第7話 小麦色の七瀬
バチンッ!!
「いたいっ。何すんのよぉ!!」
少女は両手で頭を抱えた。
その後ろには、丸めた新歓冊子を右手に持った柚乃がいた。
「七瀬っ。あんた、何人彼氏作れば気が済むのよ!! 光希はバカなんだから真に受けたらどうすんのっ」
七瀬というらしいその少女は下唇を噛んだ。
「ふんっ。別にからかってないし」
……どうやら俺は。
友人Aから、なんちゃって彼氏Aになったらしい。
「そういうのが、からかってるって言うのよっ!!」
柚乃は本気で腹を立てているように見えた。
だがな、柚乃よ。
フッた俺を振り回しているんだから、お前も大差ないと思うぞ?
……どいつもコイツも。
元飯塚君の交友関係はどうなってるんだよ。ほんと。
七瀬はタタッと駆けると、俺の後ろに隠れた。そして、目の下に右人差し指を添えると、舌を出した。
「あっかんベーっだ。柚乃お節介すぎ」
そう言うと、俺を覗き込んだ。
「そう思うよね? みっくん」
みっくん。
その言葉に引きずられるように、俺の脳は昔の記憶を吐き出した。脳裏にあるのは紫乃の顔だ。
春一番でなびく黒髪を押さえて紫乃は言った。
「そんなにわたしのこと好きなの? ……そこまで言うなら、結婚してあげてもいいよ♡ みっくん♡」
みっくん。
俺は紫乃以外にその呼び方を許した覚えはない。そう思うのと同時に、俺の口からは、七瀬を刺す言葉が出ていた。
「……その呼び方、不愉快なんだけど。やめろ」
自分ながらに大人げない言い方だったと思う。
クラスのザワザワが一瞬で静まり返ったのが分かった。
すると、すぐに谷原が割って入った。
「光希。なにマジになってんの? 七瀬が怯えてるだろ」
七瀬を見ると、瞳が左右に揺れ泳いでいた。
彼女の半開きの口元からは白い歯が見えて、微かに震えていた。
あーあ。
やってしまった……。
高校生の女の子相手に何をやってるんだか。
だから俺は、友人Aどまりなんだよ。
俺は、無理矢理にモードを切り替えると、できるだけ明るい声で話しかけた。
「って、わりぃ。七瀬。冗談だよ」
七瀬はまるで、親に叩かれた子供のように俺を見ていた。救いのない、でも、救いを求めている目。手首がぎゅーっと萎縮して、手の甲が縮こまっているのが分かった。
震える左手を右手で押さえ、七瀬は声を絞り出そうとする。
「……ご、ごめん……なさい……」
すると、担任が入ってきた。
メガネをかけた女性の先生だった。
おちゃらけた様子で、ホワイトボードに自分の名前を書き始める。
「はいはい。静かにっ。わたしは今日から君たちの担任になった斉藤だっ。お前ら、最高にグレートだぜっ★」
教室から笑いが起きた。
「せんせー、古すぎー」
「元ネタ、昭和ですかー?」
ワイワイした声がそこかしこから聞こえてくる。俺がぶち壊した雰囲気は、なんとか元に戻ってくれたようだった。
斉藤先生は俺と目を合わせるとウィンクした。どうやら、俺の失敗をフォローしてくれたらしい。
ん?
柚乃に背中をツンツンされた。
「光希。言い過ぎ。さっき怖かったし。ちゃんと七瀬に謝るんだよ? あの子あんなでもデリケートなんだからっ」
「あぁ。わかってる」
七瀬の席を見ると、こちらをチラチラと気にしているようだった。
今日は始業式だけで、簡単な連絡事項を伝えられると解散になった。
俺は七瀬に謝ろうと思ったが、七瀬はすぐに出て行ってしまったらしく、席にいなかった。俺が途方にくれていると、柚乃が教えてくれた。
「あの子、辛いことがあると、よく屋上にいるよ」
はぁはぁ。
俺は階段を行き止まりまで駆け上がる。
そして、ドアを開けると、目の前には青空が広がっていた。
七瀬は柵によりかかるように座っていた。
俺はその横に立って景色をみる。
七瀬も俺も、しばらく何も話さなかった。
5分くらいした頃、七瀬がポツリポツリと話し出した。
「光希。高1の時のこと覚えてる? あの時もこんな風に、2人で屋上に居たよね」
もちろん覚えていない。
と、いうより、初めから知らない。
でも、知らないとか言える雰囲気じゃない。
だから、それらしく答えた。
「あぁ、当たり前だろ」
俺の脳細胞よ。
限界を超えろ!!
