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たぶんホラーの短編集

物乞いババアの末路

 古いアパートの一室のドアが激しく叩かれた。時計は夜10時を過ぎている。


「誰?」


 私はドアに向かって訊ねたけれど、返事はない。 それなのに叩く音は続いている。


「誰ですか! うるさいですよ!」


 ちゃんと怒鳴りつけると、音はピタリと止んだ。しばらくの沈黙の後、


「お洋服がほしいの」


と、声が聞こえてくる。年配の女性のようだった。


「私、時山だけど、これから寒くなるのにお洋服がないのよ」


(時山さん)


 その名前は、下の階に住む女性として認識があった。


「事故で骨折してから足が不自由なのに一人暮らしで。買いに行けないの」


 時山さんはたどたどしい口ぶりで話を続ける。


「ズボンがほしいの。長いズボン。あと厚手の靴下もほしいの。それからカーディガン。羽織るものもほしい」


 私は彼女の噂をちゃんと聞いていた。

 何かとかわいそうアピールをして、アパートの住人に物乞いをするらしい。確かに足を骨折したことがあるらしいが、アパートの2階に上がって各部屋を訪ね歩けるほどに回復している。


「娘にずっといっているのに、全然買ってくれないのし、えっちゃんに頼もうと思ったんだけど、いないの」


「えっちゃん?」


 私が聞き返すと、


「この部屋の隣の人よ!」


 何故か声を強めた。まるで知らないことを責めるように。


「理由は知らないけど入院しちゃったみたい。困った時はお互い様とか言ってたのに頼りにならないのね、えっちゃん」


「私のパーカー、あげます」


 私は立ち上がって、壁にかけていたパーカーを手に取る。


「いいの?」


 壁の向こうの声がやや明るくなった。


「黒で良ければ」


「いいわ」


 パーカーを持って玄関のドアを開けると、背が低くく、でっぷりと太った女が立っていた。

 私の顔など見ず、手からパーカーを奪い取り、しげしげと品定めを始める。


「これサイズが違うし、毛玉だらけでダサいからこんなのイヤだわ。あとコーラも欲しいんだけど、買ってきてくれる?」


 感謝の一つもなく、失礼な物言いをし、唐突な要求を重ねてきた。私は首を振る。


「コーラはないです」


「お菓子は? 歌舞伎揚げが食べたいんだけど」


「こんな夜中に。無理です」


「買ってこれないの?」


「無理です」


「コンビニならあいてるでしょ?」


「無理です」


 冷たく跳ね返され、怒りで顔が赤くなっている。時山さんはわかりやすく苛立っていた。


「でも、誰も買ってくれないのよ!」


 語気を強めたとしても、私には無理だった。


「他を当たってください」


「……そう。残念ね」


 諦めたのか、時山さんは背を向けた。右の足を引きずりながら歩きだす。

 途中で振り返り、恨めしそうに「さよなら」と、言い残して去っていった。


「さよなら」


 チャンスは一度だけだ。

 私もその丸い背中に投げかける。

 もう来るなよ、ワガママなおばあさん。


 死にたくなければ。



 しかし、次の日も時山さんは懲りもせずに訪ねてきた。


「なんですか?」


 今日はすぐに扉を開けた。


「コーラがほしいの。買ってきてちょうだい」


 昨日と同じ要求に、私は薄ら笑いを浮かべる。手にコーラをもっていた。


「これあげる」


「ありがとう」


 時山さんはコーラを受け取り、すぐさま飲んだ。


「ああ、やっと飲めたわ」


 そう言ってゲップをした。最低だ。


「どういたしまして」


 何も知らない時山さんに、私はニコニコと答える。


「あの、羽織るものはある?」


 コーラだけでは満足しないらしい。


「パーカーしかないって言いましたよね?」


「あれはダメ、カーディガンがほしいのよ」


「おばあさん」


 諭すような声で語りかける。


「わがまま言ってると皆離れていって、孤独になって死んじゃうの」


 私は時山さんの腕を掴んだ。


「キャッ!」


 と、声を上げる。それは不快な悲鳴だった。


「痛いじゃない!」


 この人の腕が痛くてもどうでもいい。騒ぐ時山さんを部屋に無理やり引き入れる。


「あんた、死んじゃうって言ってんの。私みたいに、ね」


「何言ってんのよ。警察呼ぶよ」


「馬鹿だね。えっちゃんの隣の部屋の住人は死んだのに。知らないんでしょ」


「嘘言って脅しても無駄よ」


「嘘じゃない」


「じゃああなたは誰なの?」


「ここで死んだ女」


 ようやくことの異常に気づいたのか、時山さんは青ざめて黙り込む。


「コーラは今日、えっちゃんが私にお供えしてくれたものだよ」


 月命日の今日。

 古いアパートで一人孤独に息を引き取った私のためにえっちゃんは供えてくれた。入院中だったから、私が死んだことを長い間知らなかった。

 本当は知られたくなかった。

 きっと心を痛めるから。

 悲しんでしまうから。

 隣の部屋のえっちゃんは生前の私に優しくしてくれた唯一の人。無愛想な私にもたくさん話しかけてくれた。たくさん相談事を聞いてくれた。死ぬ前にえっちゃんに出会えてよかった。大切な人。

 このババアはそのえっちゃんの優しさにつけ込んだ。しつこくまとわりついて、毎日何かを要求して。ついにえっちゃんは体を悪くしてしまった。

 一時は入院していたけれど今は落ち着いて退院し、家族と暮らしているらしい。

 本当は一人暮らしを続けたかったというのに。


「わがままばっかり言ってえっちゃんを入院させるまで追い込んで、反省もしない。そんなお前を許さないからね」


 小さなおばあさんの乾燥して張りのない腕をギリギリと力を込めて掴む。

 きっと、今夜から物乞いババアは現れなくなるだろう。


「私はお前に反省してもらいたくて化けて出たんだよ」


 時山さんの手からコーラが滑り落ち、炭酸が弾けるままに床を汚していった。


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