、スピナが嘘を言っているようには見えなかったし、黒いモヤも相変わらず見えなかった。
それに入室前に軽い身体検査を行ったが、毒物の類は見つからなかった。
シトリーはスピナを見て感じたことをイオに耳打ちする。
イオは頷くと「分かりました。」と告げ、スピナに待機部屋で待つよう指示した。
続いてセトが入室してきた。
相変わらず顔色が悪く、何かを隠しているのは明白なほど冷や汗をかいていた。
身体検査をするとポケットから小瓶が見つかった。
中身は空だが何か液体が入っていた形跡がある。
イオは小瓶を調べるよう使用人に指示すると、セトに椅子に座るよう促して単刀直入に聞いた。
「先ほどの小瓶の中身は何ですか?」
「…」
「あなたは王妃陛下の部屋まで茶葉やお湯の載ったワゴンを押したそうですが、そのときに毒を仕込んだのではないですか?」
「…」
セトは顔を伏せたまま何も答えない。
その体は小刻みに震えている。
やがて、ゆっくり口を開く。
「…私が、全て…やりました…」
現場に緊張が走った。
セトが自白したのだ。
「何故、王妃陛下を狙ったのですか?」
セトは息を荒くしながら震える声で答えた。
「…王妃陛下を亡き者にして、私の妹を王妃に据える為、です」
王妃を毒殺するのに最もらしい理由だが、イオにはそれが嘘であることなどお見通しだった。
セトの家は代々騎士の家系であり、日々の勤務態度や剣術の腕を買われてローズの護衛に抜擢されたが、貴族の位では下級貴族だ。
下級貴族の令嬢が王妃に選ばれる確率など、広大な草原から細く小さな針を見つけるくらいなもの。
そんなことセトも重々承知している筈だ。
つまり、セトは妹を王妃にしたくて事を起こした訳では無く、この言い訳を誰かに強要されている、ということだ。
イオは慎重に事を進めなくてはならないと強く感じた。
セトの後ろには黒幕がいる。
それは、おそらく――。
「セト、あなたは誰かに指示されてやったのでは無いですか?でなければ、あなたのような謹厳実直な騎士が王妃暗殺など大それたことをしでかす筈が無い。」
セトは焦点の合わない目で体を抱くようにして震えている。
「い、いえ…。俺の、独断で…やりました。」
すると、待機部屋にいた筈のスピナが突然入ってきた。
「セト!お願い、あなたがこんなことする筈が無いわ。本当のことを言って!誰かに脅されているんでしょう?」
おそらくスピナは部屋の外で盗み聞きしていたのだろう。
シトリーは以前、この二人が手を取り合いながら仲良さげに話しているのを目撃したことがあり、二人が恋仲であることを察していた。
「セト、お願い。本当のことを言って…」
「セト、本当のことを話して下されば、あなたへの処罰を軽くすることが出来ます。何か脅されることがあったのですか?でしたら、我々が必ず守りますから安心して本当のことを言って下さい。」
セトは歯をガタガタ鳴らしながら涙を流して嗚咽している。
シトリーにはセトが何故こんなにも追い詰められているのか分からなかった。
セトの後ろに黒幕がいることはもはや明白だ。
イオとスピナが必死に説得してもセトは頑なに自分がやったと言い張る。
「…スピナ、すまない」
それは一瞬の出来事だった。
セトはガバッと屈むと、下着に隠していたもう一つの毒入りの小瓶を出し、液体を飲み込んだ。
「っ!水を持ってこい!!!」
イオが叫ぶと騎士が部屋を飛び出した。
イオは泡を吹きながら藻掻くセトの口を開け、何とか吐かせようとしたが苦しそうな咳しか出てこない。
そして、騎士が水を持って来たときにはセトは既に事切れていた。
シトリーもスピナも声を発することが出来なかった。
何が起きたのかも理解するのに時間が掛かった。
結局、セトは本当のことを話すことなく自死してしまった。
「セトの遺体を運んでくれ。それから国王陛下にセトが自分でやったと自白し、自死したとお伝えしろ。」
イオは疲れ切った顔で二人の騎士に指示すると、手を洗う為に部屋を出た。
部屋にはシトリーとスピナだけになった。
スピナは呆然としたまま目から大粒の涙を流している。
シトリーはそんなスピナを静かに抱き締めてあげることしか出来なかった。
読んで頂きありがとうございます!
セトとスピナは将来を約束していましたが、こんなことになってしまいました。
ここから本格的に地獄の始まりです。
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