推理力マックスで、未知を既知にするんだ。
七瀬は俺の顔を一瞬みると、両膝を抱えるようにして、微笑んだ。
「……そっか。あの時、嬉しかったんだよ?」
「そうか」
「うん。……助けてくれたの、君だけだったし」
ん?
助けた?
どうやら、元飯塚君はジェントルマンなことをしたっぽいぞ。
「そっか」
「アタシ、こんなじゃん? だから悪目立ちしちゃってさ。京子達に目をつけられちゃって」
よし。
余計な事を言わなければ、ストーリーの骨子を把握できそうだ。
「あぁ」
なんとなく分かってきた。
きっと、元飯塚君は、京子とやらから、七瀬をカッコ良く助けたに違いない。
「他の子は、みんな見て見ぬフリ。助けてくれたのは君だけだった。アタシが叩かれてると、アタシと京子の間に割って入って、変顔をするの」
……。
……。
……変顔?
「京子たち、光希にドン引きしてさ。しかも、光希ってば、超しつこいし。そのうち、京子達は、わたしにも近づかなくなった」
「へ、へんがお……、どんな?」
「んーっ。鼻の穴を広げて、ビーバーみたいな歯をしてたかな? ききーって」
ビーバー……。ききーっ……。
皆んなが見てる前で、何度もそれやったんだろ?
俺、元飯塚君のバカさに、立ち直れないかも知れないんだけど。っていうか、明日から登校拒否になりそう。
「はは。おれダサすぎ」
七瀬は首を振った。
「ううん。すごく勇気のある人だって思った。暴力も使わないで、誰も悲しませないで助けてくれたんだよ? 最高にカッコいいじゃん」
七瀬は俺の目を覗き込むと、クスッと笑って言葉を続けた。
「……だって、君だけだもん。あの空気の中で、アタシの味方をしてくれたの。アタシ、イジメられてるのに、君の変顔をみると、毎回、笑っちゃったもん」
「いや、むしろ黒歴史なんだけど」
「……あの時も今みたいな青空だった。光希、ここで2人の時に言ったじゃん。またイジメられたら俺が助けてやるって。あの時から、光希は、わたしのヒーローだよ」
「そっか」
「だからね。わたしは、君に嫌われることが、すごくすごく怖いんだ。……さっきはごめんね」
「こっちこそ、ゴメン。嫌ってないから」
七瀬は立ち上がった。すると、見計らったかのように、下からぶわっと桜の花びらが舞い上がった。
春の嵐。
七瀬は、なびくスカートを手で押さえながら言った。
「光希が柚乃のこと好きって知ってる。でも、アタシは光希を……す……」
風が強くて聞こえない。
「えっ?」
「ううん。なんでもないっ。君が困ってたら、アタシが全力で助けてあげるから!! アタシ、ずっと光希の味方だから!!」
そう言うと、七瀬は俺にべーっと舌を出した。
そして、タタッと階段を駆け降りていった。
「……いまって、もしかして、告白されたのか?」
でも、聞こえなかったし。
……ノーカンかな。
だけれど、女の子から告白されたの生まれて初めてだし。実は、めっちゃ嬉しい。
それに、さっきはカッコつけて「好みじゃない」なんて言ったけど、七瀬、顔は可愛いし、胸もプルンプルンだし。
全然アリだぜっ!!
それはさておき、……元飯塚君。
君はバカだけど、もしかすると良い奴だったのかもな。
さっきの七瀬。
みっくんって呼ぶ時の紫乃みたいな顔をしてた。
なんか少しキュンとした。
「くーっ」
俺は拳を握りしめた。
「おれ、青春してるかも知れない!!」
それにしても……。
「光希の味方」かぁ。
今の俺には嬉しい言葉だ。
情けは人のためならず。
元飯塚君。
君の親切が、俺に戻ってきたみたいだよ。